史記~司馬遷・天命を識る~
さて司馬遷は郎中となって、大変充実した日々を過ごしていたのではなかろうか。宮仕えの身ではあれど、巡行への随行で見聞を広め、報告書の作成により文章力が高まり、父親が大史令という立場であったから史書の類いも見ることができたであろう。気まぐれな皇帝の侍従なれど、この頃の武帝はまだ名君といっていい存在であったし、無茶ぶりはなかったと思われる。若くて健康で(司馬遷は病弱だとの記述を残していないし、なにより病弱だったら旅なんかできない)、自分の趣味もできるとあったなら、働きがいはあったはずだ。
司馬遷が郎中の間に起きた大きな出来事は、父親の死と「封禅の儀式」である。封禅の儀式とは、「帝王が天と地に対して即位をしらせ、天下が泰平であることに感謝を表す儀式」とある。しかし、その実態は儀式に参加した者によってすら詳しく記されていない。詳しく記さない事により神秘性を増そうとしたのか、本当に天啓が下り記せなかったのかは定かでないが、とにかく武帝は封禅の儀式を始皇帝以来はじめて執り行った。武帝にとって、人生の絶頂の瞬間であっただろう。
その際、大史令だった父司馬談はその職務上、封禅の儀式について調べなければならない立場にあった。しかし、先に書いた通り封禅の儀式について詳しく述べたものは無いに等しかったのだから、相当に苦労したに違いない。年齢もそれなりにあったであろう司馬談は、恐らく過労により封禅の儀式の前に、病に倒れてしまった。一生に一度もない壮大な儀式を見ることができず、大変に無念だった事疑い無い。
司馬談の忌わの際に間に合った司馬遷はここで、人生を決定付けられる父司馬談からの遺言を受けとる。司馬談は言う
「我が家は代々歴史家として、歴史を紡いできた。私の代で編纂を行いたかったが、倒れてしまい無念だ。この国には孔子以来歴史を記し著した物が出てきていない。この国の歴史を紡ぎなおし著すよう、お前に託したい。第二の孔子足らんと務めよ」
この時代儒教が国是となり、父母の言葉とはほぼ絶対である。まして遺言とならば、命令に等しい。司馬遷には他に選択肢はなかったであろう。しかし、司馬遷のこれまでを見る限り、歴史に興味がないとはとても思われない。司馬遷からすれば、この遺言は父の口を借りた天命と思われたのではないか。司馬遷にとっても、後に生きる人たちにとっても影響を与える「史記」の起こりはここに始まったのである。
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