64 大切な親友を
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「これは、どういうこと…………?」
公園の隅、木々の影に身を潜めて二人の戦いを見守っていたアリアは、ただ呆然とその光景を見つめていた。
受け入れ難く、そして理解し難い現状。予想だにしていなかった展開に、アリアは開いた口が塞がらなかった。
アリスとレオの戦い。それだけならば問題はなかった。
いや、突き詰めればその時点で既に問題ではあったが、そこには目を瞑ってその先を見据えていた。
力をほぼ使いこなせていないアリスをレオが圧倒するということも、当然といえば当然の流れ。
しかし、これは予想していなかった。
少なくともアリアは、こうなるとは微塵も思ってなどいなかった。
アリスが持つ『始まりの力』の根源たるドルミーレ。
封印され眠りについていたはずの彼女が今ここで顔を出すなど、予想できるわけがなかった。
確かに先日、ワルプルギスの魔女との戦いの折、アリスは似たような状態に陥っていた。
深淵が顔を覗かせ、今の彼女からは想像もできない力を発揮していた。
しかし今はその時とは状況が違う。アリスはレオとの対話を望んでいたはずなのだから。
あんな無差別な力に頼ろうとなんて、思うはずがないのだから。
「どうしよう……私、どうしたら……」
「あらあら。いつの間にやら大変なことになりましたねぇ」
歯を食いしばって拳を固く握り、震える体を必死で抑えている時だった。
アリアの傍にクロアがすぅっと現れ、呑気な笑みを浮かべて言葉を漏らした。
その声はどこか浮き足立ち、気分がやや高揚していることが窺えた。
「あなた……! これも、あなたの思惑通りだと言うの!?」
「いえ、いいえいいえ。わたくしも流石にここまでのことは。始祖様を引きづり出そうなどとは恐れ多い。わたくしにもこれは予想外なことでございます」
今にも飛び掛かりそうな勢いで噛み付くアリアに、クロアは慌てて顔の前で手を振った。
そんなクロアの仕草に苛立ちを覚えつつも、アリアは怒りを抑えて二人の戦いに目を向けた。
「これじゃあ収まるものも収まらないでしょ……」
戦いと呼べるものでは、到底なかった。
攻防は一方的かつ圧倒的。レオの魔法は微塵もドルミーレには届かず、当然刃が届くこともない。
黒く染まった『真理の
彼女から繰り出される魔法は、一魔法使いの身で受けるには格が違いすぎた。
レオは辛うじて致命傷を避けてはいたが、その体には多くの傷が刻まれている。
左腕は業火を受けてコートの袖の肩から先が焼け消えていた。赤くただれ、更には所々黒ずんでいる肌が晒されている。
右脚の太ももは剣で貫かれた傷が大きく開き、魔法で止血しているも既にその脚を赤く染めていた。
片腕片脚は完全に使い物にはならず、それ以外も決して小さくない傷が、レオの体力を削いでいた。
レオは片膝をつき、荒い呼吸で脂汗を滲ませながら、僅かに浮かび上がっているドルミーレを憎々しげに睨んでいる。
対するドルミーレは無傷を貫き、余裕な面持ちと冷徹な眼で見下ろしていた。
それはもう戦いなどではなく、一方的な虐殺に近い。
レオは辛うじて命を繋いではいるが、いつ摘み取られたとしてもおかしくはなかった。
「このまま戦いを続けさせて、何か意味があるというの? あなたは、一体何を企んでいるの!?」
「申したではありませんか。始祖様の出現はわたくしの意図したところではございません。ですが、そうですねぇ。このままもう少し様子を見るのも、よろしいかと」
「え!?」
楽しそうに頰を綻ばせ、上機嫌に二人を眺めるクロアに、アリアは怒りを堪えきれずに掴みかかった。
しかしそれでもクロアは冷静に、その穏やかな笑みをアリアへと向けた。
「そう焦らずとも、あなたの思い描く最悪の事態にはならないでしょう。ご安心ください」
「どうして……どうしてそんなことが言い切れるの! だって今のあれは、アリスじゃないのに……! レオがこのままあの手で殺されてしまうかも……!」
「姫様の御心はお強い。必ずや始祖様に打ち勝ってくださるでしょう」
「そんなの、ただの推測じゃない……!」
やんわりとした手つきで放すよう促すクロア。
アリアはそれでも食ってかかりたい気持ちをぐっと堪えて、やや乱暴に手を放した。
それでも、クロアを感情のままに叩きのめしたい気持ちが渦巻いて、それを必死で押し留めた。
今自分がすべきことは、ここでこの魔女と争うことではない。二人の戦いから目を離さないことだ。
そもそも本来であれば、戦うことになること自体を回避するべきだった。
しかしその戦いの果てにアリスが自身の何かを掴み、かつてのあの頃を取り戻してくれるなら、と魔女の甘言に乗ってしまった。
自分ではもうレオを止めることはできない。
彼が何故アリスの殺害に踏み切ったのか、その理由も未だわからない。
けれど、任務だと言って国を発つ時のレオの表情があまりにも重々しく、アリアは放っておくことができなかった。
だからこそこうして後を追ってきたというのに。結局、何もできていない。
何かを抱え苦しんでいるレオのことも、かつてを失い、それでも運命に囚われているアリスのことも、どちらも救うことができない。
アリアは自らの無力さを呪わずにはいられなかった。
ただ叫び、喚き、赤子のように泣き叫んでいるだけだ。
二人のために何一つできていないと、アリアは唇を噛んだ。
「だから……なに。できてないからって、やらない理由にはならないでしょ」
自分に言い聞かせるように独言る。
非力さを嘆くのは簡単で、何もしないことはもっと簡単で。
過ぎたことを悔やみ、それを言い訳に足を踏み出さないということに、一体何の意味があるというのか。
何かを成したいと思うのなら、結果を生み出したいと思うのなら、動くしかない。
それが例え不可能だと思うことでも、とてつもない逆境であろうとも。
叶えたい願いがあるのなら、力の限り足掻くしかない。
『もうお終いね。思っていたよりも歯ごたえが無くてつまらなかったけれど、まぁ頑張った方かしらね』
「くそっ……」
地面に崩れ身体を支えることも叶わないレオに、ドルミーレは黒い『真理の
もう戦うことはおろか、自らの足で立つこともできないレオに、止めを刺そうとしている。
『残念だったわね。分相応に生きていればもっと長生きできたでしょうに。背伸びして私に手を出そうなんてするから、こうやって早死にするのよ』
「うる、せぇよ。お前さえ、いなけりゃ……!」
『それは無意味な仮定よ。だって、私はずっと私だもの』
冷徹に言い放ったドルミーレが静かに腕を上げた。
手に持つ一振りの『真理の
アリアはその光景に覚悟を決めた。
迷っている暇はない。決断する時間すらない。
心の思うままに、身体は勝手についていった。
「やめなさい────!」
ドルミーレが振り上げた剣を、レオの首めがけて振り下ろそうとした直前。アリアは隅の影から飛び出した。
あら、と驚きの声を上げるクロアなど無視し、一直線に飛び込んで二人の間に割って入る。
ドルミーレの足元から無数の鎖を打ち出し、その身体に絡みつかせて動きを止めた。
四肢をがんじらめにし、振り上げた腕を固定する。
空中に展開した無数の魔法陣からも鎖は放たれ、四方八方から飛び交うそれでドルミーレは完全に動きを封じた。
「アリア……!? どうしてお前がここに!」
「そんなこと、どうでもいいでしょう。それよりもシャンとしなよ、みっともない……!」
背後から弱々しくも驚きの声を上げるレオに、アリアはバツが悪そうに背を向けながら、しかし強気の声で檄を飛ばした。
大人しく鎖に縛られているドルミーレからは、一瞬たりとも目を離さない。
『…………』
ドルミーレは自身に巻きついた鎖をつまらなさそうに一瞥すると、小さく溜息をついた。
特に何かをする仕草は見せなかったが、突如として鎖が全て弾け飛んだ。
アリアとレオは驚きつつも仕方がないと受け入れる。
魔法の原初であるドルミーレに、魔法で敵うはずがないということは、元よりわかっていたことだからだ。
一呼吸のうちに鎖を全て弾き飛ばしたドルミーレは、立ちはだかるアリアを見て鼻を鳴らした。
つまらなさそうに、興味がなさそうに冷ややかな視線を向ける。
『あなたも、私のこと殺したいの?』
「……ノーコメントってことに、しておく。でもレオを殺させたりなんてしない。それにアリスを、私の大切な親友を返してもらないと」
『そう。なら、あなたもまとめて殺しましょうか。一人も二人もさして違いはないのだし』
アリアの返答を聞いていたのかいないのか。
どちらにしろ殺しておくことに変わりがないのだから、そもそも質問に意味などなかったのか。
目の前に立ちはだかるものは全て排除すると言わんばかりに、ドルミーレは再び剣を振り上げた。
「一旦引くよ……!」
ドルミーレと戦ったところで敵わない。
魔法において紛れもなく最強の存在であるドルミーレに、正面から戦いを挑んだところで勝ち目はない。
アリアは倒れ伏すレオを引っ張り上げて肩に担ぎ、急ぎ戦線離脱を図った。
『させるわけないでしょう』
しかし、ドルミーレの冷めた言葉にその思惑は散った。
ただ一言、ドルミーレがそう言っただけで二人は空間に縫い付けられたかのように動けなくなった。
指一本動かせず、瞬き一つできない。完全にその場に、その一瞬の状態で固定されていた。
『残念ね、本当に。この子の大切な親友であるあなたたちを、この手で殺さなければいけないなんてね。でも、あなたたちがいけないのよ。余計なことを考えなければよかった、ただそれだけなんだから』
黒い『真理の
黒々と禍々しい闇の底のような厚塗りの魔力。
ただ一振り、力なく振り下ろしただけでも一帯全てを消し飛ばさんばかりの、集約した高エネルギー。
『さようなら』
そこに感情は伴わない。
力なく、意味もなく、ただ振り上げたものを下ろすだけの単純な作業。
しかしそれによって起きる破滅は、絶望以外の何物でもない。
完全に身動きを封じられたアリアとレオは、ただ振り下ろされる死を受け入れるしかなかった。
アリスの顔で、しかしアリスではない者の手で、終わらされるのをただ待つことしかできなかった。
黒き一閃が力なく振り下ろされようとした、その時だった。
「アリスちゃん、ダメ────!!!」
『────!?』
氷室が突然渦中に飛び込み、ドルミーレの背中に抱きついた。
渾身の力でその身体を抱きしめ、悲鳴のように叫んだ氷室の声に、ドルミーレの腕がぴたりと止まった。
ドルミーレに集約していた魔力は突如として解け、その腕はだらりと下げられた。
突然の氷室の介入に、アリアとレオは事態についていけない。
しかし、それによってドルミーレの動きが停止したことは明白だった。
重苦しい魔力と殺伐とした空気に満たされていた一帯は、一瞬にして静寂に包まれた。
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