4 湯浴み

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『まほうつかいの国』。その国外れに深く暗い森がある。

 その最奥に、石造りの荘厳な神殿がひっそりと佇んでいる。

 歴史の表舞台からは存在が抹消された、全ての魔の根源、ドルミーレを祀る神殿。


 長い年月の経過を感じさせる白い石の柱が連なる、ギリシャ建築を思わせるその神殿は、森に木々に覆われてその存在を隠していた。

 神殿は照らす灯りはなく、月の光すら深い森の中には届いていない。

 しかし神殿全体から滲み出る禍々しい魔力が、確かにそこにがあると伝えていた。


 この神殿こそがワルプルギスの本拠地だ。

『始まりの魔女』ドルミーレ及び、それを宿す姫君を崇め奉る彼女たちにとっては、まさにうってつけの場所。

 その神殿の一角に、大きな浴場がある。

 石造りの清らかな浴場は、さながら宮殿のもののような絢爛豪華さだ。


 温かな湯に満たされた円形の浴槽は、十数人は入れるほどに大きい。

 石造りの彫像が飾られ、室内を揺らめく炎の灯りが厳かに雰囲気を作り出している。

 そんな広い浴場で、女が一人湯に身を委ねていた。


 果てがないかのように長い艶やかな黒髪を、頭の上で大きな団子状に結わいている。

 曝け出された絹のような滑らかなうなじ、そしてそれからなる大理石のように白い背中はとても扇情的だ。

 細身のシルエットは湯に隠れて窺い知れないが、露わになっている胸元から上だけでも、洗練された造形は察するに余りある。

 大人びて落ち着いた淡麗な和風美人は、一糸まとわぬ姿で静かに湯に浸っていた。


 レジスタンス・ワルプルギスのリーダー、ホワイト。かつての名を白純しらすみ 真奈実まなみ

 かつては金盛かなもり 善子よしこの親友であり、同じ魔女として時を過ごした彼女。

 しかし今やワルプルギスを率いる者として、こちらの世界に居を構えていた。

 魔女である自分の正義を貫くため、彼女は突き進む道を選んだのだ。


「湯浴みの最中に現れるのは、些か無礼が過ぎますよ」


 ホワイトは背後に気配を感じ、冷ややかに言い放った。

 浴槽の縁に背を預けたまま、特に振り向くそぶりも見せずにただ嗜める。


「まぁいいじゃないか。僕らの仲だしさ」


 咎められた相手は特に気にする様子を見せず、にこりと笑ってホワイトの背後に立った。

 黒いニット帽を被り、黒いブルゾンに黒いジーンズ。凡そ浴室内では相応しくない格好で現れたのは、レイだった。

 ホワイトの背中を眺めながら、レイは一人でニンマリと愉快そうに微笑んだ。


「…………」


 そんなレイにポツリと溜息をついてから、ホワイトは腰を上げて立ち上がった。

 湯の雫が流線的な体をなぞって落ちていく。一切の穢れがない無垢な肉体を、ホワイトは惜しむことなくレイに晒した。

 胸の膨らみはややなだらかで、僅かな曲線を雫が舐めている。

 しかし細く締まった腰回りが女性的なシルエットを強調し、細やかな女性らしさを醸し出してる。


 慎ましやかに細く長い脚を湯船から出し縁に腰掛けたホワイトに、レイが恭しくお辞儀をしながらバスローブを差し出した。

 絹のバスローブをふわりと羽織り、ホワイトは平坦な表情でレイを見た。


「姫君のご様子はいかがです?」

「至って順調さ。封印を解く鍵は手に入れたし、彼女の準備も着実に進んでる。解放の時は近いよ」

「それは僥倖」


 ジーンズのポケットに手を突っ込み、砕けた調子で話すレイ。

 リーダーであるホワイトを敬うそぶりを窺わせつつも、その態度は気が抜けている。

 しかしホワイトはその様子をさして気に留めておらず、報告に淡々と耳を傾けていた。


「僕としてはいつでも解放に着手できる。あとはタイミングかな。そっちの進行はどうだい?」

「こちらも滞りなく。始祖様を迎え入れる準備は万全です」

「じゃあ後はこっちの問題か。まぁそれも、もうすぐの話だけどね」


 レイはほくそ笑んでゆっくりとホワイトに近付いた。

 静かな浴場に水を踏む音だけが響く。

 レイはホワイトの目の前までやってくると、躊躇うことなく片膝をついた。

 そしてゆっくりと手を伸ばすと、そっとホワイトの頬を撫でた。


「そろそろ頃合いだ。アリスちゃん自身もかつてを強く追い求めている。自分自身を知り、そしてその奥の真実を望んでいる。きっと今の彼女なら、全てを受け入れられるだろう」

「我らが麗しの姫殿下。わたくしたちの希望の光。早くお迎えしたいものです」

「ああ。君の正義を完遂するためには、アリスちゃんの力は必要不可欠だけらね」


 ホワイトが掲げる正義。レジスタンスとしてのワルプルギスの在り方。

 それは虐げられる存在である魔女が、自由に生きることのできる世界の創造。

 魔女を虐げる悪しきものを滅ぼし、世界を本来の在り方に戻すこと。


 頬を撫でるレイの手に、ホワイトは自らの手を添えた。

 そしてまるで愛おしむようにそっと微笑み、柔らかな瞳でレイを見下ろした。


「姫殿下が覚醒なされるのであれば、わたくしも再び赴かなければ。姫殿下の御身は我らの元に。魔法使いになど渡せません」

「もちろんだとも。アリスちゃんの帰還を持って僕らの計画は結末へと動き出す。その記念すべき折に、君は必要さ。その時はちゃんとお呼びするよ」


 かつてはあちらの世界の住人であったホワイトにとって、それは帰還だ。

 しかし自らの使命を胸に抱き、正義に邁進する彼女に帰郷の考えなどなかった。

 それは飽くまで必要なことのため。魔女と姫君のこと以外、彼女の頭にはない。

 それを熱意ととるか冷徹ととるか。しかしそれが正しさに生きる彼女の在り方だった。


「……ところで、はどうです? あなたから見て」

「あぁ……まぁいつも通りさ。好きに動き出してるよ。魔女狩りも切羽詰まってきているようだし、向こうから指示が出ているんだろうね」

「左様ですか。問題はないのですね?」

「全くないよ。むしろ奴らの出方がわかっていいくらいさ。今のところは好きにさせておくつもりだよ」


 レイの言葉にホワイトは頷く。

 姫君に関するあちらの世界での実働は全てレイに任せている。

 そのレイの判断ならば自分が疑ぐりを向ける必要はないと、ホワイトは安堵した。


「我がワルプルギスに裏切り者とは……悲しいことですね」

「君が気に病む必要はないさ。君が掲げる正義に準じず、私利私欲に走るような輩のことなんてね」


 ひっそりと目を伏せるホワイトに、レイは甘い声で囁きながら顔を近付けた。

 もう片方の手で反対の頬を包み、優しい笑顔を向ける。

 ワルプルギスのリーダーは厳粛であり絶対であり不可侵の存在。

 属する魔女たちは皆、彼女を敬い立てる。

 そんなホワイトを、レイは一人の少女にするのと同じように触れていた。


「君の正義は絶対だ。君こそが正義だ。それがわからない奴は、全員悪なんだ。だから君はただ、自分の正義を信じてみんなを引っ張っていけばいいのさ。付いて来られない奴のことなんて、君は考えなくていいんだよ」

「ええ。わたくしこそが正義。わたくし以外は全て悪。わかっています。わたくしがしていることは、何も間違ってなどいないのです」


 レイの言葉に頷きながら、ホワイトはまるで自分に言い聞かせるように言った。

 そして近付いてくるレイの顔を見て、すっと瞼を閉じる。

 落ち着きのある大人びた風格は影を潜め、その瞬間は一人のただの少女のようだった。


「大丈夫、僕がついているからね。君は、君が思うままに。ただ白く、無垢であればいい」


 レイの唇がホワイトの唇に触れた。

 顔を滑らかな手で覆われ、柔らかな唇を押し付けられたホワイトは、うっとりとその感触を味わっていた。

 その行為に心満たされてるように。心も体も委ねているように。

 その唇に、虜にされているように。




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