20 もう一つの世界3
「え、えーーーっと……」
大きな木の枝の上で、組んだ足をぷらぷらさせている女の人。
まるで昔からのお友達みたいに話しかけてくるその人に、わたしはポカンとしてしまった。
こわさも、かなしさも、さみしさも、今はすっかり忘れてしまって。
わたしは今、目の前のヘンテコな女の人への不思議な気持ちでいっぱいになった。
「あなたは、だぁれ?」
「そうか、自己紹介が必要かぁ。うーん、なんだか今更するのも小っ恥ずかしいけれど、でも仕方がない。君にはきっと必要だからね」
女の人はニヤニヤ笑いながら言う。
何がそんなに楽しいのかわからないけれど、なんだかとっても嬉しそう。
「名前はとっても大切だ。個を示す明確な記号であり、自身を確立し認識するための概念だ。何事にも名前はあり、名はそのものの意味と存在を形造る。そして名は、語らなければ意味がない」
「…………???」
女の人はニヤニヤしたままなんだか難しいことを一人でペラペラと言った。
かと思うと、急に枝の上からパッと消えてしまった。
わたしがまばたきをした瞬間、『こつぜんと』消えてしまった。
あんまりにもびっくりして、木の枝の上をまじまじと見ようと立ち上がった、その時────
「おいおいどこを見てるんだい? 私はここだよ」
すぐ後ろから声が聞こえて、わたしは飛び上がった。
振り返ってみれば、今度は大きく盛り上がった木の根っこの上に座っていた。
自分のふとももに頬杖をついて、とっても意地悪なニタニタ顔をしている。
「あ、あなたも魔女なの……!?」
何もないところから急に現れたり、急に消えたと思ったら一瞬でちがうところに移動したり。
これはきっと魔法だ。この国に来て色んな不思議なものを見てきたわたしは、びっくりはするけど、でもすんなりとそれを受け入れられた。
わたしの質問に、女の人はすっとんきょうな顔をした。
「魔女でもいいんだけど、今は一応魔法使いを名乗ってる。まぁ、どっちでも同じことさ」
「ま、魔法使い!? そ、それって、たしか……」
「いやいや、君に危害を加えるつもりはないし、その必要もない。私はただ、困っていた君に声をかけただけだからね」
私がビクッとしたの気がついて、女の人はすぐにそう言った。
だって、魔法使いは魔女にひどいことをする人たちだって聞いていたから。
この女の人は悪い人には見えないけれど、でも私は思わず一歩後ろに退がってしまった。
そんな私に女の人はやれやれと溜息をついた。
それからすぐに元のニヤニヤ顔に戻って、わたしのことをじっくりと見てくる。
「────そうだ。自己紹介をしないとね。私の名前は、イヴニング・プリムローズ・ナイトウォーカー。通りすがりの魔法使いさ」
「イ、イヴ……?」
「君には小難しいかな? じゃあ名乗りを変えよう。
「夜子、さん……」
頭の中のハテナマークは増えるばっかりだった。
この人の名前はわかったけど、でもでもそれ以外は何にもわからない。
自分のことを魔法使いという夜子さんだけれど、この人なんでここにいるんだろう?
たしかこの森は、魔法使いは入ってこられないってレイくんは言ってた。
それにそうじゃなかったとしても、こんな誰もいない暗くてさみしい森の奥に、どうしているんだろう。
「あの、夜子さんはどうしてこんなところに────」
「おっとおっと。質問の前に君のお名前を聞かせてもらえるかな? 私も名乗ったんだ。次は君の番だよ」
「あ、ごめんなさい……」
夜子さんはわたしをさえぎってフフッと笑って言った。
たしかに、人にだけ名前を言わせて自分は言わないなんて失礼だった。
「わたしの名前は、花園 アリスです」
「アリス、アリスちゃん。相変わらずいい名前だ。嫌でも昔を思い出す」
「…………?」
すこし目を細めて呟くように言う夜子さん。
わたしが首を傾げると、ニコッと笑って「なんでもないよ」と言った。
「さてアリスちゃん。わたしがどうしてここにいるのか、だっけ? その質問に答えるのはやぶさかではないけれど、君が今知りたいのはそんなことなのかな?」
「え?」
夜子さんの質問に、私はキョトンとなった。
そんなわたしを、夜子さんは面白そうにニヤニヤ顔で見てくる。
言いたいことがわからないわたしは、ただただ首をかしげるしかなかった。
「まったくやんちゃだなぁ君は。目の前のことに気を取られすぎだよ? まぁ君は今、小さな女の子なんだから仕方ないのかもしれないけれど」
「えーっと……?」
「帰り道、知りたいんじゃないの?」
「あ……! え、わかるの!?」
夜子さんに言われて、わたしは今の『じょーきょー』を思い出した。
わたしは今、この暗い森で迷子なんだった。
帰りたいのにここからどうしていいかわからなくて、それで困ってたんだった。
ハッとしているわたしを、夜子さんはおかしそうにクツクツと笑った。
「夜子さん、どうやったら帰れるか知ってるの?」
「知ってるかもしれないし、知らないかもしれない」
「え? どっち?」
「君がどこに帰りたいかによるってことさ」
「どこって……」
わたしがどこに帰りたいかなんて、そんなの決まってる。
お母さんがいる、わたしのおうちだ。
レイくんやクロアさんにもまた会いたいけれど、まずはおうちに帰らなくっちゃ。
だって、あられちゃんが、みんながまってるから。
「わたしはおうちに帰りたいの。夜子さん、帰り方わかる?」
「おうち、おうちねぇ。それはどこのことかな?」
「どこって……おうちは、おうちだよ……」
夜子さんの質問はなんだか意地悪で、わたしはなんて答えていいのかわからなかった。
おうちがどこにあるかなんて、それがわからないから困ってるのに。
どうやってここに来たのかわからないんだから、ここからどこにおうちがあるかなんて、わかんないよ。
「困ったなぁ。帰りたいところの場所がわからないのに、でも帰りたいなんて不思議なことを言う。自分がわからないところには、行くことも帰ることもできないんだよ。わからないってことは、君の認識にはないってことだ。君の認識にはないってことは、そもそもないのと同じかもね」
「お、おうちはあるよ……! だって、おうちにはお母さんがいるもん! わたし、ずっとお母さんと一緒におうちにいたもん!」
夜子さんの言っていることの意味はほとんどわからなかったけど、でもなんだかとっても嫌な気持ちになった。
おうちがないなんて、わたしの帰るところがないなんて、どうしてそんなこと言うんだろう。
わたしがおこって声を上げても、夜子さんはニヤニヤした顔を変えなかった。
「さぁそれはどうだろう。君はそれをどうやって証明する? 今までの君の人生が夢物語じゃないと、君はどうやって自信を持てる? 君の記憶にあるおうちは、お母さんは、お友達は、世界は、本当に存在するのかな?」
「そ、そんなむずかしいこと言われてもわたし、わかんないよ……! でも、全部全部あるもん。全部、わたしの大事なものだもん……!」
「ごめんごめん。別に君を怒らせたいわけじゃないんだよ。ただ、一つ教えてあげよう」
わたしが怒っても、夜子さんはぜんぜんあわてない。
大人の余裕とでもいうように、笑顔のまま落ち着いて、わたしをまぁまぁとなだめながら言う。
「それがなんであれ、そうと信じることが大切だ。逆を言えば、信じられなくなれば無いのと同じになってしまう。君が住む世界も、今いるこの世界も等しく
「……わかんない。夜子さんの言うこと、ぜんぜんわかんないよ」
「要はこういうことさ」
むずかしすぎて、夜子さんの言うことはぜんぜん頭に入ってこない。
ぶんぶん頭を振るわたしに、夜子さんはすこし優しい声をだした。
「君にとっての帰るべきおうちがあるのは、ここか、向こうか。それを決めるのは君自身で、それを指し示せるのは、君だけだ。君はどこに、帰りたいのかな?」
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