73 約束

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 レオとアリアは、平凡な魔法使いの家に生まれた。

 お互い家族間の付き合いが深く、幼い頃から共に過ごすことの多かった二人は、幼馴染だった。


 気性は荒く粗暴な節はあるが、誰よりも情に厚く熱意に満ちた少年だったレオ。

 腕っ節ではレオに敵うべくもないが、思慮深く理知的な少女だったアリア。


 魔法使いとしては平均的な地位の家庭で育った二人。

 しかし『まほうつかいの国』においては、魔法使いであるというだけで既に特権階級だった。

 魔法使いが統べる国ではあるが、もちろん誰しもが魔法使いなわけではない。

 魔法は特別なものであり、神秘であり、秘匿されるべきもの。

 それを扱う術を持つ者は、特別な存在だからだ。


 だからこそ二人は魔法使いとしては平凡な家庭であっても、同年代の子供たちよりは裕福な暮らしをしていた。

 食べるものに困ったことも、着るものに困ったことも、寝る場所に困ったこともありはしない。

 何不自由なく育ち、ゆくゆくは家を継ぐ者として教育を受けていた。


 そんなある日二人は、異郷からの来訪者と遭遇した。

 花園 アリスとの邂逅が、二人の人生を変えた。

 夢を見て、空想を描き、理想に心躍らせる純粋な少女との出会いが、彼らの価値観を変えた。


 平凡な魔法使いとして成長し、やがては国家へと尽くすことになるであろう将来は、そこから切り替わった。

 アリスと出会った二人は、彼女の運命に巻き込まれる形で生まれ育った街を離れ、国中を冒険する旅へ出ることになった。


 様々な人との出会いがあり、逃れようのない戦いもあった。

 けれど三人の旅路は不思議と発見に溢れており、巡る世界は常に煌びやかに映った。

 やがて悪政を敷く女王と相対し、そしてその戦い終える時まで、三人の日々は確かに喜びと楽しみに満ちていた。


 共に笑い合い、共に苦難に立ち向かい、共に涙を流し、共に幸せを分かち合った。

 三人にとって『まほうつかいの国』を巡る冒険は、何にも代え難い夢のような日々と言えた。


『始まりの力』によって女王を打ち倒したことにより、アリスは国の姫君として迎えられた。

 レオとアリアにとってそれは喜ばしいことであり、けれど同時に寂しくもあった。

 常に共にいた友が、急に手の届かない存在になってしまったからだ。


 姫君の友人として、共に女王に立ち向かった者として、会うことはできた。

 しかし昼夜を問わず行動を共にしてきた二人にとっては、やはりそれは壁に感じられた。


 これからもまたアリスの側にいるために、二人は王族特務を目指すことを決めた。

 魔法使いの中でも特に優秀な者のみが選出される王族特務。

 生半可な魔法使いでは到底、姫君の側に侍ることはできない。


 幼いながらも国中を旅してきた二人は、実戦経験や実際的な魔法は、並みの魔法使いよりも秀でていた。

 理知的で元より勉学に向いていたアリアはもちろんのこと、体を動かす方が性に合っていたレオも、確実に優秀な魔法使いとして育っていた。


 日々を勉学と修練に費やし、しかしアリスの元へ訪れるのも忘れない。

 そんな日々を一年程過ごした頃のこと。時は、現在より約五年前頃の事。


 レオとアリアはいつもと同じように王城の王座の間に訪れていた。

 一面純白に満ちた、穢れなき神聖な空間だ。

 磨き上げられた大理石の床。キラキラと日の光を反射する豪華絢爛なシャンデリア。

 細部まで精巧に作り込まれた装飾に彩られた柱や、壁面。

 その最奥に、アリスが座す玉座があった。


 白を基調としてデザインされた空間の中で、唯一強い色を放つ王座。

 金色に輝く枠組みに、真紅の布地が張られたその椅子は、大の大人が座ったとしても少し大きすぎるくらいに威風堂々たる構えだった。

 それ故に、十一歳の少女が座るにはあまりにも巨大すぎて、脚は床に着かずぷらぷらと遊んでいた。


 交わされるのはたわいもない会話。

 レオもアリアも、ここへ訪れる時は努めてそうするようにしていた。

 姫君となり国を治める立場に祭り上げられたアリスは、幼いながらも国営の只中に立たされている。

 自分たちとの時間くらいは、普通の少女のように無邪気であって欲しかったからだ。


「────ねぇ、レオ」


 長いこと話し込んで、そろそろ帰ると立ち去ろうとした時だった。

 アリスが不意に声をかけ、レオはパタリと足を止めた。

 一足先を歩いていたアリアはそれに気付かず先に部屋を後にしてしまう。

 レオが振り返ってアリスに目を向けると、そこには少し無理に作った笑顔があった。


 可愛らしいフリルがヒラヒラと舞う、純白のワンピースドレスを着たアリス。

 一国の姫君らしく清楚に可憐に、しかしまだ幼い少女が身にまとうにふさわしい、愛らしい花柄の衣装。

 いつもニコニコと笑顔を浮かべるの彼女によく似合う、清廉な居住まい。


 けれどそっと声を上げたその表情は、何かを憂うように陰っていた。

 好奇心と想像力に溢れ、英気と元気に満ちた普段の彼女からは想像のし難い、暗い表情。

 先ほどまではにこやかに話していたアリスの変わりように、レオは戸惑いを隠せなかった。


「前に言ってたよね? 二人は王族特務の魔法使いになって、またわたしと一緒にいてくれるって」

「ああ、言ったぜ。そのために毎日頑張ってるさ。アリアはガリ勉野郎だから、ずっと机にかじりついてるよ」


 表情とは裏腹に、普段と同じように語りかけてくるアリスに、レオも平静で返した。

 レオの答えにアリスは嬉しそうに少しだけ笑みを浮かべて、でもやはり何かを憂う目をレオに向けた。


「すごいね。ありがとう、わたしのために頑張ってくれて」

「どうってことねぇよ。俺たちがお前といたから頑張ってるんだ」

「うん。でもさ、例えば他になりたいものないの?」

「なりたいもの?」


 アリスの思うところがわからないレオは、ひとまず心配をかけまいと朗らかに応えた。

 しかしアリスの口からでた突拍子も無い言葉に思わず首を傾げる。


「うん。例えば……魔女狩り、とか」

「魔女狩りって……アリス、お前……」


 アリスの口から出るものとは思えない言葉に、レオは思わず目を見開いてまじまじと見つめてしまった。

 アリスは今や『まほうつかいの国』の姫君だが、元々魔女とも親交が深い。

 魔女に対する差別や偏見を快く思ってはおらず、実際に魔女の友達もいる。

 それのほとんどはレオとアリアが出会う前の出来事で、彼は深くは知らないが。

 しかしアリスが魔女狩りのことをあまりよく思っていないことは知っていた。


「ごめん、レオ。ちょっと言ってみただけ……」

「けど、アリス……」

「ちょっと思っちゃったの。もし、わたしの中の魔女がいなくなったらって……」

「それは────」


 少し遠くを見つめてひっそりと呟くアリスに、レオはかける言葉が見つからず、開いた口は空をかいた。

 アリスが持つ『始まりの力』は、古の魔女ドルミーレであるということは、冒険旅の中で判明したことだった。

 あらゆる魔法の原点であり、そして今世界に蔓延る『魔女ウィルス』の原因。全ての魔女の始祖。


 アリスの中でドルミーレが眠っているからこそ、彼女は『始まりの力』として、その大いなる力を振るうことができる。


「……ねぇレオ。お願いが、あるの」

「なんだよ、改まって」


 レオにまっすぐ目を向け、ゆったりとした笑みを浮かべるアリス。

 その表情があまりにも柔らかく、レオは逆に不安に駆られた。

 その口から、何が飛び出してくるのかと、身構えてしまった。


「これから、きっと色々なことがあると思うの。わたしのこの力が原因になって、きっと大変なことが起きる気がするの。だからわたしはそうならないように、したいと思ってる」

「………………?」

「もし、もしね? 色んなことが上手くいかなくて、もうどうしようもなくなっちゃった時は……レオ、あなたがわたしを……わたしごと、あの人を殺して欲しいの」

「お、お前、何を言って────!」


 予想を上回るアリスの言葉に、レオは全身から汗が噴き出すのを感じた。

 冷たい汗が全身を伝い、体の温度を奪っていく。

 その言葉から想起される光景が頭にこびりついて、手が震えた。

 けれどアリスは変わらぬ穏やかな笑みをレオに向けていた。


「それからね、レオ。もう一つあるの。わたしはきっと、二人とは離れ離れになっちゃうと思うから。だから、アリアのことをよろしくね。もし万が一、わたしとアリア、どっちかを選ばなくちゃいけなくなった時は、アリアのことを選んであげて。迷ったりしちゃ、ダメだよ?」

「おいアリス……! お前一体何を────」

「お願いレオ。わたし、レオだから頼んでるの」


 何も説明しないまま、ただ一方的に無茶苦茶な要求をするアリス。

 もちろんそんなこと受け入れられるはずもなく、レオは反射的に声を上げた。

 しかしアリスは冷静に、声色を変えることなく優しく諭すように言った。


「わがままだってわかってる。でも、お願い。約束して……」

「っ────────」


 反論のために開いた口は、しかし言葉を紡ぐことはできなかった。

 アリスが、あまりにも決然とした表情をしていたからだ。

 覚悟を決め、この先を見据え、何かを成そうとしている顔をしていたからだ。


 それが自己中心的な行動でないことは、親友であるレオには理解できたからだ。

 アリスがすることはいつも誰かのためで、友達のためで。

 だからアリスはまた、きっと自分たちのために何かを決断したんだと。


 だからレオは、何も言葉を返すことができず、ただ頷くことしかできなかった。

 せめてその覚悟を共に受け止めて、約束を結んでやることこそが、今できることだと思ったからだ。

 アリスの願いを聞き、そして共にいてやることで、アリスを支えていこうと思ったからだ。


「ありがとうレオ。頼りにしてるよ」


 そんなレオの無言の頷きに、アリスは嬉しそうに微笑んだ。

 けれどその笑顔の裏には確かに寂しさが見え隠れしていて、レオは居たたまれなくなり目を伏せた。


 大丈夫だとレオは自分に言い聞かせる。

 その約束を実行するような、万が一なんて起こさなければいいだけだと。


 しかしその数日後。レオとアリアは、アリスの消失を知ることとなったのだった。




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