休養と癒しの香り

 ディアナの不調は、激しいものだった。

 腹痛とも腰痛ともつかない痛みと頭痛が続き、起き上がることもできない。

 だらだらと続く出血に脱水気味で、いくら水を飲んでも眠気が去らない。


『明らかに、見る人が見れば分かる重い月経症状ですありがとうございます! あー、レーンが病弱だったからなんとかごまかせてるけど、普通の男の子だったら2回目で絶対疑われるレベルよこれ……』


 セリカが、空中からおろおろとディアナを見守っていた。

 何を言っているのかはディアナにはよくわからなかったけれど、落ち着きなく揺れる黒いドレスのすその動きからさえも、ディアナのことを心配しているのが痛いほど伝わってくる。


「う……セリカ……」


『安静が一番よ、ディアナ。頭痛薬……はあったとしても柳の皮のアスピリンだからあんまおすすめできないし……温かくすることが第一よ。ブレナン先生に言って、ユタンポでももらってきなさいな』


「セリカ、ユタンポって、なに?」


 ディアナが聞き返すと、ハッとした表情でセリカは固まった。


『そうだった、ここ、日本じゃなかった……お湯を使った暖房器具よ。密閉できる瓶が何かに、熱湯を注いでふたをしてもらって、布で包んでもらいなさい。お腹に当てるだけで、ずいぶん楽になるわよ』


「うう……」


『痛いところに手を当てるだけでも変わるわ。とにかく、生理っていうのは、子供を産む準備をしていたのに産めなかった緊急事態なの。体にとっては。だからこんなに痛いの』


「だったら……毎月も……いらない……」


『神様なんて、人間のことを考えないバカなのよ、きっと』


 男装しているという事情が事情ゆえに医師を呼ぶこともできなかった。

 ディアナが痛みに耐えていると、控えめにドアがノックされた。


「失礼いたします。メリッサでございます。ブレナン様の代わりに、お見舞いに参りましたわ」


 蝶番のきしみとともに、ふわりと甘く、優しい香りがやってくる。


「特製のハーブティーですわ。きっと、頭痛と腹痛も良くなるはずですわ」


「いい香りだね」


「カモミールとペパーミントの、2つをブレンドしたものですの。少しだけ、蜂蜜もたらしていますの」


 メリッサに差し出されたカップを、ディアナは受け取る。

 ハーブティーを口に含むと、素朴な風味が広がった。

 リンゴのような甘い香りと、草のえぐみの中に、風のようなミントの爽やかさ。

 それらを優しく蜂蜜の甘みが包み込んで、


「おいしい! 派手じゃないけど、こういうのもいいね」


「特に女の子に人気のフレーバーですの。いい香りですので。皇太子様のお口にも合って、何よりですわ」


 メリッサは他意なく嬉しそうににこにこしている。

 ディアナはぎくりとした。


「あら? 皇太子様? 手が震えていましてよ? ぬるめのお湯で入れましたから大丈夫だと思っていましたが……もしかして、熱かったですの?」


 バレたわけじゃない。ディアナは深呼吸して、首を横に振る。


「ううん。体調のせい、だと思う。一瞬のことだから、気にしないで。絹商品作り、どうなってるの?」


「今は……生糸を作るためにまゆを煮て、その煮汁で化粧水をの試作品をつくっていますわ。でも、なんだかパッとしなくて、キーツ様からダメ出しをされてばかりですわ。こんなものを、女が買うはずがない、人気が出ないって……」


『確かに、まゆを煮たあとの汁なんて澄んだただの煮汁って感じよね……グリセリンを加えられたらまた話は別かもしれないけど……手に入らないわよね、でも何か混ぜないと……』


 メリッサの話に、セリカがよくわからない言葉をまじえてまた考え始める。

 何か混ぜる。人気。どうしよう。

 ディアナはうつむいてしまった。その時、手に持ったままのカップが目に入った。

 そうだ。

 ディアナはひらめいた。

 そういえば、メリッサが女の子に人気の香りって言ってなかったっけ。


「化粧水に香り付けをしたらどう? ハーブティーとかで」


 メリッサは、困ったような表情になった。


「香り付け……といっても、まゆを煮た汁はすぐに腐ってしまいますの。だから、漬け込めませんし、ハーブティーを入れたら化粧水としての効果が薄まってしまいますし、ハーブの汁を絞って入れるにしても手間がかかりますの。もっと手軽じゃないと、キーン様が商品として認めてくださいませんわ」


「どうしようか……」


『それなら、別の化粧水を混ぜたら?』


 セリカが話に加わった。


「えーと……香り付けした、別の化粧水を混ぜるのがいいんじゃ、ないかな」


「別の化粧水? 心当たりがありますの?」


 メリッサは身を乗り出してきた。助けを求めるようにセリカを見ると、セリカはにっこり笑った。


『ハンガリアンウォーター、っていうのがあるの。それを化粧水につかったハンガリーの王妃72歳が若返りすぎて隣国の王子に求婚されたなんて逸話があるの。さすがに事実ではないだろうけど、よく効く化粧水と認識されて使われてたのは確かよ』


「どうやって作るの?」


「それを皇太子様が教えてくださるのでしょう?」


 いけない。いつもの夜のように、セリカに質問してしまった。

 メリッサの声に、ディアナははっと我に返った。

 今は昼だし、隣にはメリッサがいる。バレるわけにはいかない。


「……だったか、ど忘れしちゃったんだ。思い出すから、ちょっと待ってて」


『簡単よ。作り方は。ウォッカ……透明な、強い蒸留酒よ。そのお酒にローズマリーたくさんと香りづけにオレンジピールかレモンピール少しと、お好みでラベンダー少し入れて、半月漬け込んで、たまに揺すって混ぜるの。それで完成』


「えーとたしか、透明な強い蒸留酒に、ローズマリーをたくさんと、オレンジピールかレモンピール少しと、お好みでラベンダー少し入れて、半月漬け込んで、たまにゆすって混ぜれば、できる……はず」


「薬草酒みたいな感じですわ。それなら、ローズマリーは根づけばいくらでも生えてきますから、すぐに作れますわ」


「ありがとう」


「皇太子様にお仕えできて、感謝の言葉まで頂けるなんて光栄ですわ」


 メリッサはスカートを軽くつまみ上げて挨拶する。

 やっぱり、ここにいるのは【ディアナ】じゃなくて皇太子なんだ。

 そう思い知らされて、ディアナは底知れない危機感を覚えた。


「では、皇太子様、ハーブティーも飲み終わったようですし、メリッサは下がらせていただきますね」


 メリッサは空になったカップをディアナから引き取り、そのまま立ち去ろうとした。


「まって、メリッサ」


「なんですの?」


 化粧水に、名前をつけなきゃ。その名前は。

 ディアナは、ゆっくりとその名を発音した。

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