7 どこにも行かない
「なぁ、アリス。さっきの人ってさぁ」
夜子さんを見送ってから二人で歩き出してしばらくした頃。創が唐突にポツリと口を開いた。
さっきの人、というのが夜子のことを指していることは明らかだった。
「あの人、アリスの知り合いなんだよな」
「う、うん。まぁね」
両手をズボンのポケットに突っ込んで、ムスッとした顔で言う創。
こちらに顔を向けてくるわけじゃなくて、飽くまでなんの気ないという風に尋ねてくる。
「じゃああの人は、お前が今抱えてる問題に関係してる人ってことか」
「……うん。そんな感じかな。色々力を貸してもらったり、してるの」
直球的な質問に、歯切れが悪くなりながらもなんとか答える。
まぁ正直夜子さんは見るからに普通じゃないから、一般人である創が何か不穏なものを感じても仕方ないとは思う。
「……そっか」
私の答えに創はそう小さく相槌を打って、それから黙ってしまった。
私が今持つ悩みについて深入りをしないようにしてくれているんだ。
詮索をしないで私のやりたいようにさせようとしてくれている。
その心遣いはとても嬉しかったし、そうして欲しいと思う。
今私に降りかかっている問題は、到底創に説明できるものじゃないし。
でも同時に、このままでいいのかなと思ってしまう。
創は確かに無関係だけれど、私は確実に影響を与えてしまっているから。
私を取り巻く不穏な空気は確実に感じ取っているだろうし、私の普通じゃない行動も心配してくれている。
何より、創の中から晴香を消してしまった。
そしてそもそも、私が記憶を封印されて偽物の記憶を与えられたのと同じように、周囲の人たちの記憶も弄られて帳尻を合わされている。
私はもう、どうしようもなく創を巻き込んでしまっている。
だからといって今、全てを創に話すことはできないけれど。
でも私は創に対して、もっと誠実でいなきゃいけないんじゃないのかな。
大切な幼馴染として、親友として。とっても私のことを心配してくれる創に、私は誠意を持って……。
「ねぇ、創……」
心と頭がぐるぐる回って、何をどうしたらいいのか正解は見えてこない。
でも気がつけば私は創へと手を伸ばしていて、制服の袖をちょこんと摘んでいた。
創は横目で私のことを窺い見て、私の次の言葉を待っていた。
「…………」
口を開いてみたはいいものの、何をなんて言うべきかわからなかった。
でも、創にもっと何かを言わなきゃいけないって、そう思って。
全てを話すことはできなくても、創にも知らなくちゃいけないことはあるはずだから。
袖を摘んで俯きながら付いて歩く私を、創は急かさなかった。
ただ静かに、私が切り出すのを待ってくれている。
普段だったらぶつくさ文句を言うだろうに、こういう時は目ざとく察して優しくなるんだからズルい。
そんな創に、私は心を決めた。
大したことは話せない。けれど、だからといって逃げていていいことでもない。
私は創にちゃんと話さなきゃいけないんだ。私には、きっとその責任がある。
「……あの、さ。創は最近、何か忘れてることない?」
「なんだよ、藪から棒に」
私の問いかけに創は訝しげな顔をした。
それから考えを巡らせるように空を仰ぎ見る。
「何かさ、大切なことを忘れてたり、しない?」
「大切なこと……? なんかあったか?」
「ごめん、意地悪な聞き方しちゃったね」
困ったように眉を寄せる創に、私は苦笑いで謝る。
創に忘れている自覚があるのか気になって、変な聞き方をしてしまった。
はじめからなかったものになっていることは、忘れているも何もないんだ。
「あのね、創。変なことに聞こえるかもしれないけど、創は今大切なことを忘れてしまってるの。私たちにとって、すごく大切なものを」
「…………」
「でもそれは創だけじゃなくて、私たちの周りの人みんなが。そしてそれは、私のせい。私は創から、大切なものを奪ってしまったの」
いつのまにか袖を摘んでいた指は腕を掴んでいた。
縋るように絡まる指を、創は払おうとはしない。
朝は手を繋ぐのすら恥ずかしがっていたクセに。
「ごめんね。こんなこと言って、創を混乱させるだけかもしれない。頭おかしいって思われても仕方ないんだけど。でも、創にはちゃんと話しておかなきゃって……」
「思わねぇよ、そんなこと」
真っ直ぐ前を向いて歩きながら、創はポツリと言った。
普段と変わらぬ気軽な調子で、でもその声はどこか温かさを感じた。
「お前の言葉を、俺は疑ったりしない。俺は誰の言葉よりもお前の言葉を信じる。だってお前は、
「創……」
創の全幅の信頼が痛いほど伝わってきた。
足を止めることなく、顔も向けず、ただ普通に歩いている中での言葉。
それは、私たちの日常の中にある当たり前の信頼なんだとわかった。
「それに、ちょっと変な気はしてたんだ。お前に言われるまで忘れてるってことには気付かなかったけどさ。なんていうか、心にぽっかり穴が空いてる気はしてたんだ。何かが抜け落ちてる気がさ」
「…………」
記憶を消してなかったことのしても、人の心に染み付いた想いを消すことはできない。
晴香の記憶や痕跡が消えても、晴香を想う気持ちや大切だと感じる記憶は決してなくなったりしないんだ。
「……私たちにはね、もう一人大切な幼馴染がいたの。太陽みたいな晴れやかな、とっても思い遣りのある優しい幼馴染が」
「…………。そう、か」
創は少しだけハッとしたように眉を上げ、小さく頷いた。
そんなこと言われたって困ってしまうだろうに、私の言葉にしっかりと耳を傾けてくれた。
「ごめんね。何がどうなってるとか、ちゃんとしたことは話せないのに。でも創には、忘れていることを知る権利があると思って……」
これは私の自己満足かもしれないと思う気持ちもある。
自分の責任を逃れるために、気持ちをスッキリためにしていることなんじゃないかって。
でも、私たちにとって晴香はかけがえのない存在だったから。
何もかも知らないままなんて、そっちの方が残酷だと思ったんだ。
「いや、話してくれてよかった。この心の空白がなんなのかわかっただけで少しスッキリした。それに、話してくれたのはお前がそれだけ俺らのこと想ってくれてるってことだろ。謝る必要ねぇよ」
「ありがとう、創……」
「けどさ、アリス。俺はその話を聞いて余計心配なったよ」
そこでようやく創は私の方を見て、少し寂しそうな顔をした。
脇をきゅっと締めて、彼の腕に絡んでいる私の手を捕まえるように体で挟んだ。
ひょろっこいクセに妙にゴツゴツしている創の体は、とっても男の子だった。
「お前、とんでもないことに巻き込まれてるってことだろ。アイツみたいにお前もいなくなるのは、俺は嫌だ」
それは、創にしてはとても素直な言葉だった。
普段は口が悪くてツンケンしているのに。
けれどそれが創の本心だってことはもちろんわかる。
意外なのはそれをストレートに告げてきたことだった。
「大丈夫だよ。私はどこにも行かない。創の前からいなくなったりなんてしないよ。約束する」
私が知らない記憶の中に何があるのか、今の私ではわからない。
けれどこの世界で友達と過ごす生活こそが、やっぱり私には一番大切だから。
創の元を離れて別のところに行こうなんて、これっぽっちも思わない。
安心させようと腕に強く手を絡めて身を寄せると、創は少し恥ずかしそうにしながらも大人しく受け入れてくれた。
生まれた時からずっと一緒の幼馴染。私たちはこれからもずっと一緒だ。
この生活を、私は絶対崩したくないんだ。
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