所詮脇役の悪役令嬢は華麗に舞台から去るとしましょう
蓮実 アラタ
プロローグ
私が「私」だったころの最後の記憶は大学4年の夏休みのこと。
その日は今月で1番の暑さとかで、テレビのお天気キャスターのお姉さんが熱中症対策を呼びかけていた。
私はふとテレビに表示されている時間を見て、化粧していた手を止めた。
「うそ、もうそんな時間なの!?」
時間を確認すると慌てて化粧ポーチをバッグにしまいキャリーバッグを掴んでテレビを消した。
そのまま転げそうになりながら走り、家を出る。
今日は大学のサークル仲間と2泊3日の旅行だ。
天文サークルなんていう星を観察するだけの地味なサークルだが、1年の頃からの付き合いの気心のしれた仲間達と行く初めての旅行を私は楽しみにしていた。
大学4年になり、皆就職先も決まってあとは卒業を待つばかりの身。
社会人になって離れ離れになる前に皆で1つ思い出を作ろう!という軽いノリで決まったこの旅行。
サークル仲間で小学校からの大親友なセナが言い出しっぺだが、彼氏と旅行に行く口実が欲しくてたまらなかったのだとその思惑を私は見破っていた。
それでも私はこの旅行には大賛成だった。
私が大好きな「彼」も来るから。
サークル仲間で学部は違うけど、同じゼミで知り合った。
最初はクールに見える印象のせいで無愛想だと思っていたけれど、その実誰よりも温厚で優しくて、その性格に惹かれた。
相手も私の事を快く思ってくれていたようで何度か恋人になれそうな雰囲気はあった。
けれど私も彼もなかなか奥手だったのか告白出来ずに、年月だけが経ってしまった。
何度か告白しようとしたことはあるのだ。そんな雰囲気になったこともある。
しかし「彼」といる度に緊張して上手く話せないのだ。話してもお互いに世間話しかできなくて大学4年になっても友達ポジションのまんまだった。
セナに何度「見ていて焦れったい!」と言われたことか。
でもそれも今日までだ。
私はこの旅行中に彼に告白すると決めた。
卒業したらもう今のように気軽に会えなくなってしまう。それは嫌だ。今回こそは絶対に言うんだ。
私はキャリーバッグをコロコロ転がしながら拳をぎゅっと握りしめた。
昨日はその事をずっと考えて眠れなくなり、朝目が覚めるとすっかりクマができあがっていて焦った。
なんとか化粧で誤魔化したものの、今度は待ち合わせ時間ギリギリに出るハメになってしまった。
旅行初日から踏んだり蹴ったりだ。
そんなことをつらつらと考えながら歩くこと15分。
待ち合わせ場所の大学門前に到着する。
門前には私以外の3人が揃っていた。
真ん中にいる白のワンピースを着た女性がこちらに手を振る。
「もー、アリサおそーい!」
ぷんすかと可愛らしい顔に怒ったような表情を浮かべる大親友に私は手を合わせて許して、と懇願する。
「ごめんセナ。化粧に手間取っちゃって」
「ほほう。さてはお主、緊張して眠れずにクマでも作ったな?」
セナは私の顔をジロジロと見つめると、すっと目を細めて私のアイメイクの出来を確かめるように頷いている。
「なんでバレた!」
本当にその通りで言葉もない。うっと言葉を詰まらせるとセナが私に顔を寄せてきた。
「なんでわかったと思う?私も楽しみすぎて眠れなくてクマをコンシーラーで隠してんの!」
いたずらっ子のようにペロリと下を出してセナが笑う。
釣られるようにセナを覗き込むと、確かにアイメイクがいつもより派手な気がする。恐らくカバーのためだろう。
なんだ、セナもだったのか。私とセナは互いに顔を見合わせるとくすくすと笑う。
恋する女同士、悩みは一緒なのだろう。
と、笑い合っていると掴んでいたキャリーバッグの感触が突如消えた。
何事かと後ろを見ると、見慣れた黒髪の長身が目に入った。
不意打ちの登場に私の心臓が高鳴る。
頬を赤くして見上げていると、「彼」が私のキャリーバッグを持っていることに気づき慌てた。
ああ、なんてことだ。彼に荷物を持たせてしまうなんて。
「あ、いいよ。私が……」
「いいよ。俺の荷物もトランクに入れるからついで」
遮るようについでだと言われていたずらっぽくほほ笑みかける彼。
その優しさが嬉しくて私は頬をほころばせながらお礼を告げた。
「ありがとう……」
恥ずかしくて小さく呟くようにしか言えなかったが、彼は静かに微笑んで「どういたしまして」と返した。
荷物を全部トランクに入れて全員が乗り込むと車が発進する。
「さーて。2泊3日レンタカーで行く温泉旅行!たのしみだねー!」
助手席でセナが楽しみ、とばかりにはしゃいだように声をあげる。その膝にはお菓子がパンパンに詰められた袋が用意されている。
それまさか全部食べる気じゃないよね……。
軽く頬を引き攣らせていると横で運転しているセナの彼氏、少し癖のある茶髪が可愛らしいイズル君がセナを愛おしげに見つめている。
うん、初々しいな。ラブラブそうでいいなぁ。
私も楽しみたいところだが、それどころではなかった。
なんで彼が私の隣にいるんですかね……なんで手を握られてるんですかね、なんで肩に頭を置かれてるんですかね!!
彼……黒臣くんは朝が弱いのは知っていた。
けれど彼は「眠い……」と呟くと私に頭を預けたままなぜか私の手を握って眠ってしまったのだ。
おかげで私は1ミリたりとも動けずに微動だにせずに固まっていた。
これ喜んでいい所なんだろうけど無理だよ!こんな近くに居られると心臓落ち着かないんだけど!
ていうか手を握る必要はなくない?
黒臣くんおきてえええええ!私の心臓が持たないよおおおおお!!
嬉しいやら恥ずかしいやら心臓が破裂しそうやらで私はパニックになっていた。
そのまま暫く高速道路を走り、サービスエリアで休憩も取って私たちの旅路は順調に進んでいた。
進んでいたのだ、この時までは。
「うん……?」
不意にイズル君が困惑したような声をあげた。
「どうしたの?」
「対向車線の車……みんななぜか一方に車線変更して行くんだよね……」
その言葉に釣られて反対の下り方面に目を向けると、二車線あるのに車は何故か片側へ皆移動していた。
「事故でもあったのかなぁ……」
「うーん、分からないね」
その時だった。
ほかの車が片側へ寄った車線とは違う、もうひとつの車線。
1台の大型トラックが左右にユラユラしながら蛇行運転をしている。
居眠りでもしているのか、ヤケに揺れている。これは危ない。
次の瞬間、その大型トラックが垣根を超えてこちらの車線へ入ってきた。
「えっ!?」
垣根を超える瞬間に段差に足を取られたのかタイヤがスリップして車体が横に大きく揺れる。
バランスを失った大型トラックの車体は私たちの車に向かって突進してくる。
イズル君が慌ててハンドルを切ったが、間に合わなかった。
大きな衝撃音と共に、4人乗りの軽は呆気なく空中へ投げ出される。
車体が大きく傾く中、窓から見えた光景に私は驚愕した。
地面がない。
ここは下が普通の一般道で上が高速道路となっている場所だった。
そんな場所でどうやら垣根を越えて車体は投げ出されてしまったらしい。下の一般道では車が普通に走っている。
そんな所へ車体諸共投げ出されたらどうなるか。
不意にテーマパークのジェットコースターで急降下した時のような浮遊感が襲ってきた。
世界がゆっくりと回ってみえて。
--死ぬ。
直感した。
これから私は死ぬんだと理解して。
セナの悲鳴がどこか頭の遠くで響いた。
その中で。
「--アリサ!!」
彼の焦ったような声と、抱きしめられる感触がヤケにリアルだった。
これが私の最期の記憶。
ここで途切れているということは間違いなくここで「私」は死んだのだろう。
後悔はある。未練もある。
彼に思いを告げられなかったし、もっと生きていたかった。
でも、それはもう叶わないから諦めよう。諦めた。
でも、どうしてもひとつだけ思い出せないことがある。
--「彼」の。
黒臣くんの名前はなんだっただろう--
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