141 今と昔

 今まで忘れていたことが信じられなかった。


 七年前に『まほうつかいの国』を訪れた時のこと。

 そこで過ごした日々、出会った人々のこと。

 感じた想いや抱いた決意のこと。

 そして、その全てを失った五年前のこと。


 全部全部、ついさっきのことのように思い出せた。


 この記憶がなかったことが信じられない。

 忘れていた今までの私が信じられない。


 同時に、その空白を埋めていた記憶が偽りだったんだとハッキリわかってしまった。

 七年前の冬から五年前の夏までの、約一年半の間の記憶。

 この世界で、晴香や創と過ごした幼き日の記憶の一部。

 それは、全く存在しないものだった。


『まほうつかいの国』での出来事を経ていない、私じゃない私の記憶。

 改竄された、あるはずのない偽物の記憶だ。

 本当の私は、そこにはいなかったんだ。


「わたし────私は……そうだ、私はっ…………!」


 あの時の気持ちが蘇る。

 まだ幼かった時の気持ちだけれど、それでも自然に私の心に馴染む。

 私がすっかり忘れていた気持ち。でも確かに、今でも強く感じる気持ち。


 身体の内側から、心の内側から記憶と感情が渦巻いて込み上げてくる。

 今まで忘れ去っていた時間を取り戻すように、蓄積した分が塊になったように。

 激しい衝撃となって私の心を揺さぶる。


 一気に全てが還ってきて、私は自分のことで精一杯だった。

 今ここがどこで、周りに誰がいて、この場がどういう状況なのか、気にする余裕が全くなかった。

 ただ今は、内側から炸裂するものを受け止めるだけでやっとだった。


 大切だという気持ちが溢れて止まらない。

 あの時の想いが弾けて、弾けて弾けて、弾けて弾けて弾けて止まらない……!


 気が付けば私は、頭を抱えてその場に蹲っていた。


『まほうつかいの国』で過ごした掛け替えの無い日々。

 今までの私、そしてそれからの私の価値観を揺るがす、大切な思い出。

 それが一気に蘇って、心は受け入れても頭が混乱していた。


 私の心は、当時の気持ちによく馴染む。

 たった今の出来事のように感情が溢れる。

 けれど頭が、理性が異なる価値観と現実に齟齬を抱いていた。


『まほうつかいの国』での日々をとても大切に思っていた私。

 この世界のこの街での日々を大切に思っている私。

 その二つがぶつかり合って、混乱を通り越して真っ白になりそうだった。


「…………ぁぁぁああああああああ────!!!!」


 心が当時の感情に馴染めば馴染むほど、理性が戸惑う。

 お前にとっての本当はなんなのかと。


 思考が漂白されていく中で、心に溢れる気持ちが強く浮かび上がってきた。

 私の全部の気持ちだ。私自身が抱く全ての感情が、全て混ざり合って私の頭を、身体を満たす。


 大切なものを愛する気持ち。

 戦うと決めた覚悟。

 運命に対する恐怖。


 それに今も昔も関係ない。

 私という人間が感じている気持ち。

 そこに違いなんてない。


 そう、白んだ頭が徐々に理解し出した。

 私は私だ。どう足掻いたってそれは変わらない。

 全部私の気持ちなんだから、私自身の気持ちなんだから。


 その時の状況、環境で違うことを感じていたとしても。

 それでもこの私が思い、考えたものなのだから。

 それは全部同じだ。混乱する必要なんてない。迷う必要なんてない。


 全部を全部受け入れて、受け止めればいい。

 選ぶ必要なんてない。比べる必要なんてない。

 だって全部、私なんだから。


 ゆっくりと、ゆっくりとそんな考えが私の中に浮かんでくる。

 すると、真っ白になりかけた頭が色を取り戻してきた。

 同時に冷静さを取り戻してきて、周囲を気にする余裕が生まれた。


 蹲る私の目の前には、レイくんが緩やかな笑みを浮かべて立っている。

 後ろを振り向いてみれば、氷室さんを筆頭にみんなが私を心配そうに見つめていた。


 ぐるりと辺りを見渡して、みんなの顔を見て、熱した心がすぅーっと冷めてきた。

 どこか浮き上がっていた感情がゆっくりと地に落ちて、目の前にあるのが現実だと思えるようになってきた。


 そうだ。私は今、ここにいる。


 気持ちに飲み込まれて、わけがわからなくなってしまってはダメだ。

 いくら思い出したとしても、それは形のない内側のもの。

 今この場で地に足をつけていることを忘れてはダメだ。

 どんなに大切なことでも、それは過ぎ去った出来事で、私は今ここで生きているんだから。


 今自分がすべきこと、したいことをしないといけない。

 その為に、


 小さく深呼吸をして、私はゆっくりと立ち上がる。

 そして目の前に立つレイくんに目を向けた。


 私を愛しむように柔らかな視線を向けてくるレイくん。

 甘く艶やかな、愛するものに向けるような瞳。

 その表情を、私はよく


「…………レイくん」


 心に従って、私は口を開いた。

 封印が解けたことで、当時の気持ちを、抱いた決意を思い出した。

 今の私には、レイくんが私にとってどういう存在かよくわかる。


 だから、告げるべき言葉は決まっていた。


「レイくん、私────帰らなきゃ。『まほうつかいの国』に、帰らなきゃ……!」


 ただ心のままに、私はすべきことを口にした。

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