7 回想




--遠くで音が聞こえる。

僕はその音がだんだん近くなるのを聞きながら目を覚ました。


僕の体はいつの間にか地面に伏せっていた。

僕はなぜ寝ていたんだろう。不思議に思いながら

も、手をついて体を起こそうとした。



「--ッ!!」



その瞬間、体中が軋むように痛んだ。

全身に焼けるような痛みが走り、手足の感覚が麻痺しているのかまともに力がはいらない。

昔階段から転げ落ちたことがあるが、その時の感覚に似ているかもしれない。


全身が焼かれるような痛みに意識が遠のきそうになって、歯を食いしばってなんとか耐えた。

不明瞭な意識の中なんとか状況を確認しようと首をひねって頭を動かす。

頭はズキズキと痛み、耳鳴りが聞こえ始めたが無視して周りに目をやった。


うまく目を動かせないのか時々視界が白くぼやける。

それでもあたりを見回し、自分の手が視界に入る。

未だに感覚は麻痺しているもののなんとかその手を持ち上げようとした。

持ち上げようとして、すぐに違和感を覚える。


--動かない。それどころか肘をあげることさえままならなかった。

しばらく考えて、気づいた。


骨が折れている。

骨折したのだと自覚した途端、さらなる痛みが襲ってきた。

痛みに声なき悲鳴をあげながらぎゅっと目を瞑ってひたすら痛みに耐える。

しばらくじっとしているとなんとか痛みを我慢できるようになった。


(……なんで僕は倒れているんだ?なんで骨折しているんだ?)


不思議に思いながら今度は自分が倒れている地面が視界に入る。



「え゛……」



喉が潰れているのか掠れたような声しか出なかったがそんなことに構ってはいられなかった。

目は地面に釘付けになる。

そこは一面が赤く染っていた。

なんでこんなに赤いんだ。なんで。


次から次へと疑問だけが溢れて思考がまとまらない。

落ち着け。僕。よく考えるんだ。

僕は何をしていた?思い返せるだけの出来事を思い出すんだ。


今日は確かセナと、サークル仲間と温泉旅行に行くはずだった。

……そうだ。

レンタカーを借りて2泊3日で旅行。大学の最後の夏休みの思い出にとセナが言い始めてみんなで計画を立てた。

今日はその旅行当日で待ち合わせをしてレンタカーに乗り込んだ。

僕は車を運転していた。助手席にはセナがいて。

後部座席には×××君と、アリサちゃんがいて。


そうだ、思い出した。

高速を走っていたら対向車線からトラックが突っ込んできたんだ。

ハンドルを切ったが間に合わずに衝突した。

そこまでは覚えている。


それからどうなった?


頭を必死に動かそうとするがズキズキと痛みは増して思考の邪魔をする。

依然として耳鳴りは止まらず、苛立ちが募る。


うるさいな。いい加減にしてくれよこの耳鳴り……。

……ん?いや、違うな。


これは耳鳴りではない。このサイレンのような音は……。



その時こちらに誰かが駆け寄ってくるのが見えた。複数の足音。その音はすぐ近くまで来て止まった。そのまま僕の周りを取り囲むように集まる。


なんだ……?



「しっかりしてください!意識はありますか!」

「臓器の損傷が激しいな……担架を持ってきてくれ!」

「ひどいな……これはもう……」

「いいから早く運ぶぞ!」



白い服を着た集団とのその会話で先程のサイレンの音は救急車のものだと理解した。


僕は、死ぬのか?

みんなは……無事なのか?

セナは、生きているのだろうか?


痛みに侵食されて何も考えられない。だんだん薄れゆく視界の中でそれだけを思いながら僕の意識はそこで途切れた。


その事を後で後悔することになるとも知らずに。









私はこのアルメニア王国の第1王子として生まれた。

セラーイズル・レグルス・アルメニア。

それが私の名前だ。


国王である私の父は何かにつけて私に完璧であることを求めた。

将来国を背負うものとして誰よりも気高く誰よりも秀でて、誰にも負けないことを求めた。

私はその期待に答えるために必死だった。

勉強も、剣術も、魔法だって。

何事にも完璧であることを追い求め、いつだって王子たる自分に恥じないように努めてきた。


でもの心は空っぽだった。

王子である俺は誰もが羨むものを持っていた。完璧な美貌も、高貴な血筋も、何不自由無い優雅な暮らしも。そして麗しい婚約者も。


アリーシャ・ウルズ・オーウェン。


「天使」と称される可憐な美貌を持ちながら、優秀な騎士を排出する名家である母方のクローエンシュルツ侯爵家の血を受け継ぎ、切れ者で王の信頼あつき臣下である外務大臣を父に持つ彼女は全てにおいて完璧だった。

勉強も、剣術も、魔法ですら。

俺は彼女に何一つ勝てたことなどなかった。


その事実は空っぽだった俺の心を更に苦しめた。


そうして日々を過ごすうちにある思いに苛まれるようになった。

何か大事なことを忘れている気がする。

その事に気がついたのはいつからだろう。

自分が自分でないような。なんともいえない気分。

心の空っぽの部分がどうしても疼いた。

思い出したいけれど、思い出せない。


そんな時だった。

セジュナ・アルテミウスに出会ったのは。


彼女を見た瞬間、「やっと会えた」と思った。

心の空っぽの部分が埋まっていくようだった。

乾燥して干からびていた大地が雨で潤うように。

俺の空っぽの心のピースが埋まっていくようだった。


それからというものの会えなかった期間を埋めるように彼女といる機会を増やした。

セジュナに会えるだけで心がどうしようもなく震えた。

自分には婚約者がいる。頭ではわかっていた。

けれど止められなかった。


ただずっと一緒にいたい。今までいられなかった分ずっと。

「今度こそ」守るのだと。


本気でセジュナとの将来を考えるようになり、婚約者アリーシャが邪魔になった。

今思えば、自分より完璧な彼女が単に憎かったのかもしれない。


偶然彼女がセジュナを窘めている場面に出くわしたことがある。

その時ふと考えてしまったのだ。これを利用できないかと。

ちょうどおなじ時を重ねるようにしてセジュナが「アリーシャ様が自分をいじめてくる」と泣いて訴えてきた。

チャンスだと思った。その頃から証拠を集め彼女を断罪して婚約破棄を突きつけるタイミングを待った。


そして学園の創立記念パーティ。

彼女に婚約破棄を突きつけた。

証拠にはでっち上げが混じっていることも気づいていた。彼女は自分が名門貴族オーウェン公爵家の娘であることを誰よりも理解している。


セジュナがいじめてくると言ったのも、貴族としてのマナーを教えているだけのものだったことを理解していた。


しかし彼女を断罪出来るならなんでも良かった。

婚約破棄を突きつけた時は最高に気分がよかった。

負け続けた彼女をようやく貶めることができたのだから。



しかし。

彼女は断罪の舞台においても余裕を崩すことはなかった。



「承知しました殿下。婚約破棄、謹んでお受け致しますわ!」



ピンと背筋を伸ばし、こちらを一心に見つめ堂々と言い張った彼女は余裕に満ち溢れていた。

まるで自分という存在がいかに愚かであるかを見せつけられたような気がして。


怖くなった。

「お前の行動など全てお見通しだ」と言われたような気がした。

彼女には勝てない。

ほぼ直感で悟った。

だからあの時セジュナといたアリーシャを見て、焦ったのだ。


セジュナの身が危ない。

そう思った。

力の加減も忘れて全力のカマイタチを放った。


結果は全て彼女に相殺された。

ああ。やっぱり彼女には勝てないのだ。



そこでようやく気づいた。

俺は、どうしてもアリーシャに勝ちたかったんだと。1回でもいいから彼女に勝ちたかったのだと理解した。


アリーシャからセジュナを奪われるのではないかと。全てが完璧なあの婚約者が怖かった。

俺は逃げていたのだ。

空っぽの心を埋めてくれたセジュナという存在に甘えて逃げて、アリーシャと向き合わなかった。

自分と向き合わなかった。

父の言いなりになるままに完璧でいようとして。


婚約者アリーシャに勝とうとして躍起になっていた。

なんと愚かなのか。





「あの事故」でセナを助けられなかったことを後悔したくせに。

自分だけのうのうと生き延びたくせに。

それを忘れ果て。






「生まれ変わっても同じことを繰り返すのか……は」



その呟きと共に目を覚ます。


目に入るのは大きな天蓋が着いたベッド。

豪奢な飾りが着いたランプに、一目で仕立ての良さが分かる絹の寝巻き。

明らかに日本とは違う光景。



「起きたの……?」



傍には心配そうにのぞき込む銀髪にスカイブルーの瞳の少女。

記憶が戻ってあらためて彼女を目にして、驚愕する。


あの時思った「やっと会えた」という感覚。

あれは間違ってはいなかったのだ。


僕は体を起こすと、銀髪の少女に向かってにこりと笑いかけた。



「おはよう、セジュナ--『セナ』」



僕が呟いた言葉に、彼女はスカイブルーの瞳を大きく見開いた。






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