108 やるべきこと
「奴は何も思っちゃいない。何にもね。そういう奴なんだよ。そんな奴に何をぶつけたって虚しいだけさ。だから君がそう思っていること、それそのものが大事だと私は思うよ。その気持ちを胸に、君は自分が本当にやるべきことをやりなさい」
「アタシが、本当にやるべきこと……」
夜子の言葉を受け、カノンはぐっと唇を噛んだ。
ゆっくりと夜子の先にいるケインに目を向けてみれば、彼は呑気に柔和な笑みを浮かべてこちらを観察していた。
その姿を見て、カノンは気が付いてしまった。
ロード・ケインは、自分に対して何も思うところがないと。
先日突如現れた時から、彼はカノンに対して個人的な感情を一切向けてはこなかった。
カノンが魔女狩りを裏切ったことや、魔法使いの理念に反し魔女に肩入れしていること。
そういった彼女の行動に、ケインは何の感情も示さなかった。
それはつまり、何にも思っていないということ。
ケインにとってカノンは、都合のいい駒であるという以上の感情はなく、故に何も咎めることがなかった。
自身の行いに責任を感じ、自分のルーツにケジメをつけようと感じていた彼女の気持ちは、それを踏まえれば空振りもいいところ。
ならば。だとすれば。
カノンがその胸の内に抱える感情を向けるべきは何なのか。
打っても響かず、それどころかのらりくらりとかわされる相手にぶつけるのが正しいのか。
責任を感じるからこそ、ケジメをつけたいと思うからこそ、友を守ることに目を向けるべきではないのか。
カノンは一度グッと拳を握り、そしてそれを開いてから息を吐いて体の力を抜いた。
「────わかった。アタシは、アリスを守る」
「そうか」
眼下に意識を向けて頷くカノンに、夜子は短く答えた。
変わらぬ笑みを浮かべる彼女が、一体何を考えているのかは誰にもわからない。
「だが、アンタはどうする。アンタが代わりにロード・ケインと戦うのか?」
「いやぁ。奴は私と正面からやり合う度胸なんてないだろう。君たちを見送ったら、呑気に思い出話に花を咲かせるさ」
その言葉が本心かどうか、カノンにはわからなかった。
しかし絶えず緩やかな笑みを浮かべる夜子には余裕が溢れており、心配をするべくもないということが窺えた。
少なくとも自分よりはマシだろうと、カノンはそれ以上深く考えないことにした。
「話はまとまったのかな?」
雰囲気を察したのか、ケインがのっそりと声を上げた。
夜子相手に気を抜けないとはいえ、彼も
その佇まいは余裕然としていて、物腰は落ち着いている。
「ああ、お陰様でね。不意打ちをされなかったからゆっくり話ができたよ」
「僕は紳士的な男だぜ? そんな卑怯な真似はしないよ」
くるりとケインに向き直った夜子は、悠長な口振りで微笑んだ。
それに対するケインの返答に、呆れたように息を吐く。
「どの口が言うんだか…………まぁいいさ。カノンちゃんたちにはアリスちゃんのフォローに行ってもらう。この場の荒事はおしまいさ。暇なら私が話相手になってやってもいいよ」
「なるほど。良いんだか悪いんだか。困っちゃうねぇまったく」
ハハと眉を上げて笑うケイン。
その笑みに込められた本意は誰にもわからない。
しかし今更誰もそれを気にしなかった。
「……ロード・ケイン」
そんなケインに、カノンはポツリと口を開いた。
「アタシは、てめぇを許さない。てめぇがアリスやアタシたちにしたことを、許すことはできねぇ。けどそれは後回しだ。てめぇみたいな奴の相手をしてるよりも、アタシにはやらなきゃいけねぇことがある」
「そっか。残念だけれど、もう殴られなくて済むと思うとホッとしちゃうなぁ」
吐き出すようなカノンの言葉に、ケインはニッコリと微笑んだ。
それが彼女を敵とみなしていない舐めきった態度であることは明白で、カノンはガリッと歯軋りした。
けれどそれだけ。ケインに対して感情をぶつけるのは無駄であると、カノンはもう理解していた。
「だけど覚えとけ。これ以上何かするってんなら、次こそはアタシが、どんな手を使ってでもぶっ潰す」
「大丈夫、安心してよ。僕はもう何もしないよ。君の癇に触るようなことは、もうね」
やや含みのある言い方ではあったが、カノンは追求する気にもなれなかった。
もうそれは、時間の無駄でしかないから。
最後にケインをひと睨みし、そして夜子に目を向ける。
まるで世間話を眺めるようにゆらゆらと笑みを浮かべている夜子は、ほんの少しだけ頷いた。
それを見届けたカノンは、もうそれ以上口を開かずケインに背を向けた。
叩きのめすことはできなかったが、一矢報いることはできた。それで良いと納得することにする。
彼をギャフンと言わせたいのなら、アリスを守りきりその計画を破綻させれば良い。
それもまた想定通りと言う顔が容易に想像できたが、それでもあっとは言わせられるだろう。
カノンは無言でカルマに目配せし、屋上の柵に手をかける。
彼女の気持ちはもう完全に切り替わっていた。
下で渦巻く禍々しい魔力に身の毛がよだつ思いがし、冷たい汗が背中を伝う。
だからこそ、早く駆けつけて助けてやらなければならない。
カノンは振り返らずに柵を飛び越えて下へと飛び降りた。
それに続いたカルマは、一人楽しそうにニコニコと笑っていた。
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