28 マイマザー

 三階まで降りると、他と同じようなおんぼろな部屋に温かそうな寝袋が人数分用意されていた。

 コンクリートで雑魚寝を覚悟していたんだけれど、確かにみんなは魔法が使えるんだから、最低限環境は整えられるんだ。


 カノンさんはまだ降りてきていないみたいだった。

 夜子さんがカノンさんに一体何の用があるのか見当がつかない。

 カノンさんは向こうの人だから、その関係で聞きたいことでもあるのかもしれない。


 だから、三階で私たちを待っていたのはまくらちゃんと千鳥ちゃんだけだった。

 とはいってもまくらちゃんはやっぱり全然眠くなさそうで、楽しそうに千鳥ちゃんとお喋りしていた。


 何だかんだと満更でもなさそうにまくらちゃんと話す千鳥ちゃん。

 お姉さんぶろうとする所を見ても、下の子の世話をすること自体は別に嫌ではなさそうだった。


 私用に用意された寝袋の所まで行って腰を下ろすと、思い出したようにどっと疲れを感じた。

 今日一日色々なことがあったし、そりゃ疲れるよ。今日はただ、氷室さんとゆっくりお出掛けするだけのつもりだったんだけどなぁ。


 寝袋と一緒に毛布も用意されていて、寝ることには全く不自由しなさそうだった。

 今にも飛び込んでぐっすり眠ってしまい衝動に駆られたけれど、でもカノンさんが帰ってくるまでは待っていようかと迷っていた時だった。


 携帯のバイブがブーブーと音を立てた。

 その長さからして電話だろうと思ったけれど、正直あんまり出る気力がなかった。

 けれどひとまず誰からの着信なのかと確認して見れば、画面には『お母さん』の文字が。


 これは出ないわけにはいかない。私は慌てて立ち上がった。

 高校生で実質的な一人暮らしをしている身としては、夜に親からの着信を無視することはできない。

 深夜ならともかく、まだ日を跨いでいない、普段なら起きているような時間。今は二十二時を過ぎた頃。


 氷室さんに先に寝ていてと声を掛けて、私は携帯を片手に部屋を飛び出した。

 なんとなく階段の方まで行って、上がりながら応答した。


『はあーい。私の可愛いアリスちゃん。元気〜?』

「…………」

『ちょっとちょっと! 切らない切らない! せっかくお母さんが電話したのに切らないでよー!』


 気の抜けるような能天気な声が突き抜けて、私は思わず携帯を耳から話した。

 通話を切ってしまいたい衝動に駆られるも、スピーカーモードにしていないのにもかかわらず聞こえてくるその声に、仕方なく押しとどまった。


「どうしたのお母さん。電話してくるなんて珍しいね」

『うーん、別にこれといった用事はないんだけどね。家を空けてしばらく経つし、久しぶりに可愛いアリスちゃんの声が聞きたいなーってね』


 何事もなかったかのように話を振ると、お母さんもまた何事もないように返してきた。

 相変わらずの能天気というか、適当というかなんというか。


 女手一つで私を育ててくれたお母さんが、仕事で海外を飛び回って家を長期間開けるようになったのは、ここ数年の話。私が高校に入学してからのこと。

 それまでは仕事はしつつも、毎日早く帰ってきてくれて私の面倒を見てくれていた。


 私が高校生になって、ある程度一人でも平気だろうということで、それからはもう家にいない時間の方が多くなった。

 たまにひょっこり帰ってきたり、こうして電話してきたり。お母さんは基本的には自由人なんだ。


「別に普通。いつも通りだよ」


 息をするように嘘をついてしまった。

 罪悪感に胸がチクリと痛んだけれど、これは必要な嘘だ。


 実は私は異世界のお姫様らしくって、そんな私を魔法使いや魔女が狙ってやって来て連日命の危機ですなんて、とてもじゃないけど言えない。

 おまけに死のウィルスに感染して、そもそもいつ死ぬかわからないなんて余計に。


『その声は何かあったなー? お母さんを騙そうたってそうはいかないんだから』


 けれどそれは母親の勘なのか。それとも私の嘘が下手くそすぎるのか。

 何かがあったことはいとも簡単に見透かされた。

 なるほど。母親には敵わないなぁ。


『まぁ年頃の乙女なんだから、親に言えないことの一つや二つあるでしょう。お母さんは詮索しません! お母さんは理解のある母親だからね』

「それは自分で言うと台無しになる類の言葉だよ」


 有り難みもへったくれもない。

 けれど、お母さんの声を聞けるだけでもホッとするのは事実だ。


 今私の身に起きていることは、とてもじゃないけれど話すことはできない。無駄に心配をかけるだけだし。

 遠く海の向こうにいるお母さんに、過剰な心配をかけてしまうわけにはいかない。


 でも、と心の中で渦巻くことがあった。

 これは私自身の問題ではあるけれど、私がかつて本当に『まほうつかいの国』に行っていたことがあるのなら、私がこちらにいなかった時があるということ。

 私の事情を知らなくても、お母さんならそのことを知っているかもしれない。

 私がいつ、そしてどれくらいの間いなかったのか。


「あのね、お母さん。聞きたいことが……あるんだけど」


 これは聞いてもいいことなのか。頭を巡らせながらも、できるだけ重くならないように気をつけて言葉を並べる。

 できるだけ気軽に、まるで思い出話をするかのように。


「私ってさ、昔家出とかしたことあったっけ? しばらく家にいなかった時期、みたいな」

『なぁに藪から棒に』

「いや、さっき友達と家出したことあるかーみたいな話になってさ。私ってどうだったっけなーって」


 当然の疑問を述べられて、慌ててごまかす。

 きっとこれもバレてるんだろうな。

 お母さんはふーんと緩い相槌を打った。


『なかったわよ? あなたは本当に手のかからない子だったから。お母さんは大分助かってましたとも』

「やっぱりそうだよねー」


 朗らかに言うお母さん。私はそれに何とか平常心で返す。


 その答えをどう受け止めればいいんだろう。

 私がかつて『まほうつかいの国』に行き、そしてそこでお姫様となったことは今更もう否定できない。それは私が知らないだけで事実。

 でもそうすると、私はこっちにいなかった期間があるはずなんだ。


 善子さんが騒動に巻き込まれて一ヶ月ほど家に帰れず、自分探しの旅をしていたことにしたように。

 私も『まほうつかいの国』に行っていた間、家出や失踪扱いを受けていてもおかしくない。

 それをお母さんが知らないはずがない。もし本当に知らないのだとしたら、お母さんの記憶、それに周辺の人の記憶にまで改竄が行われているのかもしれない。


 私から『お姫様』の部分を引き剥がして『まほうつかいの国』から連れ出したその誰かは、その期間のことがなかったことになるように、私の周囲の人たちにも何かをしたのかもしれない。


 私は一体、どれだけの人を巻き込んでしまっているんだろう。


『ねぇアリスちゃん』


 思わず考え込んでしまった私に、お母さんが優しい声で言った。

 そのアリスちゃんと言う呼び方は昔から変わらない。中学生の頃、一度恥ずかしいからやめてと言ったのだけど、可愛いから嫌と一蹴されたことがあったっけ。

 本当に勝手な母親。でも、大好き。


『悩み事があるみたいだけれど、お母さんは聞きません。無理に話す必要はないよ。もちろん話したくなったらお母さんはいつでも聞くけどね。今だって聞く準備は万端だし』


 普段通りおちゃらけ気味に、けれど温かみのある声がゆっくりとしみてくる。


『思春期だもんねー。親に言えないこともあるでしょう。お母さんもいっぱいあったよー。だからね、そういう時は友達を頼りなさい。友達をね、こう、これでもか!ってくらい頼りなさいな』

「でも……」

『大丈夫。アリスちゃんは昔から友達作るのはうまかったからねぇ。アリスちゃんが作る友達なら、きっと力になってくれるよ』


 わかってる。友達は私を助けてくれる。

 でもそれに頼りきりになってしまっている自分が嫌だった。

 だから、少し頼るのが怖く思えてしまう時がある。


『友達ってのは、実は迷惑かけるためにいるんだよ。知らなかったでしょ。これは大人になってみないとわかんないだろうねー』

「…………」

『困った時は頼って頼って頼りまくって、沢山迷惑かけて助けてもらっちゃいなさい。それでいいの。それが友達。あなたが作る友達は、そういうことを受け入れてくれる子たちだと思うよ?』

「でも、それじゃあ悪いよ……」

『いいんだって。だって友達なんだからね。死ぬほど頼って死ぬほど迷惑かけてやんなさい! それで、もしその子が困った時は、今度はあなたが助けてあげるの。友達ってそういうものよ』


 迷惑かけることを恐れて、一方的に助けられることを恐れていたらその先はない。

 頼ることを恐れた私を頼ってくれる人はいない。

 友達のことを助けたくて頼ってほしいって思うのなら、私の方から相手を信じて頼って助けてもらわないといけないんだ。


『親しき者にも礼儀ありとは言うけれど、私に言わせてみれば、若いうちから親しい人間に想いをぶつけられずに内向的になる方がよっぽどダメだよ。それじゃいい大人にはなれないね』


 ちっちっちっーとわざとらしくフリを入れるお母さん。真面目な話を真面目にしない人だ。


『迷惑かけることを、頼ることを恐れないで。きっとアリスちゃんの友達はアリスちゃんに頼られたいって思ってる。だって、アリスちゃんも同じでしょ?』

「うん」

『なーらそれでいいのよ。受けた恩は返せばいい。持ちつ持たれつ。大事にするだけが友達じゃないし、大事に思うからこそかけなきゃいけない迷惑もある。楽しい時だけってのは、お母さんは友達とは呼びたくないなー』


 そこまで言ってお母さんは急に声を上げて笑い出した。

 なんだか子供扱いされている気がしてムッとした気分になる。


「なんで笑うの」

『ごめんごめん。アリスちゃんも成長してるんだなって。子供はいつの間にか大っきくなってるからびっくりびっくり』

「私だっていつまでも子供じゃないもん」

『そうなんだよねー。母親としてはそれが嬉しくもあり寂しくもある。いつまでちっちゃくて可愛いままならいいのに』


 階段を黙々と登っていたら、いつの間にか屋上へと続く扉に行き着いた。

 鍵はかかっていなくて、押し開くと何もないガランとした屋上に出た。

 特に味気のない夜景が広がっている。


『だーいじょーぶ。アリスちゃんならできるよ。だって私の子だもの』

「うん。ありがとう、お母さん」


 なんだかその言葉は無性に心強かった。

 ここにはいないけれど、でもその言葉だけでまるで優しく抱き締められているみたいで。

 だから頑張ろうってそう思えた。頑張って切り抜けて、お母さんに笑顔でおかえりって言ってあげるんだ。


『じゃ、そろそろ切ろっかな。お母さん今ロシアにいるからさ、お土産何が欲しいか考えておいてねー!』


 最後は朗らかに。その声が名残惜しかったけれど、おやすみと言って電話を切った。

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