29 離れ離れ
ロード・スクルドと呼ばれたその男性は、悠然とした佇まいで穏やかに微笑んでいる。
二十代前半くらいの若い男性だった。
スラリとした長身で、爽やかに切り揃えられたセミショート程の長さの黒髪。深く碧い瞳が鮮やかだ。
端正に整ったその顔は煌びやかで、まるでお伽話の中の王子様のようだった。
ロード・スクルド。その名前には聞き覚えがあった。
この間シオンさんたちから聞いた話の中に出てきた名前だ。
そしてロードと呼ばれることからも、魔女狩りを統べる人たちの一人だということは明らか。
醸し出す風格、溢れ出す力の大きさもそれを物語っている。
「どうして、か。そう尋ねられると私も答えあぐねてしまう。だから私からも君の、いやデュークスさんの勝手な行動を咎めるのは難しいね」
D8を見ながら薄く微笑んで肩をすくめるロード・スクルド。
D8は、そしてD4も、彼に対して怯えるように顔を引きつらせている。
「けれどしかし、姫君の命を狙わんとしていることは見逃せない。やれやれ、困ったね」
口調はあくまで穏やかで、まるで囁いているようだった。
その王子様のような風体と違わず、優しさを感じさせるような柔らかな声色。
しかしその内側には強い力と明確な意思が込められていて、それが周囲を完全に圧迫している。
「────────!!!」
私の隣で声にならない悲鳴が上がって、どさりとその場に崩れ落ちる音が聞こえた。
慌てて顔を向けてみれば、氷室さんが大粒の汗をかきながら地面にへたり込んでいた。
「氷室さん!? 大丈夫……!?」
慌ててその体に身を寄せてみれば、氷室さんは激しく体を震わせていた。
雪のように白い肌は青く血の気が引き、そのポーカーフェイスは珍しく完全に崩壊していた。
恐怖に慄いて目を見開き、顔を引きつらせている。
小刻みに震える唇と、スカイブルーの瞳の揺れが、氷室さんの隠しきれない動揺を表していた。
「氷室さん? 氷室さん……!? 大丈夫? どうしたの?」
「────ひとまずはご挨拶を致しましょう、姫殿下」
氷室さんの肩を抱いて私は必死に呼びかける。
けれど全身を震わせる氷室さんは、驚愕と恐怖に染まって一切の言葉を発さない。
そんな私たちに向いて、ロード・スクルドが我関せずといった無関心さで声をかけてきた。
「私の名はスクルド。『まほうつかいの国』において
恭しくお辞儀をして、丁寧な口調で言うロード・スクルド。
けれど私は取り乱している氷室さんのことが心配で、それどころではなかった。
こんな氷室さんを見るのは初めてで、一体何がどうなっていて、何をしてあげればいいのかわからなかった。
とりあえず強く抱きしめてあげるも、氷室さんの震えが止まる気配はない。
そんな私たちを見て、ロード・スクルドはその優しい表情を歪めた。忌々しいと憎悪に満ちた暗い表情だ。
けれどそれは私に向けられたものではなく、私の腕の中にいる氷室さんに向けられたものだった。
「……まさか、まだ生き延びているとは思ってもみなかった。そしてよもや、姫君の側に侍りその御身を穢すなど……恥を知るがいい」
今までとは違う冷たく言い放たれた言葉に、氷室さんがビクリと震えた。
何が何だかわからない私は、その震えを押さえるように強く抱きしめながら、ロード・スクルドを睨み上げた。
「あなたは、何なんですか。私に用があるならそう言ってください。氷室さんは、関係ない……!」
「これは失礼致しました。しかしこの度私が参りましたのは、姫殿下にお目見えするためではないのです。私の用件は、そこな魔女にあるのです」
碧い瞳が静かに振り下ろされる。
濃い色の瞳が、あらゆるものを吸い込んで、凍りつかせてしまうような威圧感を持って氷室さんに向けられていた。
私は氷室さんを抱きしめながらも、片手で『真理の
白い刃の鋒を向けても、ロード・スクルドは微動だにしない。
「どうして……」
そこで氷室さんはやっと口を開いた。
抱きしめる私に縋るように身を預けながら、震える唇で言葉を溢す。
「どうして、あなたが……こんなところに……」
「お前を殺すためさ、ヘイル。我が忌々しき妹」
「────────!?」
息が止まりそうな衝撃が全身に駆け抜けた。
ロード・スクルドが放った言葉が空気を凍て付かせ、その空気が肺を凍らし全身を支配していくようだった。
心臓がこれでもかというほどにきゅっと締まって息苦しい。
それなのに早鐘のように動き回るから、全身が爆発してしまいそうだった。
私の中で震える氷室さんの体から、どんどん体温を感じなくなってきた。
滝のような冷や汗を流し震えている氷室さんは、氷のように冷たかった。
その存在があまりにも儚くて、腕の中にいるはずなのに何処かに消えてしまいそうだった。
「どういう、こと…………? 一体、どういう……」
私の呟きに誰も答えてくれない。
焦り戸惑いに塗れた氷室さんはそれどころではないし、ロード・スクルドに答える気はなさそうだった。
魔女狩り、魔法使いであるロード・スクルドの妹が、氷室さん……?
そんな馬鹿なことがあるわけがないと思いつつも、真実はこの状況が物語っているように思えた。
いつものクールさを完全に失って取り乱している氷室さん。
私を差し置いて、氷室さんを殺しに来たというロード・スクルド。
理解できなくても、否定したくても、この状況こそが真実を告げていた。
「D8、君は去りなさい。私も今は人のことを言えた立場ではないからね。今回のこの狼藉は、見なかったことにするよ」
「俺は……!」
私たちを無視するように、D8へと言葉を向けるロード・スクルド。
その表情はあくまで冷静で、取り乱し混乱している私たちの方がおかしいとでも言う風だった。
「二度は言わないよ。君を処罰する理由なんて、いくらでも作れるんだからね」
「……! くそっ…………!」
冷ややかに目を細めたロード・スクルドに、D8は顔をしかめた。
抵抗したところでそこに意味はないと理解したようで、隠すことなく舌打ちをして、こちらに背を向ける。
「待ってレオ! まだ話は────」
「言っただろアリア。お前に話すことはねぇよ」
アリアの制止を聞かず、D8は直様その身に炎をまとって、ロケットのように猛スピードで飛び上がった。
炎の弾丸のように空へと飛び上がったD8の目が、一瞬だけこちらに向けられた。
そこにあったのは、迷いを抱いた瞳だった。
「待ってよ、レオ!」
「────D4」
慌ててD8の後を追おうとしたD4を、ロード・スクルドが呼び止めた。
D4はその声にビクリと体を震わせて、背筋を伸ばしてスクルドに向き直った。
「D4、君は姫君だけをお連れしてこの場を離れるんだ。私は私の問題を片付ける」
「お言葉ですがロード。私は────」
「姫君の身に何かあってはいけない。君は姫君と親交深かったんだろう? 君が守ってあげなさい。残った魔女の始末は、私に任せてね」
柔らかな口調だけれど、それは明確で厳格な命令だった。
反論は許さず、ただ告げられたことを粛々とこなせと、そういった意思が込められている。
D4は迷うように私たちとロード・スクルドを交互に見て、それから苦い顔をして私に歩み寄ってきた。
「……アリス、行くよ」
「嫌だ!氷室さんは置いていかない! 私は氷室さんと一緒にいる!」
「わがままを言わないの……!」
「言うに決まってるでしょ! 氷室さんは私の大切な友達なんだから! 私は友達を絶対放したりなんかしない……!」
「っ…………!」
私の腕を掴んで優しく引っ張るD4。
けれど私の言葉を受けて顔を強張らせると、一気に私の腕を掴む力を強めた。
「私だって……私だって同じなんだから……!」
絞り出すようにD4が叫んだ瞬間、全身の力が一気に抜けて、氷室さんを抱いていた腕がストンと落ちた。
何かしらの魔法をかけられたのか、身体にほとんど力が入らなくなってしまった。
『真理の
自分の身体を支えていることもできず、崩れる私をD4が受け止めた。
「ごめんなさい、アリス……」
「ひ、氷室さん……」
抵抗できずD4に抱きかかえられながら、私は力の入らない腕を必死に持ち上げて氷室さんに向かって伸ばした。
氷室さんも震える瞳で私を見て、弱々しく腕を伸ばしてきた。
「アリス、ちゃん────」
「それではロード。失礼致します」
けれど伸ばした手が触れ合うことはなかった。
D4は私を抱きかかえたまま飛び上がり、この手は空を切った。
「氷室さん! 氷室さん────!!!」
D4に連れられ容赦なく上昇していく体。どんどんと地面が遠くなる。
その場に弱々しくヘタリ込む氷室さんと、静かに重く佇むロード・スクルドの姿が小さくなっていく。
私の叫びは何の意味もなさず、ただ凍てつく空気の中で無為に響いただけだった。
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