62 呼ぶ声

 肩で息をする二人。特に千鳥ちゃんは恐怖や緊張も相まってか、大分やつれた顔をしていた。

 けれどまじまじと、凍りついたアゲハさんを信じられないものを見るような目で見つめていた。


「まさか、アイツを倒しちゃうなんてね。アンタ、やるじゃない」

「…………」


 ホッと薄い笑みを浮かべる千鳥ちゃん。

けれど氷室さんはあくまで冷静な表情のままだった。


「さすがお姫様の力を受けてるだけはあるってこと? まさか転臨した魔女を圧倒できるなんてさ」


 ホッとして気が抜けたのか、千鳥ちゃんは気軽さを取り戻して言った。

 氷室さんの肩を抱いてポンポンと叩く。そんな千鳥ちゃんに少し怪訝そうな視線を向ける氷室さん。

 そういえば、あの二人がちゃんと話しているところって見たことなかったな。


「……まだ、油断はできない」

「大丈夫だって、アイツあんなにカチカチだし。それにもし何かあっても私たちなら────」


 アゲハさんを圧倒できたことがよっぽど嬉しかったのか、機嫌良さそうに喋る千鳥ちゃん。

 私も完全に気が抜けて、二人のやりとりをホッと眺めていた。そんな時だった。


 氷室さんの肩を抱いていた千鳥ちゃんの身体が宙に浮いた。

 何かに吹き飛ばされたかのように。いや、何かに持ち上げられているかのように。


 突然のことに私は目を見張り、氷室さんの表情にも緊張が走った。

 慌てて見上げてみれば、千鳥ちゃんのお腹には太い棘のような、触手のようなものが突き刺さっていた。

 長く伸びるそれが千鳥ちゃんのお腹を貫き、高々と持ち上げている。


「あ…………がッ────」

「千鳥ちゃん!!!」


 声にならない声を漏らし、異物を咥え込んでいるそのお腹からは血が溢れている。

 私は思わず絶叫のような悲鳴を上げた。けれど氷室さんは既に冷静に、その触手が伸びる元に目を向けていた。


 けれど、氷室さんもまたそれに対応できなかった。

 既に目にも留まらぬ速さでもう一本の触手が飛んできていて。

 氷室さんは警戒を怠ってはいなかった。けれど突如として放たれた棘の触手の一撃を、かわすことはできなかった。


「氷室さん!!!」


 氷室さんもまた同じようにお腹を貫かれ、上空へと掲げられた。

 目を見開き、その口からは血をこぼす。

お腹を貫いたその異物に対抗しようと手を伸ばし、けれど力が入らずにだらりと項垂れた。


「いやだ…………そんな、嘘だよ……」


 今まさに、さっきまで二人は圧倒していたんだ。

 なのに、どうして? どうして今二人はあんなことに。


 自身の身体を貫き持ち上げている触手に全てを預け、だらりと力なく項垂れる氷室さんと千鳥ちゃん。

 その光景はあまりにも無残で、目を背けたくなるほどに悲惨なものだった。


 私は恐る恐るその触手が伸びる元を辿った。

 そこには氷の彫刻が。凍てついたアゲハさんが佇んでいる。

 凍てついてる。完全凍りついている。けれどその背中から生えた蝶の羽だけが氷を打ち破って爛々と輝いていた。

 そしてその羽から伸びる棘こそが、まるで触手のように伸びて二人を串刺しにしていた。


「ま、だから私が負けるわけないんだけどね」


 パリンと乾いた音がして、アゲハさんを覆っていた氷が崩れた。

 その内側からは何食わぬ顔でにっこりと笑っているアゲハさんが現れる。


「私は遊んでるだけなのにさ、すぐ調子乗るからそういうことになるんだよ。ホント、バッカみたい」


 宙にだらりと項垂れる二人を見てアゲハさんは吐き捨てるように言った。


「アンタたちが私に勝てるわけなんてないのにね」

「二人のことを……氷室さんと千鳥ちゃんをバカにしないで!」


 私は我慢できずに声を上げた。

 私を守るために必死で戦ってくれた二人を、バカにするなんて許せない。

 強く睨むとアゲハさんは楽しそうに笑った。


「まぁ思ってたよりは楽しませてもらったよ。特に霰にはね。さすがお姫様の力添え。でも、それを使う奴が弱くちゃねぇ」

「……二人を、放して」


 私が言うと、アゲハさんはいやらしい笑みを浮かべた。


「やーだよ。返して欲しければ力尽くで取り返しなよ」

「…………っ!」


 それは明らかな挑発だった。

 今の私には何もできないことをわかっていて挑発している。


 ずっと、ずっとずっと呼びかけてる。願ってる。必要としてる。

 なのに一向に力が湧き上がってこない。

『お姫様』は言っていたのに。強く願って必要とすればその力を貸してくれるって。


「もたもたしてるとコイツら死んじゃうよ? それにさ、あっちももう終わったみたいだし」


 ニタニタと笑っているアゲハさんの視線の先にあったのは、地面に倒れるカノンさんの姿だった。

 カノンさんもまたその身体を貫かれて、沢山の血が溢れていた。


「────────!!!」


 頭が真っ白になる。

 みんな、みんな死んじゃう。私だけが無傷で、みんなはボロボロに傷付いて。

 どうしてだろう。そもそも全部私のせいなのに。みんな私を守るために傷付いていく。


「私…………私っ……!」


 嫌だ。もう嫌だ。このままみんなが死んでしまうのを、黙って見ているなんて嫌だ。

 でも、私に何ができるの? 魔女になっても魔法の一つも使えない。

 みんなが求めるお姫様の力だって使えない。私に誰かを救う力なんてない。


「ほらほらかかってきなよ。いいの? 大好きなお友達、死んじゃうよ?」

「私は────!!!」


 戦えるものなら戦いたい。私だってみんなを助けるために戦いたい。

 けれど、どんなに願ったって力が湧いてこないの。あの剣も、私のところに来てくれない。

 どうして? 何がいけないの? 友達を守りたい。今の私の願いはただそれだけなのに。


 敵を目の前にして、友達を散々傷付けられて、それなのに何もできない私。

 情けない。情けないにも程がある。

 いくら力がなくたって、いくら頼ると決めたって、これはあまりにも惨めだ。

 友達だとか都合のいいことばっかり言って、結局私は与えてもらうだけで何もできない。


 身体の力が抜けてしまって、私はぺたんとその場にへたり込んだ。

 そんな私をアゲハさんがつまらなそうに見下ろす。


「なにそれ。ここまでしても何もないわけ? 何? ホントにアンタを死ぬギリギリまでいたぶらないとダメなの? なーんだ損した。友達友達って言ってるから、コイツら痛めつけた方が効果あるかなーって思ったんだけど。結局いくら綺麗事言ったってそんなもんか」


 違う。違う違う違う。

 私は友達を守りたい。けどそのための力が無くて、だからどうしようもなくて、だから……。


 頭も心もぐちゃぐちゃになる。

 私は弱い。私は無力だ。こんな惨めなことはない。

 私を守ってくれた友達が無残に傷付いていく様をただ眺めているだけ。


 ああ。みんなを助けることができるのなら、私はなんだってするのに。


『────じゃあこっちにいらっしゃい』


 ごちゃ混ぜになって混沌とした思考と心の中に、重い言葉が響いた。

 それが何なのか気にする暇もなく、私の意思は急激に遠退く。


 まるで後ろから闇の中に引き釣りこまれるように。

 私の内側から、心の奥底から、冷たい手が伸びて、私の意識を深い底へと引きずり込んでいった。

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