40 報い

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 レイに担がれたアリスの姿が小さくなっていき、そして見えなくなっていく。

 未だ体が思うように動かない千鳥は、ただその姿を目で追うことしかできなかった。

 それは傍にいるカノンとカルマも同様で、まるで連れ去られるようにこの場を去ったアリスの後を追える者はいなかった。


「アンタたち、一体、何を……」


 クロアの魔法によって徐々に体の痛みが引いていくのを感じながら、千鳥は正面に立つクロアに問いかけた。

 クロアは相対するアゲハから目を逸らさないまま、穏やかに答えた。


「この場はお任せくださいませ。そして、あなた方の身の安全も保証致します。それこそが、姫様のお望みになられていることですから」

「そのアリスを、どこに連れて行ったのよ……!」

「安全な場所へと。ご心配せずとも、わたくしたちが姫様に危害を加えるようなことは致しません。そこな裏切り者と一緒にされては困ります」


 クロアの口調は柔らかだが、アゲハに対するトゲに溢れていた。

 クロアを、そしてレイを全面的に信用するのは難しいが、本来のワルプルギスは姫君であるアリスに危害を加えるような輩ではない。

 千鳥は苦い顔をしながらも、それ以上口を挟まなかった。


 喚き散らしたところで、今の自分にはそれ以上のことはできないと自覚していたからだ。

 アリスの後を追うことも、アゲハとの戦闘を続けることも。

 今は大人しく治癒の魔法の恩恵に預かる他ないと。


 しかし、カノンは違った。


「はいそうですかって、簡単に納得できるかよ。アリスを目の届かない所に連れてかれて、安心なんかできるか」


 まだまだふらつく身体に鞭を打って、危なげな足取りで立ち上がるカノン。

 震える身体とは対照的に、炎が燃えるような強い瞳でクロアの背中を睨みつける。


「アイツの相手をしてくれるってのは万々歳だがよ、アリスをここに戻せ。安全な場所つっても、そんなの安心できるかよ」

「威勢がよろしいことで……。ですがどうか冷静にお考えください。今のあなた方では姫様をお守りしきれない。現状こそがその証拠です。姫様の身の安全を考えれば、どうすれば良いかなど明白」


 力を振り絞って吠えるカノンに、クロアは落ち着いた口調で返した。

 聞き分けの悪い子供を丁寧に説き伏せるような声色で。


「心中お察し致しますが、どうかご理解の程を。姫様の身を案じるのは、わたくし共とて同じなのですから」

「っ……! けど、それでもアタシはっ……!」

「では、少々心苦しくはありますが……」


 それでも噛み付くカノンに、クロアは残念そうに短い溜息をついた。

 するとカノンの足元から黒いもやがスライムのようにドロッと溢れ、彼女の体をぐるぐると緩く包んで縛り上げた。


「なんだ、これは……! クソ、放せ!」

「申し訳ありませんが、今はどうか大人しく回復に努めて頂ければと。あなたが無理をして身体を壊せば、姫様は悲しまれるでしょう」

「カノンちゃーん、今は大人しくしてるのがベストだと、カルマちゃんも思うなぁ〜。あんまり熱血ど根性してると、本当に死んじゃうよ?」


 黒いもやに絡まれてもがくカノンに、カルマが戯けながらも冷静な言葉を投げた。

 普段よりワントーン低いその言葉に、カノンは呻いた。


「お姫様が心配なのはわかるけどぉ〜、でもカノンちゃんが無理して死んじゃったらまくらちゃんが悲しむわけだしねん。その辺りのこと、ちゃーんと考えてもらわないとカルマちゃん困っちゃうんですけどぉー」

「うっ……わ、わかってる…………わかってるさ……」


 朗らかな笑みの中に含まれるジトっとした恨みがましい目に、カノンは言葉を詰まらせながら頷く。

 アリスのことも友人として大切だが、自分にとって今一番大切に思っているものは何なのか。

 それを冷静に考えれば、過剰な無理などできるわけもない。


 完全に納得とまではいかなかったが、しかしそれでカノンは大人しくなった。

 そんなカノンから黒いもやを解いたクロアは、彼女がペタンと座り込むの見届けてから、高く掲げていた日傘から手を放した。


 キラキラと淡い光を放ちながら三人を癒していた日傘は、ふわりと宙に浮いたままクロアの元を離れて三人の頭上に移動した。

 傘下に光り輝く治癒の魔法を降り注がせるその様は、傘が光の雨を降らせているようだった。


 淡い光が三人をドームのように包んで、癒しの空間を作り上げる。

 闇夜の中で温かく輝くその空間に、敵意の入り込む余地などなかった。

 千鳥もカノンも、そしてカルマも、今はその治癒を甘んじて受け入れる。


「さて、お待ち頂いてありがとうござます、アゲハさん。隙をついて逃げられてしまうのではないかと、内心ヒヤヒヤしておりました」

「そんなことできるわけないっしょ。アンタ、ソイツらとくっちゃべってる間も私に死ぬほど殺気向けてたじゃない。私がピクリとでも動いたら、すぐさま仕掛けてきたでしょ?」


 向き直りながらにっこりと微笑むクロアに、アゲハは引き攣った笑みで返す。

 穏和な風体のクロアだが、そこから放たれる禍々しい殺気を肌で感じていた。


「まぁ、そんなはしたないことは致しません。ですが確かに、あなたを逃がすつもりもございませんでしたが」

「ホント、アンタとは気が合わないわ。無害そうな顔して、腹の内では何考えてるかわかったもんじゃない。アンタみたいなのが、一番薄気味悪くて嫌いなのよ」

「それは残念ながらお互い様というものでしょう。わたくしも、あなたの奔放さと気ままさは理解しかねる部分がございます。それでもわたくしは、あなたとできる限り仲良くしたいと思っておりました……」


 残念そうに嘆息するクロア。

 それは恐らく彼女の本心。しかし、アゲハは疑り深い目を彼女に向けていた。

 その視線に、クロアは眉を寄せる。


「まぁしょーがないよね。私たち違う人間なんだし。わかり合えないことだってあるっしょ。一応、仲間だったとしてもさ……!」

「えぇえぇ、左様でございますねぇ。ですから致し方ないことなのでしょう。あなたがわたくしたちを裏切ったのですから。その報いを受けて頂くのは。わたくしが手を下すことは」


 クロアからおぞましい魔力が吹き出し、黒いドレスのスカートの中から深い闇が溢れ出した。

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