第18話 侮辱・怒り・疑念、そしてメールアドレス

「直ぐに来るから、ココで待っていて!」


 ホテルでチェックインの手続きを済ませた詩子のほぼ拒絶に近い命令により、オレはホテル「仙波屋」のロビーで缶コーヒーを啜りつつ、ガラゲーでとある人物のメールアドレスを見つめていた。

 ガラゲーから移した視線の先にあるホテル入口は今の流行なのか、至る所に間接照明を取り入れていており、そのクドさが返って安っぽさを生み、館内を流れる有線放送と相俟って、全体的には鶯谷にありそうなラブホテルのようにも思えた。



 目の前を影が過る。

 きっと詩子が来たのだろう。


「早かったな」

「早かった?」

 そう答えながらオレの目のソファーにひとりの男が腰を下ろした。

 背筋にチリチリとした独特の感覚が走る。


「噂通り帰って来てたんだな。九角」


 長身。それに線で描けるような薄く整った顔立ちに白く染め上げられた髪。服装も長袖のシャツに皮パンの組み合わせを上手に着こなし、おまけに身体からは香水の匂いまで漂わせている。その風体はミュージシャンかホストのようだ。


「ご無沙汰してます。三廻部先輩」

 三廻部修司みくるべしゅうじ。オレより1つ年上の先輩。今朝の話だと『口笛が止まらなくなっている』ハズだ。


「挨拶くらいには来いよ。相変わらず素っ気無いヤツだな」

「すいません。色々バタバタしてまして」

「冗談だよ。久しぶりの帰郷だもんな。そんなもんさ。俺もたまたま通りかかったら、九角の姿がガラス越しに見えたからさ、話だけでもと思っただけなんだ」

 誰に対しても、始めのうちは物言いが穏やかなのは昔から。


「今日は調子がいいんだ。聞いているとは思うけどサ、俺さ、アレなんだよね」

「いや…… その…… 」

 警戒、疑念、そして畏怖、もしかしたら同情の様な気持ちも沸いていたのかもしれない。とにかく、オレが返答に戸惑っていると、三廻部先輩の目線がオレから斜め後方へと移るのが見えた。


「九角クン、お友達・・・・・・かな?」

 後ろ、正確に言えば、斜め後ろから聞えた詩子の声。正樹や姉貴に使っていた余所行き用の声とオレに用いる棘のある声が入り混じった話し方だ。


「いや、地元の先輩だよ」

 迂闊だった。雄馬や谷口に忠告を受けていたにも拘らず、女癖の悪く、矢鱈とオレに絡んで来るこの先輩の事を詩子に伝える事を忘れていた。


「俺はコイツの友達であり、先輩だよ。なっ、九角!」

「コチラ、三廻部修司先輩。オレたちよりひとつ上の方だよ。サッカー部で色々面倒を見てもらった」

「俺からポジションを奪った後輩に面倒見てもらったって言われるのは、どうにも気恥ずかしいなぁ」

 乾いた笑い声に加え、言葉が丸みと明るさを纏いだした。明らかに詩子に関心を持ち始めている証拠だ。


「…… 円詩子です」

 頭を深く下げ、挨拶をする詩子。


「詩子ちゃんかぁ」

「いえ、円です」

「いや、下の名前、詩子って言ったじゃん」

 そっけないやり取りに嫌な予感が過ぎる。


「出会って間もない方に、馴れ馴れしく呼ばれるのは好きではありません」

 毅然とした言葉に三廻部先輩の表情が一瞬、険しくなった。


「ゴメンね、円ちゃん。確かに少し馴れ馴れしかったかな? 申し訳ない」

「いえ、分かって頂ければ構いません」

 そう答えたものの、表情は『ちゃん』づけも心地よく感じていない事を露骨に顕していた。


 人間は出会った瞬間、脳内で1,000以上の項目について分析を行なっていると、バイト先の院長先生から教えてもらった事がある。

 院長曰く、人間は初対面の人物と相対したその瞬間、性別や年齢、瞳の色や大きさ、顔の形、声の質などのありとあらゆる事を好き・嫌いの二元論で判断していると言うのだ。

 そして、判断要素で好きの占める割合が高ければ高いほど、その人物に親愛の情を抱き、逆に嫌いの割合が高くなればなるほど、嫌悪感を抱くらしい。そして、それを人は生理的に嫌い、あるいは一目惚れと呼んでいると。


 多分、詩子は、その直感をもって目の前にいる男、三廻部修司に嫌悪感を抱いている。そんな感じの表情だった。


 ホテルのラウンジに流れる有線放送が少し大きくなった気がした。


「でも、安心したなぁ。九角が戻って来れたうえ、こんな可愛い彼女を連れてくるなんてさ」

 流れを自分に引き寄せる為なのか、三廻部は表情を変えずに視線だけをオレに向けてきた。言葉の出し方にも恣意的な何かを感じる。


「彼女ではありません」

「えっ!? そうなの?」

 詩子の返答。そして、三廻部修司の顔に宿るゆとりと笑み。


「ひょっとして九角は、茜音の事を引きずってるのか? むこうは自分の顔に傷をつけた男なんて、顔も見たくもなかったハズだけどなぁ」

 さっきの腹いせ代わりに並べた言葉である事は分かっていた。そして、それがあながち嘘ではない事も。


 ヤツの言葉は続いた。


「例えあの光木茜音でも、嫌いになった男の事なんて、忘れていた筈さ。まぁ、好きになった男にはカンタンに股も開いたけどね」

 

 俺の奥歯がひとつ鳴ると同時に、目の前を凄まじい速さで、ひとつの影が通り過ぎた。



 パ――――――ン!!!!



 ホテルのロビーに乾いた音が響く。


 目の前には、こちらを見つめる三廻部修司と、その男の頬を叩いた詩子。


「次、茜音の事を侮辱したら、この程度じゃ済まさないから!」

 それは、はじめて目にする詩子の怒りの表情だった。


「……へぇ、なるほど」

 声と瞳に怒気が無い事が逆に不気味だった。

 それがオレの警戒心をあげる。


「なんだ、九角、その目は・・・・・・ テメエの女を止めもしねぇで、のんびり腰をあげやがっ・・・・・・!

 素が出た三廻部が口元に微笑を浮かべ言葉をそこで止めた。


 ヤツの視線はオレの右手に注がれている。


「あのスローな動きはか。右手はマトモに動かせねぇだけかと思ったけど、違うらしいな・・・・・・ !!! そう言えば、オマエのお袋さんが、昔言ってたけな『急激に身体を動かすと手に痛みが走るみたいだ』って・・・・・・ ひょっとして、サッカー辞めちゃった理由ってソレ? あの快足ウィングの九角クンがねぇ・・・・・・ 先輩としてボク心配だよぉ」


 ヤツが吹きかけてきた甘い息に思わず顔を顰める。


「・・・・・・ 先輩に心配をかけた覚えはありません」

 煽っている事は分かっていた。そして、その矛先がオレではなく詩子に向いている事も。


「亡くなった人間を愚弄し、人のトラウマを抉るなんて、アナタ今まで私が見た人間の中で最低の部類だわ」

 詩子の声は艶がある分、本当の意味での棘を持たせると茨の剣となり、より辛辣に聞える。


「へぇ、だったら何だい? 俺に教育的指導でもしてくれるのかい」

「アナタに教える事も教わる事もないと思います」

 さっきまでのやり取りが、相当頭に来ているのだろう。詩子の顔は高潮していた。


「いやぁ、色々教えてあげられると思うよ。世の中の厳しさとか、男の身体の仕組みとか、ベッドの上での作法とかさ・・・・・・ 俺はキミ等のよく知る人物にも、その辺の事を教えてあげたんだぜ? まぁ、あの女もテメエや新見、他の男とかも散々誑かしたビッチだけどな」


「テメェ、いい加減にしやがれ!」

「ふざけないで!!!」

 一瞬だった。


 三廻部は掴みかかった俺の右手を取ると、軽く投げ飛ばし床に叩きつけた。


 痛みの中、何とか顔を上げ見つめた視線の先には、再び頬を叩きに行った詩子の右手を軽々とかわし、彼女の鼻先ギリギリまで顔を近づけて舌を出す三廻部の姿。


「……!!!!!」

 口から小さな悲鳴をもらし、腰から崩れ落ちる詩子。


「九角、オマエ、ホントに右手がまともに動かないんだな」

 視線をオレに移した三廻部の顔に浮かぶ笑み。その笑いは嘲笑だった。


「コレは正当防衛だからな、先に手を上げたのは、お前たちなのはホテルの人たちもソコの防犯カメラも証明してくれる」

 余裕。この男と関る事を多くの人が避けるのは、その性格云々よりも、この頭の回転の速さを本能的に恐れているからだろう。


「さーてと、ポンコツの九角は後にするとして、生意気な詩子ちゃんはどうしようかなぁ」

 三廻部修司は腰砕けになって震える詩子の頭に手を乗せると薄い笑顔を見せる。


「オマエが気に食わないのはオレだろ? その子には手を出すな!」

「くぅ~ぅ! 相変わらずカッコイイねぇ、さすが、豊代中の一匹狼。女の子に人気があったわけだ」

 そうおどけながらも、三廻部の視線はオレでも詩子でも無くホテルのフロントの方向を捉えていた。もしかしたら従業員が警察に連絡をしているのかもしれない。


「・・・・・・騒がしちゃったみたいだから、そろそろ帰ろうかな。またな九角、それと詩子ちゃん」

 そうオレに向けて嘲るような笑顔を見せた三廻部は、口笛を吹きながらゆっくりとホテルの外へ出て行ていった。


 ホテルのロビーにはヤツの残したベタ付いた甘い香りがいつまでも残り、そんな中、オレはひとつの疑念を抱きながら、痛む右手をいつまでも見つめ続けた。

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