69 何がより大切か

「────アリス!!!」


 カルマちゃんは消え去り、穏やかに眠るまくらちゃんをみんなで治していた時だった。

 この世の全てを呪い殺しそうな怒声が響き渡った。


 慌ててその声がした方を向く。

 私たちから少し離れた地面が抉れた中心で、辛うじて人間の形を取り戻したアゲハさんが力なく立っていた。


 消しとばされて失っていた肉体を、辛うじて再生させているだけのボロボロな見てくれ。

 全身が爛れていて見るに耐えない。けれどその瞳だけはまだ確固たる意思を貫いていた。


 その背中にもう蝶の羽はなかった。

 けれどぐにゃぐにゃと肉が蠢いてその体を形成し直している様は、やっぱり人間のものとは思えなかった。


「なにを、気抜いてんのよ。まだまだこれから、じゃん。その力……もっと、もっと出しなよ!」

「アゲハさん……」


 辛うじて死んでいないような傷を負わされても尚、アゲハさんは挫けていなかった。

 そんなにまでして私の力が必要なの? あの、底知れない何かが、そんなに?

 ワルプルギスは、一体私に何を望んでいるの?


「まだ……まだ終わってないよ。私は負けてない。もっと、もっとアンタから引き出してやる。もう少しだったんだから。もう少しで、呼び起こせたんだから……!!!」


 アゲハさんの絶叫と共に魔力が膨れ上がった。

 一体どこにそんな力が残っていたのか、アゲハさんから感じられる力がどんどん大きくなっていく。


 氷室さんが私を庇うように一歩前に出た。

 千鳥ちゃんは逆に一歩引いてアゲハさんから目を背ける。

 それほどまでに、アゲハさんから発せられている圧力は凄まじかった。


 魔力が増大して再生速度も上がる。

 ボロボロの体が見る見るうちに修復されていく。


「もう絶対逃がさない。私が全員殺してやる! アリス、アンタも私が────」

「そこまでだ、アゲハ」


 アゲハさんが雄叫びを上げて、その高まった魔力を持ってまさに攻撃を放とうとした時だった。

 私たちの頭上を何かが飛び越えて、一気にアゲハさんの懐に入った。

 そしてトンとその額に指を触れると、アゲハさんは事切れたかのようにぐったりと地面に倒れこんだ。

 一帯に響いていた凄まじい魔力も圧力も一瞬にして収まって、唐突に静けさが訪れた。


「うちのアゲハが迷惑をかけたね」


 ドサリと倒れ伏したアゲハさんを一瞥してから、私たちに向かってにこやかに笑いかけてきたのは、私がよく知る人だった。


 黒いブルゾンに黒いジーンズ。黒いニット帽までかぶった黒尽くめ。

 その端正な顔立ちはお人形みたいに綺麗に作られていて、男か女かの区別も難しい。

 どこかギザったらしくて、けれどその柔らかい雰囲気がどうしても憎みきれない。

 そんな、私のよく知る人だった。


「レイ、くん……」

「やあアリスちゃん。一昨日ぶりだね」


 ワルプルギスの一員のレイくんは、まるで道端で友達にバッタリと会ったような気軽さで笑った。


「ごめんよアリスちゃん。これは僕の責任だ。多少のちょっかい出しならいいかと放っておいた僕がいけない。まさかここまで君を刺激するとはね」


 レイくんは倒れるアゲハさんを足で小突きながら言った。

 その姿勢は加勢に来たようには見えない。


 あまりの落差に拍子抜けしてしまった。

 今の今まで緊迫した空気だったのに、それを打ち破るかのようにレイくんは気の抜けた表情で笑っている。


「僕たちの基本方針は静観だからね。君を過剰に刺激するような真似はしたくないんだ。下手に刺激すれば、今回みたいに龍の逆鱗に触れかねない」


 レイくんの瞳は私の心を見透かすように煌めいた。

 まるで私の中に何がいるのかを知っているみたいに。


「レイくんは……あなたたちは、私の何を知ってるの? ワルプルギスの目的は、一体……」

「アリスちゃん。君は僕たち魔女にとっての希望だ。君の中に眠る力は、僕たち魔女の根源。全ての始まりにして全てが還る場所。君が真にその力を見出した時、魔女の時代が再来するんだよ」


 そういえばアゲハさんも言っていた。魔女の時代が再来する、と。

 私が力を取り戻した先に、過去の記憶と力を取り戻してその枷を取り払った先に、あの魔女がいるから?

 彼女は一体何者なのか。何故彼女が、彼女の力が魔女の時代を再来させるのか、それは全くわからない。


「けれど、やっぱりこんな強引なやり方はよくない。姫君の、君のご機嫌を損ねても何もいいことはないからね。そして結局、君の中に眠るの怒りを買ってしまっては意味がない」


 やれやれと肩を竦めるレイくん。


「物事には順序ってものがあるだろう? まずは君が姫君の頃の記憶と力を取り戻さないことには、その先に進めないのにさ。アゲハは功を急いで、引き出してはいけないものを引き出してしまった。殺されなかっただけマシさ。いくら転臨していようとも、全ての起源には敵わないからね」


 参ったよ、とレイくんは笑った。

 そこには戦意も殺意も感じられない。

 ただただ普通にお喋りをするのと変わらない気軽さ。


「さてと。アゲハは僕が責任を持って連れ帰るよ。ちゃんと言い聞かせておくからさ、もう君にちょっかいはかけさせないよ」


 そう言ってアゲハさんを担ぎ上げたレイくんの表情は穏やかなままだったけれど、その瞳の奥にはどこか鋭さがあった。


「ちょっと待ってよ。レイくんは私のこと、色々知ってるんでしょ? なら、教えてほしい。私、自分自身のことなのに、何も知らなくて……」

「頼ってくれるのは嬉しいけれど、それはできないよ。僕は確かに君の友達だけれど、それはしてあげられないんだ」

「どうして……?」

「君も知っているだろう? 君は記憶と力を引き離されて、それに制限をかけられている。今の君に何を語ったところで、何も意味をなさないんだよ」


 そういえば夜子さんも言っていた。

 今の私に何を説明したところで、私は理解することができない、と。

 つまり周りにどんなに真実を知っている人がいたところで、私自身にそれを聞く準備ができていなければなんの意味もないんだ。


「だからアリスちゃん。僕も心苦しくはあるけれど、その問題については、君自身のことについては僕は何もしてあげられないんだ。だからこそ僕たちワルプルギスは君を静観し、そして来るべき時のための準備を進めているのさ」

「もし私がいつまでたっても力を取り戻さなかったら、やっぱりまたこうやって襲ってくるの?」

「いやいや、これはアゲハの独断で、しかも賢い選択とはいえないよ。さっきも言ったけれど、物事には順序がある。手荒な真似というのは、その順序を無視した行為だよ」


 あくまでワルプルギスは私に危害を加えるつもりはない。その基本方針自体は変わりがないみたいだった。

 けれど今回のアゲハさんのように、単独でことを起こそうとする人たちだって今後現れないとは限らない。


「まぁ僕の方も目を光らせておくとするよ。藪を突いて蛇どころか龍が出てくるというのに、無闇やたらに突かれたらたまらないからね」


 そう言うと、レイくんはアゲハさんを担いだままふわっと宙に浮かび上がった。

 少し高い位置からニコッと私に笑いかける。


「アリスちゃん。君は素敵な女の子だ。その心は強く逞しく、優しく温かい。その君らしさを僕は失って欲しくない。真実を追い求めて自分を失って欲しくないんだよ。だからね、アリスちゃん。急ぐ必要はないよ。その時が来れば自ずと答えは得られるさ」


 その言葉は無責任なようで、けれど謎に覆われた私の心をほぐす言葉ではあった。

 あの心の深い場所で彼女と会ってその話を聞いて、戸惑いが隠せない。

 わからないことだらけで、理解できないことだらけで心がぐちゃぐちゃだった。


 でもそればかりに気を取られていたら何もできなくなってしまう。

 私がしたいことはなんなのか。私の望みはなんなのか。

 わからないことに頭を悩ませて、目の前のことを忘れてしまっていたら意味がない。


 私に寄り添ってくれる友達がいる。

 その友達と過ごす日々がある。

 誰がなんと言おうとそれは私のものだから。

 まだ見ぬ真実よりも、そっちの方がよっぽど大切だ。


 少しだけスッキリとした私の顔を見て、レイくんは優しく笑った。


「今回のことは僕が謝るよ。だから僕に免じて許してくれないかな? どうしてもアゲハを殺したいと言うのなら、それも仕方ないけれど」

「こ、殺したいとかそんなことは……! もう私たちに危害を加えなければ、それで……」


 そう言いつつ私はちょこっと千鳥ちゃんの方を見た。

 千鳥ちゃんはバツが悪そうに顔を伏せている。

 千鳥ちゃんだって別にアゲハさんをどうこうしたいわけじゃなさそうだし、大人しく連れて帰ってくれるのならそれでいいんだろう。


 氷室さんは少し心配そうな表情で私を見た。

 けれど私のそれ以上追求しない姿勢を見て、私の手を取って静かに頷いた。


「ご温情感謝するよ。こんなお馬鹿でも一応同志だからね。それじゃあまた会おう。今度はゆっくりお茶でも飲みながらお喋りしようね」


 そんな呑気な言葉と同時に、レイくんの姿はパッと暗闇に溶けてしまった。


 こうして今日も、命からがらなんとか生き延びることができた。

 私を取り巻く戦いは、きっとこれからも続いてしまうんだろう。

 謎は深まるばかりだし、話はどんどん込み入ってくる。


 けれどこれは全て私から生じていることだから。

 私に逃げる資格はない。それに、私と一緒にいてくれる友達がいる限り、私は抗い続ける。


 私自身が魔女じゃなかったとしても、私の友達には魔女がいる。

 だからやっぱり私は、『魔女ウィルス』をなくすための術を探していきたいと思う。

 私の中に眠る底知れぬ力なら、みんなが望むその力なら、それができるって信じてる。


 だからそのためにも、私は自分の真実に向き合わないといけない。

 その時のための覚悟を決めておかないといけない。


 そして少しでも早く、私を取り巻くこの騒動が終わることを願おう。

 大切な友達と平和な日々を過ごすために。

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