122 自由落下
蝶の羽に蒼い魔力が充填し、煌々と妖しく輝く。
大きく伸び広がるそれをアゲハさんは力強く羽ばたかせ、魔力を乗せた風圧の衝撃波を放った。
カノンさんとカルマちゃんは咄嗟に二人がかりで障壁を展開する。
真正面から衝撃波を受けた二人の障壁は、ビキビキと悲鳴を上げていて、今にも突破されそうだった。
「カノンさん! カルマちゃん!」
「────ちょ、アリス!」
あのままでは膨大なエネルギーの波に二人が飲み込まれてしまう。
そう思った瞬間、私は無意識に千鳥ちゃんの背中を蹴って飛び出していた。
電撃をまとって光速で直線的に飛び込む。
二人の頭上を飛び越えるように乗り込んで、落下の勢いに任せて『真理の
白い刀身は二人が張った障壁ごと荒れ狂う衝撃波を叩き切り、全てを打ち消した。
『自分から死にに来たわね、アリス!』
そうして剣を振り下ろした私に、アゲハさんの手が伸びた。
さっきカノンさんに折られた腕は既に回復していて、白い四本の腕が私に襲いかかってくる。
私は咄嗟に放電したけれど、そんなものはいとも簡単に振り払われた。
しかし、アゲハさんの腕は私には届かなかった。
その手が私に触れようとした瞬間、下から飛んできた氷室さんの氷の刃が全ての腕を弾いたからだ。
氷室さんはアゲハさんの手を阻むと、すぐさま巨大な氷の壁を間に作り出し、私たちを遮断した。
「────ったく、バカ! 無茶すんな!」
難を逃れた私の元に千鳥ちゃんが素早くやってきて、その背中で受け止めてくれた。
私がどさりと小さな背中に身体を預けて、しがみ付きながら謝ると、千鳥ちゃんはふんと鼻を鳴らした。
溜息をつきつつも、それ以上怒ってはこない。
カノンさんとカルマちゃんは、空中に透明な足場を作って宙で着地していた。
その脇に私たちが滞空すると、地上から氷のレールのようなものがくるくると伸びてきて、そこを滑り登ってきた氷室さんが合流した。
氷のレールからぴょんと飛び出した氷室さんは、カノンさんたちの足場に静かに着地して、私たちはみんなでまた肩を並べた。
その瞬間、氷室さんが作り出した氷の壁が粉砕した。
その崩壊を突き抜けて、人の腕ほどある触手のようなものが目にも止まらぬ速さで飛び込んできた。
その数四本。先端が鋭利に尖ったそれは、意思を持った槍のように一直線にこちらへと向かってくる。
それはあまりにも早かった。
氷の壁の崩壊と共に飛び出してきたそれに、私たちはほぼ反応ができなかった。
防御を張る余裕はなく、各々身体を逸らすのが精一杯。
唯一千鳥ちゃんは、ほぼ落下するような身の捩り方をして大幅にかわすことができた。
けれど他のみんなは上手くかわしきれず、剛速の触手が身体をかすめ、鋭利な先端によって傷を受けてしまった。
鋭さと素早さを持った攻撃は、掠めただけでも大きな傷を刻み、血が勢いよく吹き出すのが見えた。
「みんな!!!」
「舌噛むわよ!」
千鳥ちゃんと共に落下する中で、みんなが触手の猛襲を受け血を撒き散らすのを見た私は、血の気がひいて悲鳴のような叫びを上げてしまった。
そんな私に喝を入れるように声を上げた千鳥ちゃんが、翼を大きく羽ばたかせて急激な旋回を行った。
刹那、その横を剛速の触手が過ぎ去った。
さっきかわしたものが追尾して飛来してきたようだった。
通り過ぎた触手はすぐにその先端をこちらに向け、再び瞬きのような速度で突き進んでくる。
「しっかり掴まって! 振り落とさない自信がないから!」
千鳥ちゃんに言われるがまま、私はその首に片腕を巻き付けた。
さっき蝶たちに追われた時よりも、触手の追撃の方が更に素早く、千鳥ちゃんは渾身の速度で飛び回りながら小刻みに方向転換を繰り返す。
回避行動の全てを千鳥ちゃんに任せながら、私はみんなの方に目を向ける。
目まぐるしく変わる視点の中で、みんなが触手にぐるぐると巻き付かれているのが見て取れた。
「────みんなを助けないと!」
「わかっ、てる、けど……!」
くるくると身をくねらせながら千鳥ちゃんは詰まった声を上げた。
今は触手の追撃をかわすので精一杯のようだった。
「んぁあ! このままじゃ
そう言うが早いか、千鳥ちゃんは触手をかわして旋回しながらアゲハさんがいる方へと飛んだ。
見てみれば氷の壁はとっくに崩壊を終え、隔てるものは既になくなっていた。
クリアになった視界の先には、両の羽の先端の突起を長く伸ばしているアゲハさんの姿があった。
「千鳥ちゃん、またキャッチよろしく!」
「は、アンタまさか────」
アゲハさんへと急接近する中、私は返事を待たずに背中を蹴った。
アゲハさんの頭上に飛び上がり、『真理の
そして大きく二振り。魔力の織り混ざった斬撃を放ち、両羽から伸びる触手を切断した。
『アリス────! こんのぉ────!!!』
アゲハさんが悲鳴のような甲高い声を上げながら、頭上の私を見上げた。
その大きな口をこれでもかと開き、その中には蒼く光る魔力が満ち溢れた。
「だから、無茶すんなって、言ってんでしょーが!!!」
その口から魔力の光線が放たれる一瞬前に、千鳥ちゃんが私を背中でキャッチしてその直線上を離れた。
一拍遅れて光線が打ち上がり、それを吐き切るとすぐにアゲハさんが大きく羽ばたいて追いかけてきた。
『────────!!!』
咆哮を上げながら飛んでくるアゲハさん。
千鳥ちゃんはその姿に顔を引きつらせながら、距離を取ろうとぐんぐんと上昇した。
けれどアゲハさんの速度は凄まじく、なかなか離すことができない。
それでも上昇を続けていると、気がつけばとっくにビルの高さを通り越していた。
そう思った時、千鳥ちゃんの身体が急にぐらっと傾いた。
翼から少し力が抜けているのか、飛翔の勢いが落ちる。
転臨したばかりのまだ慣れない身体と翼で、無茶な飛び方をし続けたからかもしれない。
翼が強張り、羽根が荒く逆立っているのがわかった。
「っ…………!」
『ほら、言ったでしょ! 転臨なんかしたところで、アンタは私に敵わないのよ!』
動きが鈍った千鳥ちゃんに、アゲハさんが透かさず言い放った。
そして下方から無数のカマイタチを嵐のように撃ち放ってくる。
目に見えない真空の斬撃は、ただ空を切り裂く重い音だけを鳴り響かせて飛んでくる。
「っ────! ごめんアリス!」
途端、息を呑んだ千鳥ちゃんが物凄い勢いで身を捩った。
何故謝られたのか頭を捻る余裕もなく、私はその勢いのまま千鳥ちゃんの背中から放り出された。
次の瞬間、翼の動きが鈍って上手く空中移動できなくなっていた千鳥ちゃんに、カマイタチが到達した。
目に見えない斬撃がその身を切り刻み、白い翼に赤い線をいくつも描いた。
「千鳥ちゃん!」
重力に従って落下しながら、私は思わず悲鳴を上げた。
自分のこれから、着地の仕方を考えるよりも、千鳥ちゃんが全身から血を撒き散らしている光景に意識がいってしまう。
翼を傷付けられ、更に飛行が困難になった千鳥ちゃんにアゲハさんが上昇と共に突撃していく。
千鳥ちゃんは傷付いた身体を懸命に動かし、それを真っ向から受けようとしていた。
それをただ目で追いながら、私は落下していく。
基本的には魔法が使えない私には、ここから千鳥ちゃんのところまで飛んでいく
そもそも、自分一人でちゃんと着地できるのかも怪しかった。
千鳥ちゃんの元へ助けにいくにしても、まずは自分のことを考えないと。
ようやくそう思ったはいいけれど、ビュンビュンと風を切って落下する自分の体を、どうすれば安全に着地させられるのか全く見当がつかなかった。
地面に叩きつけられるまであと何秒なのか。
まとまらない思考の中で、そんなことを考え出した時だった。
「────よっと。おいおい、紐なしバンジーでもやってたのかい? 君に自由落下の趣味があるとは思わなかったよ」
急にどしんと、重くも柔らかな衝撃に見舞われた。
不意に訪れた衝撃に私は慌てて首を回すと、いつの間にか私の落下は終わっていて、すぐそばに夜子さんの呆れたような顔があった。
どうやら、私は夜子さんにキャッチされたようだった。
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