52 状況は変わらない

「やっぱり、そうなんですね……」


 薄々そうではないかとは思っていたけれど、実際に聞かされると堪えるものがある。

 確かにあのホワイトが、大人しく事態を落ち着けて帰ったとは思えない。

 魔女の同胞を増やす為、犠牲者が出ることも厭わず感染を拡大させたんだから。


 私が氷室さんの手を強く握り返しながら唇を噛むと、夜子さんは小さく頷いた。


「ただ、一旦勢いは落ち着いている。だからこうして一息つける暇ができたんだ」

「でも、完全に収束していないということは、これからもさっきみたいな事態になる可能性があるって、そういうことですよね?」

「ああ、残念ながらね。今だって、いつ死人が出てもおかしくない。けれど幸い、さっきカノンちゃんとまくらちゃんが駆けつけてくれてね。今は二人が対応してくれてるよ」

「カノンさんとまくらちゃんが!?」


 思わぬ名前が上がって、私は咄嗟に大きな声を上げてしまった。

 そんな私を見て少し表情を緩める夜子さんに、慌てて居住まいを正す。


 考えてみれば、今二人はこの街で暮らしているんだし、異変を感じて出てきてくれたんだ。

 カノンさんは魔法使いで、元々は魔女狩りだったから適任といえば適任だ。

 まくらちゃんの場合本人は不向きだけど、戦闘担当のカルマちゃんが表に出るだろうから、心配はいらないはず。


「勢いが落ち着いている今なら、二人でもここらの対応はできるだろうと思ってね。今は甘えちゃっているとこさ。いやぁ、実際助かったよ。アリスちゃんと善子ちゃんを回収しなきゃだったし、千鳥ちゃんはへばり出してたからね」


 夜子さんは険しい顔のまま、けれど普段と同じような緩やかな声でそう言った。

 けれどいつものように適当に流しているのではないことは、その目を見ればよくわかる。

 夜子さんは今回のこの事態に対して、並々ならぬ怒りを抱いているようだった。

 それでも飽くまで、いつも通りに私に向かい合ってくれている。


「だから、そのことについては心配しなくていい。まぁ、心配しても仕方がないというのもあるけれど」

「活性化された『魔女ウィルス』を鎮める方法というのは、ないんでしょうか?」

「残念ながら、そう都合のいい方法はないんだよね」


 頬杖を解いた夜子さんは、軽い溜息をつきながらソファーに深く座り直した。

 脚を大きく持ち上げながら組むと、少しだけ黙ってから再び口を開く。


「アリスちゃんは、『魔女ウィルス』が何なのかを、もう知っているかな?」

「……はい。魔力こそが『魔女ウィルス』だと、聞きました。私のこれまでの戦いの中で使われた魔法が魔力の残滓を振り撒いて、『魔女ウィルス』がこの世界に満ち溢れたと、ホワイトが……」

「うん。そうだね」


 少しでも気を緩めれば後悔で押し潰されそうになる。

 でも今は、自分を責めて蹲っている場合ではないから。

 大きく息を吸ってから答えると、夜子さんは淡白に頷いた。


 自分がそれを知っていることを隠す素振りは見せない。

 やっぱり夜子さんは、わざと私にそれを教えなかったんだ。

 でもそれについて言及するつもりのない私は、続く言葉を待った。


 夜子さんは少しの間、そんな私の顔をジッと見た。

 それから何かに得心いったかのように僅かに頷いて、ゆっくりと言葉を続けた。


「『魔女ウィルス』が内包するエネルギーが魔力。故に、それに晒されることで感染の可能性が生まれる。そして、より濃い魔力に晒されれば、適性の度合いによらず感染のリスクは高まるのさ」

「……晴香が魔女になったのは、そういうことなんですね」

「まぁ、そうだね」


 晴香は自然に『魔女ウィルス』に感染したのではなく、強制的に感染したと言っていた。

 それをしたというロード・ホーリーの手で強い魔力に晒されたからこそ、晴香は魔女になったんだ。

 でも魔女としての適性は少なかったから、ただ生き延びるだけで精一杯だった。


 それと同じようなことが、この街で、この世界で一斉に起きたということなんだ。


「真奈実ちゃんがしたという『魔女ウィルス』の活性化というのは、自身の魔力を周囲の魔力に同調させ、その勢いを増幅させるというものだろう。煽ることは簡単でも、それを鎮めることは不可能に近い。だってそれができれば、『魔女ウィルス』を無力化することだってできるだろうからね」

「確かに、そうですね……」


 ふんと鼻から息を抜く夜子さん。

 そこに入り混じる憂いに、私は肩を落として頷くしかなかった。

 夜子さんができないというのなら、それはそう簡単なことではないということだ。


『魔女ウィルス』の感染を防いだり、その侵食を抑える事ができないから、魔女はみんな苦しんでいる。

 元からどうしようもない状況だっていうのに、それに拍車をかけたホワイトの行いは、やっぱり許されることではないと思った。

 そこに、彼女のなりの正義があるのだとしても。


「あの、夜子さん。ホワイトのしたことが、この世界に満ちる魔力の増幅で、それによって感染が促進されるんだとしたら。既に魔女になっている人に影響はないんですか? 侵食が早まってしまうなんてことは……」

「いや、それはないよ」


 ふと思い当たった不安を口にすると、夜子さんは即座に首を横に振った。


「既に魔女となっている者には、もう外部からの影響は関係ないのさ。その侵食の度合いは個々の適性に依存する。要はその肉体とウィルスの相性の問題だからね。感染後に多くの魔力に晒されたからといって、侵食が早まることはないよ」

「そうなんですね。よかった……」


 それをよかったというのが果たして正しいのか。少し迷うけれど。

 でも私には魔女の友達が沢山いるから、ホッとせざるを得なかった。


 思わず隣に座る氷室さんに顔を向けると、落ち着いたポーカーフェイスが返ってくる。

 その冷静な表情が苦悶に歪むところなんて私は絶対に見たくないと、改めて思った。


「だからまぁ、今心配するべきは適性が低い者の被害だね」


 顔を見合わせる私たちを眺めながら、夜子さんは溜息交じりに言った。


「死そのものを食い止めることはできないけれど、二次被害はなんとか食い止めないといけない。その死が撒き散らされることがあれば、瞬く間にこの世界はひっくり返ってしまうからね」

「この問題を解決させたかったら、もう根本をどうにかするしかない、ってことですね」

「ああ。そういうことになるね」


 ホワイトによって促進されてしまった『魔女ウィルス』の感染を、止めるすべはない。

 そこから生まれるであろう被害を最小限に抑えることはできても、それで被害がなくなるわけじゃない。

『魔女ウィルス』の被害者を少しでも減らそうと思うのなら、ウィルスそのものをどうにかするしかないんだ。


 結局はそこに回帰する。

 私が『始まりの力』を十全に使いこなせるようになればいいのか。

 それとも『魔女ウィルス』の根源であるドルミーレを倒せばいいのか。

 その方法はまだわからないけれど。どちらにしろ、それは私にしかできないことだ。


 全ての原因が私と、私の中のドルミーレにある以上、もう迷ってる暇も目を逸らしている暇もない。

 後悔も苦しみも悲しみも全部飲み込んで、私は自分がするべきことに目を向けないといけないんだ。


「いい顔を、しているじゃないか」


 現状を把握して改めて覚悟を決めた私に、夜子さんは優しい声を出した。

 険しい表情を落ち着けて、ゆったりと柔らかな顔に切り替えた夜子さん。

 内なる怒りの揺らめきはそのまま、けれど落ち着いた瞳が私へと真っ直ぐに向けられた。


「責任に苛まれ、後悔に苦しみ、悲嘆に暮れてしまってもおかしくはないだろうに。君は本当に強く成長したね」

「いいえ。『魔女ウィルス』のことを聞いた時、それが私のせいだと知った時、私はとても冷静ではいられませんでした。ただ、そこで弱音は全部吐きました。それでも心はまだ震えていますけど、支えてくれる友達が私にはいますから」


 今も尚強く繋いでくれる氷室さんの手を確かめながら、私は夜子さんに真っ直ぐ答えた。

 この五年で私が本当に成長できたのか、自分ではまだ自信がないけれど。

 でも私が強くなれているのだとしたら、それは私を支えてくれる友達のお陰だ。

 その繋がりが、支えが、力があるから私は前を向けるんだ。


 私の言葉に、夜子さんは口元を緩めながらうんうんと頷いた。


「それでいい。アリスちゃん、君はそれでいいんだ。沢山の心を手繰り寄せ、その繋がりを力とするのが君なんだから。その心で、道を切り開いていけばいい」


 まるで独り言のように、けれど私に言い聞かせるように、夜子さんは静かな声でそう言う。

 そこに浮かべられた笑みは普段のニヤニヤしたものではなく、とても温和なものだった。

 それにつられて、私の表情も自然と和らいだ。


「はい。だから今は、前を向きます。『魔女ウィルス』に苦しむ全ての人を救う為に、私はあらゆることにケリをつけないといけないですから」


 固めた決意を言葉にする。

 まずはこの事態を引き起こし、そして無謀な戦いを挑もうとしているホワイトを止めて。

 それから魔法使いにも、私を巡る様々な思惑を止めさせないといけない。

 心折れている場合なんて、ないんだ。


「────あれ、魔法使い……?」


 これから自分がすべき事を反芻した時。ふと、心に引っ掛かった言葉が口に出た。

 そしてそれを認識した瞬間、嫌な予感が全身を駆け巡り、冷や汗がぶわっと吹き出した。

 どうして今まで、そのことに気付かなかったんだろ。


「よ、夜子さん……あの……」


 全身がぐっしょりと濡れる不快感を覚えながら、私はゆっくりと問いを投げ掛けた。


「魔力こそが『魔女ウィルス』なんだとしたら、魔法使いは何なんですか? 魔力を糧に魔法を使うというのは、魔女も魔法使いも同じ、ですよね。だとしたら、魔法使いは…………?」

「あぁ。それは簡単なことだよ、アリスちゃん」


 私の疑問に、夜子さんは事もなげに答えた。


「厳密に言うと、魔女と魔法使いに差なんてない。その存在は限りなく同一だ。魔法使いだって、その肉体は『魔女ウィルス』に侵されているんだよ」

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