78 生への執着

 魔女の魔法は、決して魔法使いに効かないわけではない。

 魔法使いにとって対処が容易だというだけだ。

 ならば対処する暇を与えず攻撃をすれば、ダメージは必ず与えられる。


 スクルドに休む暇を与えず、対処を考える暇を与えず、氷室は次の攻撃を仕掛けた。

 炎の炸裂を受けて怯んだスクルドの懐に入り込み、氷の槍を作り出してその胸に目掛けて突き出した。

 近距離下方からの速攻。かわす暇はなく、一直線に氷の刃が突撃する。


「その程度で不意をついたつもりか」


 氷の槍は、スクルドの胸に触れた瞬間弾けた。

 その胸を穿つことなく、触れた時には魔法としての力を打ち消された。

 完全に意識の外から放った攻撃のはずだったが、それでもスクルドは瞬時に対処してみせた。


「あまり、調子にのるな……!」


 氷の槍を失った氷室の腹にカウンターの蹴りが突き刺さった。

 魔力を伴う蹴りを受けた氷室は、ショットガンに撃ち抜かれたような衝撃を覚えながら吹き飛んだ。

 小柄な少女とはいえ、人一人が軽々と吹き飛ぶ強烈な一撃。

 宙に放られた氷室は腹部の強烈な衝撃に視界を眩ませながらも、何とか意識を保った。


 無造作に地面に身体を打ち付けて、衝撃が氷室を襲う。

 それすらも堪えて立ち上がろうとするも、蹴りの衝撃が大きくうまく足を立てることができなかった。


「……その力、一体どういうことだ」


 うずくまる氷室に近づいたスクルドが、冷たく碧い瞳で見下ろして静かに尋ねた。

 その声には若干の怒りが混ざっており、冷徹さは更に増していた。

 氷室は地面に手をついて身体を持ち上げながら、挫けぬ瞳でスクルドを見返した。


「魔女であるお前の力としては些か過剰だ。お前に、そんな力などなかったはずだ。僅かであれ、私に届く魔法など……」

「……私、だけの力ではない。これは、繋がる力。彼女との繋がりが、私を強くしてくれる……」

「姫君からの恩恵か。魔女ごときが……」


 スクルドは目を細め、吐き捨てるように言った。

 それは氷室個人に向けた言葉というよりは、姫君が魔女と繋がりを持つものであるという、摂理そのものに向けられているようだった。


「……ヘイル。しばらく見ないうちにお前は変わったな」

「…………」

「孤独こそがお前だった。心を閉ざし、感情を潜めて生きていた。今のような激情など、想像もできなかった」


 スクルドは薄っすらと笑みを浮かべ、淡々と口にした。

 対する氷室は表情を変えることはなく、しかし薄く唇を噛んだ。


「他人を頼り、繋がりに縋る。昔のお前からは想像ができない。まぁ、私に言わせればそんなものは何の役にも立たない。他人に寄せる感情など無駄だ。そんなものに惑わされているようでは、お前は私に敵わないさ」

「……あなたには、わからない。人と共にあれるという、喜びは」


 氷室は力を振り絞って立ち上がり、吐き出すように言葉を述べた。

 強い意志を持ってスクルドを見て、足に力を入れて地面を踏みしめる。


「孤独に生きるよりも、誰かを想っていた方が、幸せ。誰かに想ってもらえれば、それは力になる。けれど……あなたはそれを知らない。だからあなたには、わからない」

「わからなくていい。わかる必要もない。私は、我が家は代々魔女狩りの頂に立つ者だ。強者には他者など必要ない。不要なものに向ける感情はなく、害するものは切り捨てる。群れる必要などなく、私は独りで完成しているのだから」


 スクルドの落ち着いた言葉に揺らぎはない。

 冷徹な暗い瞳も、淡々と語られる平坦な言葉も、全てを無駄だと卑下しているようだ。

 強き者に、優秀な者に、余計なものは必要ないと。不要なものは、ただ切り捨てればいいと。

 その佇まいが、彼の在り方を表していた。


「……あなたはそれで良くても、私はそれを良しとは思わない。不要とされたものの想いが、私はわかるから。そして、誰かに必要とされる喜びを、私は知ったから」

「この問答も意味はない。ヘイル、お前が何を言おうと、お前は私には敵わないのだから」

「…………」


 決定的に考え方が違う相手とは、どうしたってわかりあえない。

 それはわかりきっていて、だから氷室は、もうわかり合おうとも思ってはいなかった。

 でも、ただ目をそらすだけでは駄目だと思ったから。逃げているだけでは、駄目だと思ったから。


 アリスは、目を逸らしてもいいと言ったけれど。逃げてもいいと言ったけれど。

 スクルドの在り方はアリスとの友情を拒絶するものだから。新しい自分の在り方を否定するものだから。

 それには、立ち向かわなければいけないと思った。


 過去の出来事や、それによる因縁は、この心と身体に恐怖として刻み込まれている。

 今にも逃げ出してしまいたいけれど、それでも立ち向かうのは、アリスとの繋がりがあるから。

 想い合うこの心の繋がりがあれば、目の前の恐怖に打ち勝てると思ったから。

 だから、氷室は最後の瞬間まで諦めない。


「……私は諦めない。あなたに何を言われても、あなたに手が届かなくても。生きることだけは、決して諦めない……!」


 力の限り魔力を膨れ上がらせる。

 自身が持てる限りの力を引き寄せて、心の繋がりを持ってアリスの力を借りる。

 涼やかなスカイブルーの瞳に強く熱い炎が灯り、スクルドを射殺すかのごとく睨んだ。


「……ヘイル。お前はやっぱり、変わったな」


 そんな氷室を冷ややかな目で見つめ、スクルドはポツリと言った。

 冷静な表情は、力を凝縮させた氷室を前にしても揺るがず、あくまで淡々とその様子を眺めている。

 しかし、そんな氷室の瞳を見据えて、ほんの少しだけ訝しげに眉を寄せた。


「私の知るお前は、そこまで生き汚くはなかった。心を閉ざし、孤独を友としていたお前は、生に無頓着だった。そこまで生に執着している姿は……奴を思い出す。姫君が、お前を変えたのか……」


 スクルドは独言る。

 生きることに執着し、最後の瞬間まで諦めることをしない氷室を見て、かつてに想いを馳せる。

 目の前で力の限りを振り絞る姿を目にしても、その力に焦りを見せることはなかった。

 ロード・スクルドはあくまで冷静に、強者然として不動の姿勢で構えている。


「……まぁ今となってはなんでも構わない。今度こそ私の手でお前の息の根を止めよう。ヘイル」

「私は……ヘイルじゃない。私は────氷室 霰……!!!」


 友がくれた名を叫ぶ。

 かつての名は、捨てられ不必要とされた時の名は、もう自分ではないと。

 今自分を必要としてくれる、掛け替えのない友達が呼んでくれる名前こそが、自分だと。


 力の限り、自分自身を証明するように叫んで、氷室は魔法を繰り出した。

 氷室が大きく手を振り上げると、彼女を中心に極寒の冷気が渦まいた。

 天高く突き上げた手の先に向かって、嵐のような力の渦が寒気を伴って蠢く。


 舞い上がる風は凍てつく刃のごとく鋭さを持ち、可視化された冷気と魔力の渦が氷室を包み込む。

 小型のハリケーンのように渦巻いた冷気の奔流は、やがて片腕に凝縮し、氷室をはその腕を大きく引いた。


 触れたものを飲み込む災害を片腕にまとい、その腕を中心に冷気の波動が周囲に波打つ。

 その渦に更に業火を走らせ、冷気と灼熱が入り混じったエレルギーは腕の中ではち切れんばかりに轟音をあげる。

 一瞬でも気を抜けば暴発してしまうであろう矛盾した力の渦を、氷室は根気で押し込めていた。


「私はもう過去に囚われない。彼女が求める私こそが、私だから────!!!」


 力の限り腕を突き出し、その瞬間に押さえ込んでいた力を解放する。

 一点に集中していた嵐のごとき力の渦が炸裂し、凍てつく冷気と燃え上がる炎が共存するトルネードが放たれた。

 地面を抉り空気を引き裂き、触れるものを凍らせながら燃やし尽くして、大渦がスクルドを襲った。


「────────!!!」


 人が触れれば跡形もなく滅ぼされるであろう力の塊。

 災害のごとく押し寄せる圧倒的な暴力の渦。

 スクルドはその渾身の一撃に思わず目を見開いた。


 できの悪い、力のない妹だと見くびっていた氷室から放たれた強大な魔法。

 それをまともに受ければ、ただでは済まないことは明白だった。

 入り混じり乱れる氷結と灼熱の渦は、押さえ込まれていた力の炸裂により瞬く間に眼前に迫る。


「ヘイル、お前は────」


 トルネードがスクルドを飲み込まんと迫った瞬間、時が止まったかのように全てが停止した。


「私には、勝てないよ」


 時が止まったのではない。全てのものが凍りつき、停止しただけだった。

 スクルドに迫る力の渦も、全て圧倒的な冷却によって凍り付いていた。

 形あるものも、ないものも。そこに存在しているのならば凍てつき停止する。

 冷気も、炎も、風も、力も。スクルドの手によって、全て凍結した。


「っ……………………!?」


 渾身の力で放った魔法をいとも簡単に打ち破られた氷室は、力なく膝を折った。

 実力差が圧倒的すぎた。ロード・スクルドが扱う氷の魔法に、凍てつかせることのできないものなどなかった。


 凍てついたトルネードが砕け散り、ただの力となって霧散する。

 スクルドはその脇を静かに歩いて、地に膝をついて項垂れる氷室の眼前までやってくる。

 絶望の色に染まった氷室は、それでも抵抗しようと顔をあげた。

 しかしたった今見せつけられた越えられない壁に、指一本動かすことが出来ず、ただ力なく睨みあげることしかできなかった。


「助けて、アリスちゃん…………!」


 静かに伸ばされるスクルドの手を恐怖の色で見つめながら、氷室の口は無意識に愛しき友の名を呼んだ。




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