マルベリー・ピクニック

 かいこの足場を作った翌朝。

 ディアナはぼんやりした頭痛を感じた。しっかり寝たはずなのに。押し込むように朝食を食べていると、心配そうにブレナンが口を開いた。


「体調がすぐれませんか? ディアナ様」


「うん……なんだか、頭が痛くて」


「でしたら、体を動かして新鮮な空気を吸うのはいかがですか? 今日の授業は取りやめて、元娼婦もとしょうふたちと桑畑で桑とりをして気分転換をするのはいかがでしょうか?」


「いいね、それ」


 そうと決まったら話は早かった。すぐに娼婦たちが呼び集められ、一行は桑畑に向けて出発した。

 ディアナの部屋から王城の正面玄関ではなく、庭園へ続く出口へ。桑畑は庭園の片隅に植えたマルベリーの並木なのだ。

 向こう側から金髪の少年がやってきた。彼はそのまま一行とすれ違う。

 その瞬間、ディアナははっとした。

 その少年と、目があったのだ。

 彼はすぐにディアナから目を背け、城に入っていった。

 それでも、ディアナは心臓が凍りそうなほどすくみ上がった。

 少年が、一瞬自分の顔を凝視ぎょうしし、眉をひそめたのをはっきりと見てしまったのだ。

 まるで、ここを歩いているはずがないとディアナを責めるかのように。

 彼は、本物のレーンを知っている。今すれ違ったのは自分が知っている少年だ。ディアナは確信した。彼の名前は。


「レミー?」


「皇太子様? どうかしましたか?」


 思わず彼の名前を口に出してしまったらしい。メリッサがディアナに話しかけた。ディアナはうなずく。


「知り合い……だと思う」


「知り合い? 挨拶なさいますの?」


「ううん……すれ違っちゃったし、身分の差もあるから、今はほっとく」


「そうですの」


 そんな話をしているうちに、マルベリー畑についた。枝を見て、ディアナは歓声を上げた。


「わあ! マルベリーの実がいい感じに実ってる!」


 黒くてツヤツヤした実が、大きな葉から見え隠れする。早速一つつまんで食べる。


「美味しい!」


 野性味のある爽やかな甘酸っぱさ。女たちは、つまみ食いをしながら桑の葉を集めていった。ヒルダがつぶやく。


「これは……本当に美味しい」


「ジャムにしたらもっと美味しいよ!」


 ナオミはパンから肉のソースまで、ほとんど全ての料理にマルベリージャムを使っていた。ディアナは昔のことを思い出した。虫集めに理解は示してもらえなかったが、確かにマルベリーは美味しかった。


「でも……砂糖、高い」


 うつむいたヒルダの肩を、ミルキーが叩く。


「砂糖を好きなだけ買えるくらい、どしどし絹を売ろうじゃないか!」


「そうだね、ミルキー姉!」


 サラが強く同意する。そうだ。絹をどしどし売って、世界を変えるなら、砂糖も楽に買えるようにしなきゃ。ディアナは決意を新たにした。


「ところで、そろそろ正午ですし、お昼にしません?」


「わあ、おいしそう……!」


「ちょっと厨房を貸してもらいましたの」


 メリッサがバスケットを開いた。その中には、見るからに美味しそうなものが詰まっていた。

 みずみずしいクレソンと、赤色が食欲をそそるローストビーフの挟まったサンドイッチ。

 月光のようにまろやかなチーズと、淡い桃色の柔らかそうなハムの挟まったサンドイッチ。

 緑が目に眩しいキュウリと、つややかなスモークサーモンの挟まったサンドイッチ。

 香ばしい匂いのスコーンもある。

 そしてその横には、保温用キルトカバーで包まれたティーポットと、人数分のティーカップがあった。


「はい、どうぞ」


めいめいマルベリーの下に腰をおろす。ディアナはメリッサからティーカップを受け取った。ほんのりと暖かい。

一口含むと、華やかな香りが広がった。それでいていやなしぶみがない。


「メリッサ、お茶入れるの上手だね!」


「そ、そうですの?」


「美味しいよ。あたしが今までで飲んできた中で、一番」


 ミルキーも紅茶を絶賛した。


「本当、でございますの? う、うれしい……」


 メリッサは泣き出した。目元に手を当て、顔をぐしゃぐしゃにしている。ディアナは慌てて彼女に声を掛けた。


「どうしたの?」


「申し訳ございませんの。でも、皇太子様とお姉さまに私のお茶を褒めていただけて……やっと、やっと終わったんだ、行きずりの男にブスだなんだとののしられながら……耐えなければいけない日々が、終わったと、やっと実感できましたの。やっと、やっと戻って来れたんだって……ご主人様に、お茶をお出しするお仕事で、わたしは生きていけるんだ、と思うと、感極まってしまいましたの」


「そう、なんだ……」


 メリッサが泣き止み、バスケットの中身が空になってから桑取りは再開された。言うまでもなく、マルベリーのつまみ食いも。

 口と指先をマルベリーの汁で紫色にしながら桑とりを終え、城に戻ると、ディアナは腹痛まではいかないが下腹に違和感を感じた。

 もしかしてマルベリーを食べ過ぎてお腹壊しちゃったのかな。まあ寝たら治るはず。ディアナは布団に潜った。

 ディアナは深い眠りに落ち込み、彼女が次に目を覚ましたのは翌朝だった。

 そして――目を覚ました彼女は、下半身に違和感を覚えた。

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