絹の娘たち
相葉ミト
森の章
虫愛づる姫君
ノーデン南部、ゼントラムとの境界アフェク山脈のふもとは森林地帯である。ブナやニレ、カシなどの落葉広葉樹が生い茂る、下生えが少ない歩きやすい森だ。
光と木々の影のしま模様の中を、軽やかな足音が響き渡る。使い込まれてあちこち染みがついている、丈夫な帆布の上着とズボン。芝草まみれになった、柔らかく強靭な革靴。一つに結い上げられた金髪が、暴れ馬の尾のように元気よく跳ねる。金のきらめきに、森の中で生活の
「虫
「ディアナ様、とお呼びなさい」
キノコを
「ディアナ様はもう14歳。少年のような服装をして、毎日森を虫取りに駆け回って……結婚相手について考えてもいい年頃なのに」
「毎日虫取りに森を駆け回っているだけじゃなくて、家の庭の隅にある冬に花を愛でるためのガラスの温室に植木鉢を山ほど持ち込んで、冬の間もイモ虫を飼うくらい虫好きなんだぜ、ディアナ様」
少年の言葉に、小枝を集めていた青年が手を止める。
「双子には親が母親一人しかいない、と聞いていたが、父親なしで気ままな暮らしができるものなのか?」
「温室があるくらいだ。のんきに虫取りができる暮らしなんだろうさ。ディアナ様にとって森は遊び場なんだよ。次期領主様の織物工場のせいで機織りの仕事がなくなって、暮らしに必要なものを集めなきゃいけないあたしらとは違ってさ。あたしらなんかまだましだ。隣村の娘たち、全員身売りしたんだってさ。口減らしだよ。それでも残された家族がひと月暮らせるくらいの対価しか払われなかったんだとさ。どこの村もやることが同じせいでさ」
中年女は吐き捨てた。老女がぼそぼそとつぶやく。
「次期領主様のおかげで豊作になったんだから、滅多な事を言うんじゃないよ。あの家族は、ノーデン城下からの馬が来て援助しているんだ。ノーデンの貴族の隠し子だろうよ。あたしたちは貴族様から土地を使わせていただいている立場だ。ちょっとした
女たちはそれきり黙る。
「でも、今日は虫かごじゃなくて、青い花束を持ってた。誰かのお見舞いにでも行くのかな?」
「レーン様への差し入れだろう。レーン様は体が弱くて、月の半分は寝付いてらっしゃる」
少年の疑問に青年が答える。民の話題はディアナからレーンにうつった。中年女がキノコをつみながら言う。
「レーン様は、ディアナ様の虫話しがあれば満足なおとなしい少年よね。母親のナオミ様はそんなレーン様がとても物足りない、とうわさに聞いたわ」
「そりゃあそうでしょう。お世継ぎは丈夫じゃないと。レーン様に体力をつけさせようと怪しげな薬を飲ませている、と下女として働いている娘が言っていた」
「屋敷勤めの俺の友人が言っていたことは本当だったのか。ナオミ様はせめて学をつけさせようと家庭教師をつけているが、レーン様の元気な日が少ないのでうまく行ってないんだと」
友人といえば、と老女が話しだす。
「レーン様には、ちょくちょくお見舞いに来てくれる年上の友達がいるそうじゃないか。彼は一緒に遊んでやらないのかい」
「レミーのことか。彼は身分の低い飛脚だ。友人ではなく、召使だろう」
青年が即答する。老女はため息をつく。ぜんぜん関係ないんだけど、と少年が会話に割り込む。
「レーン様とディアナ様、もし二人が入れ替わったなら、ぜんぶうまくいきそうな気がする」
「体の弱い
*
領民たちはくすくす笑う。その声は、ディアナの耳に嫌なほどはっきり聞こえた。ディアナは聞こえないふりをしながら歯を食いしばった。
――レーンは大人になったら、きっと次期領主様みたいに大きくて、立派な男になるんだから!
ディアナはノーデン次期領主を遠目で見たことがあった。農作物の様子を視察しに来た次期領主を、森の中から見たのだ。
ディアナが自分の屋敷の前にたどり着くと、玄関ポーチで男女が言い争っていた。上品で装飾過多な赤いドレスに身を包んだ金髪の女と、黒い質素な執事服に身を包んだ男が言い争っている。またママとブレナン先生が
「ナオミ様、いつまであの少年を出入りさせるおつもりなのですか!」
「レミーを追い出さないで! レーンが
いつもの面倒なパターンだ。ディアナはうんざりした。でも、レーンの部屋に行くためには、玄関を通らなきゃいけない。ディアナは一歩踏み出した。
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