51 利害の一致

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 時は、クロアとスクルドが闇に紛れて姿を消した直後。

 街の中で一番高いビルの屋上で、魔法使いと魔女が向き合っていた。


 ロード・スクルドは白いローブが風にはためくのを煩わしそうに顔をしかめている。

 しかし、目の前に忌々しき魔女が穏やかに佇んでいる現状の方がよっと彼の気分を害していた。


 クロアは高所の強い風の中でも構わず黒い日傘をさしていた。

 大きく深いドレスのスカートが風に攫われそうになるのを、優雅な笑み浮かべたまま手で押さえている。


 既に転臨の力の解放は抑えており、下半身は人のそれに戻っていた。

 蠢く悍ましい蛸の姿形はもうそこにはない。


 眼下に広がる光景は、夜とは思えない煌びやかなものだった。

 日はとうの昔に落ち、空は暗く闇に包まれているが、街には人工の光が差し、街を照らしている。

 夜景と呼ぶには些か雅さに欠けるが、それでも鮮やかであることには変わりない。


 空を覆う闇と地を照らす光に挟まれた二人は、静かにお互いを見据えていた。

 スクルドは警戒を持って、クロアは落ち着きを持って。

 普段ならば相入れることなど決してなく、顔を合わせれば命を奪い合う立場にいる二人。

 しかし今この場においては、交渉の余地があった。

 そのために、わざわざ場所を変えたのだから。


「お前の望みは、一体なんだ。あの場から私を引かせるということに、何の意味がある」

「それこそが全てでございますよ。あなた様が姫君の前でご友人を傷付ける。その状況をわたくしは避けたかったのでございます」


 切り出したのはスクルドだった。

 心を許すことのない棘のある問いに、しかしクロアは穏やかに答えた。

 余裕と落ち着きを崩さず、あくまで優雅に対話をしようとしている。


「その口ぶりでは、あの場でなければ、姫君の前でなければ私が何をしようと構わないというように聞こえるが?」

「左様でございます。あなた様には、他所でしていただきたい」


 クロアはニンマリと柔和な笑みを浮かべた。

 しかしそれは底の見えない闇を孕んでいるような、黒い笑み。

 スクルドは顔をしかめ、その碧い冷徹な視線を探るように向けた。


「解せないな。お前は先程、姫君が奴の生存を望むなら、それを叶えてやりたいと言っていた。そのお前が、他所なら良いと言うのか」

「仰る通りでございます。確かにわたくしは姫様の思うままにして差し上げたいと思っておりますが、しかし全てを叶えるのもまた難しい話。それに、わたくしたちとしても彼女の存在はあまり気分の良いものではないので」


 クロアが口にした最後の言葉には、とても冷ややかなものが含まれていた。

 普段は温和で物腰の柔らかい彼女にしては、その物言いは固く鋭かった。


 白い手で口元を覆うように隠すクロアは、その表情を窺わせない。

 スクルドの深海のような碧い瞳を避けているかのように、僅かに顔を背けた。


「ですので、寧ろあなた様には彼女の処理をして頂きたいと思っております。状況は、こちらで整えさせて頂きます」

「……どういう意味だ」

「お二人は大変仲睦まじくていらっしゃる。それに加えて本日のことで、より互いの側を離れぬでしょう。わたくしめが、彼女から姫様をお離し致します。一人になったところを、どうぞご自由にご対処くださいませ」

「……話がうますぎるな」

「申し上げたではありませんか。あなたにとって都合が良いお話です、と」


 訝しげな視線を向けるスクルドに、クロアは笑みの視線を返した。

 穏やかで柔らかい、温かみのある視線。しかし、手で隠された口元は裂けるような笑みを浮かべていた。


「…………良いだろう。その話、乗ってやる」


 スクルドはあくまで強気に、魔女への警戒を崩さぬままに答えた。

 今この魔女と事を荒げるべきではない。

 並みの魔女であれば敵にすらならないが、クロアは魔女の中でも、ワルプルギスの中でも強力な部類に入る者だ。


 それも一人ならばまだ対処のしようがあるが、対立すれば仲間を呼び寄せられかねない。

 その場合事態は大事になり、忍んでやってきたスクルドにとっては最悪の状況になる。


「嬉しゅうございます! あなた様なら、きっとお受けくださると思っておりました……!」

「お前たちワルプルギスが何を企んでいるのかは知らないが、今はその口車に乗ってやる。事を構えるのは、いつでもできるからな」

「はい、そうですねぇ」


 手をパンと合わせて喜びを示すクロアに、スクルドは冷たく言い放った。

 そしてそんなスクルドに、クロアはやはり濃い深みのある笑みを返す。

 冷徹な視線と底知れぬ笑み。二つが交差し、しばし腹の探り合いが起きた。

 そしてそんな中、クロアはポツリと口を開いた。


「それにしてもロード・スクルド様。あなた様がいらっしゃったのですから、わたくしはてっきり、クリアさんの居場所を突き止めて追ってこられたものだと思っておりました。まさか妹御がいらしたとは。そしてそれが────」

「待て。お前今、なんと言った」


 まるで世間話でもするような口調で切り出したクロアの言葉を、スクルドが透かさず遮った。

 相変わらずのネットリとした笑みを浮かべるクロアに、スクルドの凍てつくような視線が突き刺さる。


「今、クリアと言ったか」

「ええ、申しましたとも。クリアランス・デフェリア。あなた様とは因縁深い方ですので、わたくしはてっきり……」

「お前は、奴の居場所を知っているのか!」


 その名を聞いて、スクルドは目を見開いて詰め寄るように言葉を浴びせた。

 レジスタンスに所属していないながらも、ワルプルギスが起こす騒動の最中に現れては事態を引っ掻き回す魔女、クリアランス・デフェリア。通称クリア。

 スクルドは一度彼女と対峙し、追い詰めるも取り逃がしてしまった。

 故に、その名前には人一倍敏感だった。


「残念ながら、わたくしたちも現在の行方はわからないのです。だからこそ、あなた様が知っておられるのではと期待したのですが……」


 クロアは眉を落とし、わざとらしくしゅんとした表情を浮かべた。

 それを見たスクルドは落胆したように重い溜息をついた。


「……まぁいい。今は奴よりも優先すべきことが、私にはある」

「左様でございますか。残念ですねぇ。でも、仕方ありませんね」


 スクルドはくるりとクロアに背を向けた。

 その背中は、決して馴れ合うことはないと言うように、全てを隔てる冷たいものだった。


「場が整いましたらお伝えいたしましょう。それまではどうか、ごゆるりと」

「…………」


 背中に向けて恭しく頭を下げるクロアに、スクルドは何も答えなかった。

 背後でクロアが闇のもやに身を包んで姿を消すまで、スクルドはもう振り返ることはしなかった。




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