37 見え透いた強がり
「一体何があったの?」
取り敢えず近くの空き教室に入り込んで、手近な椅子に晴香を座らせた。
ポケットからタオルを取り出して握らせると、晴香はそれに顔を埋めてまだ少し声を上げて泣いた。
付いてきた創に尋ねてみれば、困ったように肩をすくめた。
「俺も詳しくはわからないんだ。アリスが出て行ってから、晴香は氷室さんに声をかけに行って、少し何か話してた。けどその時何を話していたのかは……。ただ気がついたら晴香が声を強めてて、慌てて止めに行ったんだ」
晴香が氷室さんと喧嘩をするとは思えなかったけれど、でも何かを話しているうちに口論になったのかな。
いや、氷室さんが誰かと口論するとはもっと思えないから、氷室さんの何かが晴香の気に触ってしまったのかもしれない。
けれど普段は大人しく口数の少ない氷室さんが、晴香の気に触ることをするとも思えないし。
そもそも、晴香が誰かに対してあんなに感情的になっているところなんてほとんど見たことない。
私だって本気で怒られたのは一度だけだし、創だってそう滅多にない。
ただこのタイミングで晴香が氷室さんに話しかけたということは、自分のこと、というよりは私のことかもしれない。
けれど二人は共に私を守るために協力関係だったって言っていたし、喧嘩することなんて……。
「晴香。一体どうしたの?」
晴香の前に屈んでその顔を覗き込んでみる。けれど何も答えなかった。
晴香の顔はタオルで完全に隠されていて窺うことはできない。
もしかしたら今ここで話せる事ではないのかもしれない。
創もいる事だし、詳しい話は後にした方がいいのかもしれない。
けれどこの状態の晴香を教室に連れ込むわけにもいかないし。
「今日はもう帰ろうか。私もそうするから、一緒に帰ろう?」
立ち上がって頭を撫でながら晴香に言う。
晴香を一人にするわけにもいかないし、一緒に帰って落ち着いた頃に話を聞いた方が良さそうだ。
「創。悪いんだけど、私たちの鞄取ってきてもらっていいかな?」
「だったら俺も一緒に……」
「大丈夫。今は私に任せて。それにみんなで帰っちゃったら、先生に言い訳する人がいなくなっちゃうでしょ?」
私が腕をぽんぽんと叩いきながら言うと、創は何か言いたげに口ごもった。
けれど私の顔を見て何か言葉を飲み込んで、渋々頷いた。
「……待って。私、大丈夫だから」
創が空き教室を出ようとした時、晴香が唐突に言った。
タオルを離したその目は真っ赤に腫れていて、晴香がどれだけ泣いたのかを物語っていた。
それでも晴香は私たちのことを見て、とても弱々しく微笑んだ。
「ちょっと取り乱しちゃったけど、もう大丈夫だから。授業始まるし、戻らないとね」
「晴香……」
無理をしているのが見え見えだった。
そんなあからさまに強がっている晴香を止めた方がいいことはわかっているのに、なんて声をかけていいのかわからなかった。
「おい晴香」
けれど創が一歩前に出た。
弱々しく立ち上がって教室を出ようとする晴香を止めるように。
その大きな体はまるで壁のように晴香に立ち塞がった。
「そんなあからさまに無理してるくせに、強がんなよ。辛い時は辛いって言えよ。そんなお前見て、そのままになんてしておけるかよ」
「ごめんね創。でも大丈夫だから。もう、大丈夫だから」
晴香は笑う。けれどやっぱりそれは無理をした笑いだ。
さっき氷室さんと何を話して、どうして晴香があんなに傷ついていたのかはわからない。
でもそれが今も晴香の心を揺らしている。平気だなんて思えなかった。
創もそれがわかったから止めている。
けど、晴香はきっと止めて欲しいと思っていない。
自分の気持ちを押し殺してしまいがちな晴香は、今こんな時でさえも、自分の気持ちよりの周りの人のことを考えている。
そして、きっと今は私たちのことを考えている。
少しでも普段と変わらない時間を私たちと過ごしたいと思っているんだ。
今の自分の気持ちよりも、そっちの方を大切にしようとしている。
「創……」
私は創の肩に手を置いて首を横に振った。
創はそんな私を見て訝しげに眉を釣り上げて、そして重い溜息をついた。
今は晴香の思う通りにしてあげようという私の気持ちは、ちゃんと伝わったようだった。
本当のことを言えば、今すぐ晴香と学校を後にしてじっくりその話を聞いてあげたい。
その方がきっと晴香もスッキリするし、それが一番いいはず。
だけど晴香が今のこの時間をできる限り大切にしようとしているのなら、私はその通りにしてあげたかった。
引き下がった私たちを見て、晴香はありがとうと弱々しく言って、また力なく笑った。
私はそんな晴香の手をとって教室まで戻った。
その後を仏頂面をした創が少し遅れて付いてくる。
教室に戻ってきた晴香に、クラスのみんなは心配そうに目を向けてきた。
そんなみんなに向けて努めて元気にごめんねと謝る晴香。
氷室さんは自分の席で静かに本を読んでいた。
特に晴香を気にするそぶりもなく、いつも通りだった。
そして晴香も、氷室さんに声をかけはしなかった。
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