第10話 ―――7年前・茜岬、そして事故

 気が付いた時には終点の「茜岬駅」に着いていた。


 いつ、自分の最寄駅である「箱ヶ原温泉郷はこがはらおんせんきょう駅」を過ぎたのか、それすら覚えていない。それほど壮平は光木茜音との会話に夢中だった。


 本が好きだという事

 ぶりの照焼きとアボガドは好きだが、西瓜すいかと半熟の目玉焼きは食べることが出来ない事

 弟の巧君と仲が良いと言う事

 麻で出来た洋服が好きで何着も持っている事とその理由

 そして、冷静そうに見えるが、実は慌てん坊で話し好き。そして何よりよく笑う事。

 彼女のそんな全てが壮平には魅力的に思えた。



 駅前のロータリーを抜け、茜岬に続く海岸通りの道に出るまでふたりの会話は続いていた。



「……嘘でしょ!?」


 最初にソレに気が付いたのは、隣を歩く光木茜音だった。歩みを止めた彼女の見つめる先にあったのは茜岬。

 そして、その沿道で赤色灯せきしょくとうを光らせる緊急車輛とマスコミの車―――


 それらが何を意味するのかは、この温泉街に住むものなら、いや『茜岬』の名前を知っている者ならピンと来るはず。それらの車輛が身投げがあった事を意味し、また当面、岬一帯には立ち入る事が許されない事を意味する事を……


「身投げがあったって、通報があったらしいぜ!?」

「今日は満潮の日だものね」

「ネット情報だと、身を投げたのは若い女性らしいわよ」

「うわっ、マジで?」

 既に集まっている野次馬はどこで仕入れたのか身を投げた人の情報をやり取りしていた。その横では、早くもマスコミ連中がインタビューを行なっている。



「オレ、入れてもらえないか警察の人に聞いてくるよ」

 そんな様子を遠巻きに見つめ、壮平は光木にそう告げた。

「ダメだよ。亡くなった人がいるのなら直ぐに立ち入るのは不謹慎だし、良くないよ」

 そう返した光木茜音の下唇はうっすらと赤くなっていた。


「でもさ、見た事ないんだろ『茜蛍』」

「残念だけど仕方の無い事だよ、諦めよ・・・・・・ ねっ? 」

 どこか諌める様にそう語る光木の言葉に壮平は自身の熱が冷めていくのが分かった。


「いいのか」

「…… うん、帰ろ。今の時間なら、そこから『スパリゾート光木』行きの送迎バスも出てるし、ちょうどいいよ。ウチへの直行便だよ! これはラッキーかも!!! 」

 壮平を元気づけるように笑う光木が示す先には、潮風と陽射しで琥珀に色づいたバス停。


「家まで送るよ」

「九角君の家は反対方向でしょ? 大丈夫だよ。今日、無理言って、つき合わしちゃったし」

「いや・・・・・・そんな事はねぇけどさ」

 励ましてもらったにも関らず大して気の利いたセリフを言えない自分に壮平は苛立ちを感じていた。


「・・・・・・ じゃあ、送る代わりにバスが来るまで、おしゃべりの相手になって貰ってイイかな? 」

「ああ」

 少し俯き気味に尋ねてくる光木にそう静かに答えた壮平はバス停に向かい歩き始めた。


 反対車線に路駐してあるパラボラアンテナがついた車からチリチリと響く不快な電子音が聞えてきた。おそらくは何かの機器に電源を入れたのだろう。

 時刻は18時10分。

 あと5分もすれば陽がオレンジ色に色づき始める。ふたりで見れたはずの茜蛍の舞い。そんな夕焼け空を光木茜音は悲しそうに見つめていた。


「私はやっぱり『ノーマル・ブレイカー』だね。ゴメンね、私の運の悪さに巻き込んじゃって」

 そう苦笑いを浮かべる光木の瞳は涙で少し濡れている様にも見えた。


 その表情に胸が締め付けられる。


「そんな事ねえよ…… オレにとっちゃ、今日はこれ以上ない1日だった」

 思わず出た言葉。


「・・・・・・えっ?」

 光木は壮平の言葉に戸惑っている様子だ。


「だって、そうだろ? ずっと話をしたいと思っていた光木とこんなにたくさん話が出来たんだ。しかも、2人きりでさ」


 海岸沿いにあるバス停前で立ち止まる光木の背に夕陽が輝きだす。


「・・・・・・」

 光木は黙って話を聞いてくれていた。


「オレ、お前の事が好きなんだ」


 半分は光木の涙を見ての勢い。もう半分は夕陽のおかげで出た言葉だった。そして、それは彼女をはじめて見たその日から8年間、秘めた思いでもあった。


 聞えて来るのは遠くで鳴る波の音、そして例の電子音。


「オレとつき合って欲しい」


 微笑む光木の顔が赤いのは夕陽のせいなのか、壮平の言葉によるものなのかは分からない。


「返事をもらえると、ありがたい。いつでもいいからさ」

 壮平は視線を少しだけ反らして、もう一度光木にそう声を掛ける。


「ありがとう…… 次の晴天勁風の日、茜岬ここで、もう一度さっきの言葉聞かせてくれたら嬉しいな。私も必ずお返事するから。話しておかないといけない事もあるし……」

 含みはあったが、光木茜音の表情から何となく察しが付いた壮平は思わず息を飲んだ。


「次の晴天勁風の日か」

 好天気が続く今の時期なら、5日以内にその日は訪れる事は間違いがない。


「うん。次の晴天勁風の日こそ、茜蛍を一緒に見よ!」

「ああ」

「『茜蛍の約束』だね」

 にこやかに笑う目の前の少女が壮平には何よりも眩しく見えた。




 パァァァァァ――――――ン!!!!!!!!!




 突然、あたり周辺に鳴り響くクラクション。次に質量の高いモノ同士がぶつかる嫌な音。

 そして、ふたりの眼の前には巨大な鉄の塊が猛スピードで迫ってきていた。


 それは、一瞬の出来事だった。


 反対車線に駐車まっていたTV中継車。

 それを追い越そうとした1台の乗用車が対向車線を走っていたタクシーに接触。そこに後続車が次々と衝突して、多重衝突をおこした。さらに、その多重衝突を避けようと急ハンドルを切ったトラックが横滑りを起こし、2人に迫って来ていた。


「茜音!」


 咄嗟に下の名前を叫び、彼女を突き飛ばす。そして次の瞬間、壮平は全身に強い衝撃を受けた。

 何がどうなったのかは分からない。ただ、右手と背中、そして頭が焼けるように熱く、吐き気を覚えた。


 ゴムが焼ける不快な匂いとせ返る煙。


 壮平が何とか開いた瞳で捕らえたものは、自分の肩を抱き、名前を何度も呼んでくれている光木茜音の姿。


「壮平くん、しっかりして!」


「お前も目尻から血が出ている、止血しないと・・・・・・ それに車のガソリンに引火するかもしれない。早くここから離れろ」

 自分の身体の何処がかなりの出血をしていて、既に満足に動けないのは分かっていた。


「バカなこと言わないで!」

 鳴り響くサイレンの音が近づいてきた。元々、緊急車両が近くにあったのだから、少なくとも茜音は助かるだろう。


 光木茜音に抱かれる感触を心地よく感じながら、壮平はひとつため息をついた。


「茜蛍の約束か…… 」

 自分たちを撮影する野次馬。それをどこか他人事のように眺めながら、壮平は自身の意識が暗闇に沈んでいくのを感じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る