68 高笑い
飛び込んだ眩い光が晴れると、そこは小さな森だった。
膝丈ほどしかない木々。最早細部を見て取ることのできない産毛のような草花。
ここはドルミーレがいる場所だった。
この小さな森から闇に飲み込まれて堕ちていったのだから、這い出せばここに辿り着くんだ。
けれど周囲を見渡してみてもドルミーレの姿はなくて、彼女が寛いでいたテーブルセットも見当たらなかった。
おまけに氷室さんの光もいなくなっていた。
闇の底から出口まで案内してくれた氷室さんは、私が出口の光を潜るのと同時にどこかへ行ってしまった。
ここまで来れば、あとは一人で何とかできるってことなのかな。
これからどうしようと思っていると、またしても頭上からふわふわと光が降りてきた。
淡く白い輝きを放つ光の玉。あれには見覚えがあった。
昨日の晩、夢の中で巨大な森の中を案内してくれた光と同じだ。
『お姫様』は確かあの光のことを────
「晴香!」
心に浮かんだその名前を叫ぶと、白い光は微笑むように瞬いて私の目の前に降りてきた。
さっきの氷室さんと同じように光の玉のままだ。
でも晴香は昨日もそうだったし、死んでしまっているから透子ちゃんとはまた状況が違うのかもしれない。
晴香はまるで子犬がじゃれつくように私の周りをくるくる回ってから、昨晩と同じように私を先導して前に進み出した。
これからどこへ行けばいいのか、案内しようとしてくれているんだ。
少し近く思える空は清々しく晴れていて、見渡す限りに生い茂る小さな木々は瑞々しい。
大きさこそ違うけれど、全体的な雰囲気は巨大な森とは変わらない。
穏やかで豊かで静かな森。あの怪しげなドルミーレがいる場所とは到底思えなかった。
変わり映えのしない景色の中を、晴香に続いて歩いていく。
晴香は氷室さんのように私に語りかけてはくれなくて、だから私も何だか声をかけるのを躊躇ってしまった。
でもその温かさは確かに伝わってきて、今でもこうして共にあって繋がっているんだということだけは実感できた。
しばらく歩き続けると、ようやく小さな森の中にあのテーブルセットが見えてきた。
そしてそこには案の定ドルミーレが寛いでいた。
さっき会った時と変わらず、淡々とした表情でカップを傾けている。
私と交代すると言っていたからここにはいないかも、と思っていたけれど。
一応ドルミーレは封印されているし、その強大な力でめちゃくちゃなことができたとしても、完全にここから外に出ることはできないのかもしれない。
「あら、出てきたの。意外とやるじゃない」
私がテーブル越しに目の前まで来たところで、ドルミーレはようやく気付いたのか呑気な声で言った。
余裕を浮かべた表情に、ほんの僅かだけびっくりとしたように目を開いて。
けれど飽くまで予想の範囲内だとでもいうように、落ち着いた調子は崩さない。
「うん。ここまで帰ってきたよ。友達が導いてくれたの。あなたが不要なものだと言った、友達との繋がりが私を助けてくれたんだよ」
「そう」
ぐっと睨んで強く主張してみれば、ドルミーレは興味がなさそうに息を吐いた。
私の傍で揺らめく晴香の光を一瞥してから、私に視線を戻して目を細める。
「まぁいいわ。お座りなさない。ちゃんとここまで這い上がってきたんだもの。約束通り話くらい聞いてあげる」
「そんな時間、私にはないよ。私の用件はただ一つ。早く私を元に戻して」
ドルミーレの誘いをピシャリと断って、私は半ば叫ぶように訴えた。
私と同じ顔をしているドルミーレは、不機嫌そうに眉をピクリと動かして冷ややかな視線を向けてきた。
けれど私に無理強いをする気はなさそうで、それ以上促してくることはなかった。
「戻ってどうするというの? むざむざ殺される? 私はそんなのまっぴらごめんよ。あなたには、死なれたら困るの」
「死なないよ。私は死なない。戻って私は、もう一度レオに向き合う。私が持てるもの全てを使って、彼とわかり合うためにぶつかるんだよ」
「ばかばかしい。話にならないわね」
ドルミーレは不機嫌そうに、少し乱暴にカップを置いた。
ソーサーとぶつかるガチャンという音が、静かな森の中で一際目立って聞こえた。
「彼はあなたを、そして私を殺そうとしている。その彼と、一体どうわかり合おうというの? あなたのお得意の友達ごっこ?」
「そうだよ。私たちは、どんなにすれ違っても、立場が違っても、忘れていても、心は繋がっている。あなたの知らないところで、理解のできないところで、私たちは繋がってるの。だから絶対、わかり合える道はあるんだよ」
今の私が知らなくても、実感できなくても、私の中にいるかつての私が彼らを感じてる。
その想いと繋がりがあれば、糸口は必ずある。
レオが今抱えている問題。そして二人が何故私を救おうとしているのか。それはまだわからない。
でも、彼らが抱く真実と夢描く理想。それと今の私の現実を織り合わせることは、絶対にできるはずなんだ。
「そんな不確かで不安定なものに、全てを託すというの? 抜け殻のような今のあなたに、この窮地を脱することができると? 私の手で何もかも葬り去った方が、よっぽど簡単でしょうに」
「不確かで不安定かどうかは、もう証明したでしょ。ここまで私を
「…………」
舌打ちでもしそうな勢いでドルミーレは顔をしかめた。
それでも私よりも大人びている彼女は、その気品さ故にそんな乱暴な仕草はしなかった。
けれど、不機嫌さはその上品な表情を歪めている。
「確かに、あなたのめちゃくちゃな力を使って力任せに事を終わらせた方が楽かもしれない。でも、これは私の人生だから。これは、私の喧嘩だから。あなたに手を出されるいわれはないよ……!」
いくら私の中にある力だからといって、口を出されては堪ったものじゃない。
私の人生で、私の修羅場だ。その道の進み方も、対処の仕方も、解決の仕方も、決めるのは私だ。
「私の中にいるあなたにとっては、それで万が一のことがあったら堪ったものじゃないかもしれない。でも────言わせてもらうけど────そんなの私の知ったことじゃない! 私と私の友達の問題に、勝手に首を突っ込まないで!」
『始まりの魔女』がどれだけ偉いのか知らないけど、私の生き方に口を挟むなんて許せない。
大昔に存在していた魔女が、死んだはずの魔女が、一体どうしてどんなつもりで私の中にいるのか知らないけれど。
ここは私の身体で私の心だ。好き勝手なんて、絶対にさせるもんか。
彼女の力を使っている身ではあるけれど、それはドルミーレが私の中にいるのがいけないんだから仕方ない。
でもドルミーレが私の邪魔をするのは話が別だ。
力の限り、腹の底から声を出して大見得を切る。
そんな私のことを冷たい目で見ていたドルミーレは、突然ぷっと吹き出した。
堪え切れない笑いをこぼしたかと思うと、大口を開けて笑い出す。
落ち着いていて上品で、どこかの貴婦人のように優雅に振舞っているドルミーレとは思えないほどの高らかな笑いだった。
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