犠牲と祈り
糸の品質が下がった、というキーツからの報告を受け、ディアナはいい考えが思い浮かばなかった。
しかし、セリカは解決策を知っているようだ。
「なぜだろう?」
キーツにセリカの存在がばれないよう、独り言のようにディアナはささやいた。
『簡単よ、糸の作り方がよくわかっていないから品質が落ちるの』
「そういうことか……キーツ殿、新しく入ってきた女の子たちは、糸の作り方がわかっていないのでは?」
ディアナがたずねると、キーツは難しい顔でうなずいた。
「確かに、そうかもしれませんが……新人に手順を教えるのに、熟練した元娼婦を当てるとなると、生産量が落ちます」
「教える、か……」
たしかに、教えてもらえなければ何もわからない。
突然、ディアナは全てが変わってしまった日を思い出した。
あの日、レーンがこの世を去り、わけもわからないまま母親のナオミに髪を切られたとき。
ディアナは自分が王家の血筋だと知らなかったから、突然のことに戸惑い、ただ貴族の言いなりになって偽物の皇太子に祭り上げられてしまったのだ。
少なくともあのとき、貴族はとにかく【レーン】に皇太子として作り上げる必要があって、だからレーンが死んだら、ディアナを代役にしたのだ。
それはそれとして解決策を考えなければ。ディアナはセリカに目で訴えた。
『それなら、糸の作り方をわかりやすく説明した教科書を作ればいいの。実技はやってみせなきゃいけないけど、本があれば理屈を自分の好きな時に復習できるわ』
「キーツ殿、教科書を作ればいいのでは?」
セリカの提案をそのまま言うと、キーツは信じられないものを見る目でディアナを眺めた。
「皇太子様……それは無理でございます。本は貴重品でございます。本とは、一文字一文字職人が文字を書いて作り上げるものです。一体いくらかかるのか、想像もつきません」
『しまったわね……この世界にはカッパンインサツがなかったのを忘れていたわ……いいえ、ないなら作ればいいのよ』
「カッパンインサツ?」
「皇太子殿?」
セリカの言葉を繰り返すと、キーツが怪訝そうにディアナを見た。
そうだった。セリカは他の人に見えないんだった。ディアナは慌てて真顔を作った。
「教科書作りについては、ぼんやりとだが案がある。また後日来てほしい」
「承知しました」
キーツは
扉が閉まり、部屋にはディアナとセリカだけが残された。
誰もいないのを確認し、ディアナはそっと口を開く。
「セリカ」
『なに?』
「ひどいこと、してるよね」
『蚕を煮ること?』
「うん」
ディアナの沈んだ表情を見て、セリカはふよふよとディアナの隣に降りてきた。
「蚕ってさ、私に似てるよね……外側のレーンだけが必要とされるみたいに、
『そんなことにはさせないわ。あなたの魂をもらった以上、知識を通じてあなたの望みを叶えるのが、悪魔よ』
そうだった。ディアナは思い出す。
偽物の皇太子生活が全部嫌になって、王族だけが入れる、悪魔が封印された部屋でセリカと出会ったんだった。
たった一人(悪魔?)とはいえ、自分のことをディアナとして扱ってくれる存在があることで、ディアナは少し気分が軽くなった。
「でもさ、蚕にはセリカがいないよ」
『だったら、ちゃんと供養か感謝して、蚕はここにいたって事を伝えないとね』
「何か方法があるの?」
『そうね、私の国だと、蚕を祭ってたりしたわね』
「えっ、虫に祈りを捧げるの?」
びっくりしてディアナは聞き返した。
毎日を無事に過ごせた感謝や、レーンの病気が良くなるように、といったことを祈るのは、人間には想像もつかない尊い力を持った神様だから、とディアナは思っていた。
『そうじゃなくて、無事に蚕を育てられるように、って蚕を守る神様に祈ってたの』
「だったら、結局人間の都合じゃない……」
ディアナは吐き捨てた。
『でも……そうね。
「そっか。ちゃんと、虫のことを忘れずにいるためのことも、あったんだね」
『そうよ』
糸を取ることだけ注目されていた蚕の、犠牲になったさなぎがちゃんと弔われるようにすれば、それを参考に、自分が公式にディアナに戻れる日が来るのかもしれない。
ディアナは勢いよく立ち上がった。
「そうと決まったら、私も娼婦たちの指導に回らなきゃ! 久しぶりに蚕触りたいし!」
『ディアナ、待ってよ! あなたにはもっとやるべきことがあるわ! 世界を変える方法を教えるわ!』
「えっ何?」
『長い話になるわ、とりあえず座りなさい』
ディアナが椅子に戻ると、セリカは重々しく口を開いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます