第五話
トントントントン。
夜半過ぎ、いつものようにリリィがダベンポートの書斎にやってきた。礼儀正しい四回ノック。
「やあ、リリィ」
立ち上がり、書斎のドアを開ける。
「旦那様、お茶の時間です」
リリィはトレイにティーポットとティーカップ、それにお茶菓子を乗せて静々と入ってきた。
ダベンポートの前でリリィはお茶菓子のショートブレッドとティーマットをティーテーブルに広げると、ティーカップに丁寧な仕草でお茶を注いだ。
「今晩は東洋のキームンにしました。夕食後のお茶が子羊に合わせてアップルティーでしたので、夜は蘭のお花の香りのお茶が良いかと」
なるほど。夕食や食後のお茶とのコンビネーションまで考えているのか。
お茶は深い。
「ああ、ありがとう」
ティーカップを持ち上げ、とりあえず香りを嗅ぐ。
「いい香りだ」
リリィはニッコリと笑った。
「お帰りになった時、旦那様が難しいお顔をしていらっしゃったので少し心配していました」
ティーポットにティーコジーを被せながら言う。
「そんなに酷い顔をしていたかい?」
そんなに顔に出るとは思ってもみなかった。
「それほどでもありませんが……。でも、ちょっと」
「それは申し訳なかった、リリィ」
ダベンポートは素直に謝った。
「いえ。でもあまり根をお詰めなさいません様。お身体に障ります」
二杯目のお茶の準備を終え、リリィがトレイを身体の前に抱える。
「それでは旦那様……」
と、辞去しようとするリリィをダベンポートは呼び止めた。
「ああ、そう言えばリリィ」
「はい? 旦那様」
すぐにリリィがこちらの方に戻ってくる。
「ちょっと面白い物を見せよう」
ダベンポートはティーカップとソーサーを持ってデスクの方へ向き直ると、引き出しから羊皮紙を取り出した。
「済まないが、リンゴとカミソリを一枚持ってきてくれるかい?」
「? は、はい……」
リリィが不思議そうにしながらもパントリーへと降りていく。
ダベンポートは昼間の再現をしようと思っていた。
いつもは実験室で魔法を行使するから久しく座標などを調べた事がない。
ここは一つ、全く同じ手順でやってみようじゃないか。
ひょっとしたら何かが狂っていて、あの土地が原因ではなく違う原因で魔法が発動しなかったのかも知れない。
せっかくの
上着の内ポケットから取り出した地図を広げ、座標を調べる。コンパスも昼間のものと同じにした。
再現試験だ。場所以外は全く同じ条件にしないと。
「持ってきました」
リリィはすぐにリンゴとカミソリを両手に持って戻ってきた。
「でも旦那様、これは一体……」
「なに、リリィに一つ魔法を見せようと思ってね」
とダベンポートはリリィに笑顔を見せた。
「リリィは見た事がないだろう?」
「はい……」
ダベンポートはリリィからリンゴとカミソリを受け取ると、羊皮紙にフリーハンドで魔法陣を描いた。調べた座標と方位から
「リリィ、こちらにきてごらん?」
ダベンポートは準備を終えるとリリィを傍らに呼び寄せた。
「はい」
すぐにリリィがダベンポートの右側に立つ。
リリィの頰は少し紅潮していた。ようやく何を見られるのか判った様だ。
「ごらんリリィ、これが魔法だ」
そう言って起動式を唱える。
「────」
次いで固有式。
術者:ダベンポート
対象:リンゴ
エレメント:カミソリ
「────」
いつもの様に魔法陣のルーンが浮き上がり、空中で淡く光りながら回転する。
ちゃんとした右回転。
フラガラッハ邸で実験した時は左回転だった。
「!」
リリィの大きな青い瞳がますます大きく見開かれる。
と、詠唱が終わると同時に魔法陣に書かれていた呪文が起動した。
スパンッ
軽快な音を立て、リンゴが八つに割れる。
突然、術は終了した。
解呪の護符を取り出し、デスクに残った魔法陣を消去。一瞬で魔法陣の跡が綺麗になくなる。
「とまあ、こんな感じだ」
ダベンポートは切ったリンゴの一片をつまむと、うまそうに齧ってみせた。
「すごいです、旦那様! 初めて見ました!」
リリィが両手を組んで興奮した様に言う。
「この魔法はね、初歩の初歩なんだ。魔法学校で一番最初に習う呪文だよ……」
ダベンポートはリリィに初等魔法の駆動メカニズムを説明し始めた。
…………
興奮しっぱなしのリリィがうきうきと寝室に引き上げた後、ダベンポートはデスクを前にして考え込んでいた。
確かに、魔法はちゃんと起動した。
だが、何かがおかしい。
なぜか違和感を感じる。どこかが妙だ。
「…………」
ダベンポートはその違和感の元を探すべく、もう一度地図を広げてみた。
コンパスも取り出し、両方を見比べる。
今の時期、朝日はダイニングの窓の向こうに現れる。つまり、ダベンポートの家の玄関は西を向いているという訳だ。
それに対してフラガラッハ邸の玄関は東を向いて建てられていたはずだ。だとしたら……
慎重に地図を調べ、三角定規を二つ使ってダベンポートの家とフラガラッハ邸の向きを比較する。
(ひょっとすると、これかも知れない)
ダベンポートは急いで手帳を開くと、二つの方位をより正確に記録し始めた。
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