絹の異国
海の向こうに国が存在している。ディアナには信じられなかった。海の悪魔に飲み込まれて水底深く消えてしまったとブレナン先生は言っていた。ミルキーたちの前でできる話ではないので、ディアナはその話を一旦流し、夜が訪れるのを待ち、ベッドの上でセリカを問いただした。
「海の向こうにほかの国があるって、本当なの?」
『ええ。ノーデンに船が来たの。おそらくは交易もしているはず。海の向こうで、蚕は死に絶えているから、絹は有力な商品になるわね』
「そうなんだ」
しばらくセリカは絹を作ることによってどれほど多くの利益が得られるのか熱弁をふるった。それを聞いているうちに、ディアナは疑問がむくむくと湧いてきた。絹は触り心地がいい。みんな欲しがるからたくさん作ればもうかるのも分かる。でも、たくさんお金があっても世界を変えるのは足りないような気がする。確かに好きな物は何でも買えるだろう。でも、ディアナがディアナに戻ることは、いくらお金があってもできる事ではないような気がする。
「ねえセリカ、不思議に思ってたんだけど、どうして絹を作ることが世の中をひっくり返すことにつながるの?」
『それはね……』
セリカは随分悩んでいるようだった。世界を変えてディアナがディアナとして生きていけるようになる方法は、悪魔にも分からないのかもしれない。ディアナが不安になってきたとき、予想だにしなかった言葉をセリカは口にした。
『わかりやすく神様をひっくり返せるからよ』
「神様を、ひっくり返す?」
『そもそもの話、神様がいるってみんなが信じてるのは、どうして?』
「えーっと、聖書にそう書いてあって、神父様がそう言ってるから?」
『本の中身も、人の話も当てにならないわよ。本に書いてあることが全部本当なら、荒唐無稽な物語も本当のことになってしまうし、人は嘘をつけるのよ。そういうことは、大人たちならみんな分かっているわ。それでも神様を信じるのは、どうして?』
「それは……神様を信じないと、破門されるから?」
『それもあるわね。でも、破門ができるのは王様も一緒。教会にはあって、王様には無い物って、一体なに?』
「教会にはあって、王様には無いもの……」
ディアナは考えてみる。王は天使の子孫であり、それゆえに聖職者以外の人間ならばどんな大貴族であっても破門できるという権能を持っている。天使の血筋というものは教会にはない。でも、王様にはある。もの。いったい何なんだろう。要素なんだろうか。でも、もしそうだったら難しすぎる。簡単に考えた方がいいのかもしれない。物。王冠とか、聖書とかと同じ、手に取れるもの? ディアナはひらめいた。そうか。そういうことか! ディアナはやっとわかった。
「絹! 絹なのね!」
『そう。絹は教会だけのものだから、教会が特別である理由づけでもあったの。神様から授けられたとかいうおとぎ話も一緒になって。でも、絹は虫が作る布で、それは教会が最低の人間だとしている娼婦にも作れる普通の物だってみんなが知ったら、教会が嘘をついていたことになるの。そうなれば、教会が信頼を失うのはあっという間よ』
セリカは不敵に笑う。この世界を支配しているのは教会だ。それは、教会は神様に近いと多くの人が信じているからだ。でも、教会が嘘をついていることがバレたら? それも、神様が教会にくれたものだと言っていて、財産の半分を捧げないと普通の人は手に入れられないほど尊いものだと多くの人が思っているものが、普通にお金を出せば買えるものになったら? たしかに、何もかもが変わるだろう。
「神様がいるっていう根拠の一つを、絹を作ることで壊すのね」
『まあ、そうともいえるわね。蚕にも守り神様はいるんだけど』
「蚕の守り神?」
『日本……私が人間だった頃、住んでた国のことよ。そこにはたくさんの神様がいて、神様ごとにいろいろなものを守ってくださっていたの。蚕の守り神は弁財天と同一視される宗像三女神なのよ。この女神様は、女性の守り神であり、同時に海上交通――つまり、貿易の神様でもあるのよ』
セリカはすらすらと異国の女神たちについて解説した、女神、という言葉にディアナは違和感を覚えた。
「神様は世界全てをおつくりになったから、地上の国を任せた人間しかお導きにならない、って神父様はおっしゃってたわ」
『ああ、確かにディアナ達の信じる神様って、全ての創造主よね』
「ええ。その三柱の女の人達は、神様というより、まるで妖精か、守護天使ね!」
『ああ……ディアナたちはイッシンキョウトだから、そういう捉え方になるのね……』
セリカはあきらめたような表情だった。初めから分かっていたけど、ディアナとセリカは違う。その違いについてディアナはもっと知りたいと思う。最初に会った時から気になっていたことをディアナはセリカに訊ねてみた。
「セリカの肌はなんで黄色っぽいの? 悪魔だから?」
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