57 思えばこそ

「クロアさん……!」

「姫様、ご無事で何よりでございます」


 赤い夕日を背に受けて、クロアさんはにっこりと微笑んだ。

 真っ黒なドレスは相変わらず。濃い色の光を受けていることで、より闇のような深さを感じた。

 日傘を差しているから顔元に影がかかって、その白すぎる肌色の顔をどんよりと不穏に感じさせた。


 けれど伝わってくる不吉さとは正反対に、にこやかなクロアさんは明るく朗らかだ。

 私に会えたことがとても嬉しいんだろうとわかってしまうほどに、とても機嫌がよさそうに見えた。


 氷室さんは警戒して私の一歩前に出たけれど、昨日助けてもらった手前か、強い視線を向けるだけに止まっていた。


「クロアさん、あの、昨日はありがとうございました。危ないところを助けてもらって……」

「お気にならないでください。姫様の身の安全を守るのは当然のことですから」


 私がぺこりと頭を下げてお礼を言うと、クロアさんはゆったりと余裕を持った笑みで応えた。

 ワルプルギスの魔女は決して良い組織とは言えないけれど、だからといって私にとって明確に敵というわけではない。

 それにクロアさんは今のところ私に色々と良くしてくれているし。

 してもらった恩義にはちゃんと感謝をしなくちゃいけない。


「あの、ロード・スクルドはあの後どうしたんですか?」

「あの方とはしっかりお話をさせて頂いて、ご理解を頂きました。姫様に害を為すことはないでしょう。ご安心ください」

「話って、一体……? 魔女狩りが魔女を見逃すほどの何かがあったんですか?」

「それは大人の問題でございます。姫様はお気になさらなくて結構ですよ」


 魔女狩りは魔女を徹底的に殺そうとしてくるし、ましてや相手はその中でもお偉いさんで、クロアさんはレジスタンス。

 その組み合わせでは、普通に考えれば争いは免れないように思えるけれど。

 でも明らかに話したくないというかわし方をされてしまっては、あまりしつこく追求することはできなかった。


 どんなやり取りがあったのかはわからないけれど、危険がないのならばそれで良い、と思って良いのかな。

 ロード・スクルドの執着具合から見て、簡単に諦めるとは考えにくくはあるけれど。


「ところで姫様。わたくしがこうして参りましたのは、少しお話をさせて頂きたいからなのです。少しお時間を頂戴してもよろしいでしょうか」

「えっと、今ですか……?」


 手を合わせてニコニコと伺いを立ててくるクロアさん。

 これから夜子さんを訪ねに行こうとしていたところではあるんだけれど、別段約束をしているわけではないから急いではいない。

 もしロード・スクルドが襲ってくる心配がないのなら、差し迫る心配も一つ減るわけで。


 どうしようかと氷室さんに顔を向けると、少し迷いを見せながらも小さく頷いてきた。

 昨日助けてもらった手前あまり無碍にできないし、用件くらいは聞いてあげた方がいいかもしれない。


「わかりました、少しだけなら。氷室さんも一緒でいいですよね?」

「もちろんでございますとも。ありがとうございます、姫様」


 もしかしたら二人きりで、と言われるかと思ったけれど、クロアさんは氷室さんの同行を全く気にしていなさそうだった。

 寧ろ一緒の方が安心でしょう、とでもいう風だった。

 実際そうだし、やっぱり今はまだ氷室さんと離れたくなかったからホッとした。

 クロアさんの言葉を信じるならばロード・スクルドが襲ってくることはないだろうけれど、昨日の今日だし心配だから。


「それでは場所を移しましょうか。立ち話もなんですので」


 クロアさんは嬉しそうに声色高く、ウキウキとした様子で歩き出して、私たちは顔を見合わせてからその後に付いて歩き出した。

 私は少なからず残る不安を誤魔化すように氷室さんの手を握った。

 クロアさんは私に良くしてくれるけれど、だからといって全面的に信頼できるとも言い切れないから。


 氷室さんもクロアさんの背中を訝しげに見つめながら私の手をしっかりと握り返してくれた。

 その手からは確かな警戒と不安の色が伝わってくる。

 クロアさんは見た目穏やかだけれど、彼女もまた転臨を果たしている魔女だ。

 昨日のあの絡みつくような蛸の姿を思い出すと身の毛がよだつ。


 クロアさんの先導の元やって来たのは、昨日も訪れた街外れの公園だった。

 街外れということもあって、夕方の今はもう人気がなかった。

 確かに夜子さんの廃ビルに向かっていた私たちの現在位置から近いし、腰を落ち着ける場所としてはおかしくない場所。

 けれど昨日ここで色々あった身としては少し複雑な気分ではあった。


「さぁ、どうぞこちらへ」


 クロアさんはベンチの端に座ると横をぽんぽんと叩いた。

 お友達でもあるまいし流石に近すぎるのではないかと思いつつ、だからといって他に座る所もない。

 仕方なく私たちは同じベンチに腰掛けることにした。

 一応出来るだけ離れて座って、氷室さんとは手を固く繋いだままで。


「それで、話って何ですか……?」

「えぇ、実はわたくし、これといって用件があるわけではないのです。ただここで、少し時を共にして頂ければと……」

「え…………はい?」


 眉を寄せて困ったように、てへっと笑みを浮かべるクロアさん。

 こっちとしてはどんな話が飛び出してくるのかと身構えていたのに拍子抜けだった。

 でも思えば昨日会った時も、ただお喋りがしたいと言って喫茶店に連れ込まれたんだった。

 これもその類ってことなのかな……?


「ただそうですねぇ。強いて言うとすれば、姫様の健やかなお姿を拝見したい、という気持ちはございますねぇ」

「は、はぁ……」


 健やかな姿って言われてもなぁ。

 そんな親戚のお姉さんみたいなことを言われても挨拶に困る。

 隣の氷室さんも無表情ながらも、余計に警戒心を強めているように見えた。

 目的が見えなさすぎるのは逆に不安を煽る。


 でもこの人は最初からそうと言えばそうだ。

 ワルプルギスの目的のために動いているよりは、ひたすらに私のことばかり考えているように見える。

 でもそう考えると、ただ単に私とお喋りがしたいだけ、元気な姿を見たいだけ、というのはクロアさんらしいと言えばらしい。

 何か変な感じはするけれど……。


「あの、クロアさん。クロアさんの目的は何なんですか? ワルプルギスというより、クロアさん個人の目的は……?」

「目的、でございますか。難しいご質問ですねぇ」


 クロアさんは優しい。柔らかくて穏やかで、包容力に溢れた母親のような気配を感じさせる。

 けれど、ワルプルギスとしてお姫様を求める立場にあるはずなのに、その行動は不可解だ。


 私が尋ねると、クロアさんの頰に手を当てて困ったように眉を寄せた。

 それでも流石にこれは聞かざるを得ない。

 敵だと言い切れない存在だとしても、私たちは決して仲良しこよしではないんだから。


「わたくしは常に姫様の味方でございます。わたくしが致しますことは、何であれ姫様の為を思えばこそでございます。姫様の為にならぬと思えば、我がリーダーやレイさんの方針にも異を唱えましょう」


 クロアさんは少し照れを見せながらもポツリポツリと口を開いた。

 その言葉は確かに慈愛に満ちていて、嘘を言っているようには聞こえない。

 けれどワルプルギスの方針にすら異を唱えると言われると、そこまでかと思ってしまう。


「ですので姫様。わたくしのことは是非とも信じて頂きたいのです。わたくしは常日頃から姫様をお慕いし、姫様の為を思って行動していると」

「…………」


 確かにクロアさんは色々私にしてくれているし、そういう意味では信頼できなくはない。

 でも何だかんだ引っかかるものがあって全肯定はできなかった。

 温かく柔らかく受け入れてくれるその包容力と同時に、何だか絡みつくような粘着を感じるからだ。

 私のためを思ってくれているのは本当だと思うけれど、そこには何か少しズレた気持ちが混ざっているように感じられてならない。


「いいのです。姫様がまだわたくしを信頼しきれないとしても、それでわたくしの気持ちが変わることないのですから」


 私が何と答えようか迷っていると、クロアさんは少し悲しそうな笑みを浮かべつつ言った。

 そしておもむろに立ち上がると、私たちの前に立って包み込むように両腕を広げた。


「全ては姫様の為。その気持ちには一片の曇りもございません。ですので姫様、どうかそれだけはご理解くださいますよう。わたくしは何時なんどきであろうとも、姫様を愛しているのですから」


 その笑みは愛に満ち溢れた母性の塊のようなものだった。

 私のことを心から想っている、慈愛に満ちた笑み。

 けれどその奥には何故だかとても黒いものが見えて、私はぞわりと鳥肌が立ったのを感じた。

 身体中に、心に絡みつくような何かがそこにはあるような気がした。


「ですのでどうか、わたくしを嫌いにならないでくださいませ。姫様のことを、思えばこそなのです」

「それって、一体どういう────」


 その言葉に不穏なものを感じて、私が口を開いたその時だった。

 私たちの視線の先、クロアさんを越えた向うで、強烈な火柱が

 上空から炎が落ちてきたことによって立った火柱が、ごうごうと音を立てる。


 赤い日の光と合わさって辺りは真っ赤に染まって、冬の寒さも吹き飛ばすような熱が広がる。

 突然の炎の光と衝撃と熱さが押し寄せきて、私は咄嗟に伏せるように顔を背け、氷室さんはそんな私を庇うように覆いかぶさった。


 やがてそれらが収まって体を起こしてみると、クロアさんはその先にあるものを促すように横に一歩引いた。

 クロアさんが示したその先、少し離れたところに誰かが立っている。

 いや、そんなものはもう見る前からわかっていた。その業火を肌で感じた瞬間に。


 魔女狩りD8────レオが、炎をまとってこちらを静かに見つめていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る