とある男の受難その3
大広間へと足を踏み入れば、一斉に貴族達が皇帝とそれ続く皇族一家へ頭を下げる。
その様子はこの国の皇族への敬服ぶりが直ぐにわかるなかなかに圧巻な光景であった。
モースはレスティーゼの手を取りながら、他の皇族達と共にその中を通り過ぎた。
皇子や皇女の婚約者、伴侶は国事等の催物の際は皇族の一員として頭を伏せることなく共に歩くことが許されている。
皆が一様に頭を下げている中、自分は堂々と皇女の隣を歩くというのはなかなかに悪くない気分だ。
モースは高揚した気分で大広間の真ん中をあるいていく。
広い大広間の真ん中を突っ切って歩く皇帝はやがて用意された上座へと皇妃の手を取り誘い、皇子と皇女はそのすぐ下の席に左右に別れるようにして並ぶ。
モースもレスティーゼの手を引いて用意された席へと並び、皇帝の言葉を待つ。
皇帝は大広間の光景を満足げに眺めると、たっぷり間を置いてから声を発した。
「皆の者、顔を上げよ。今日というよき日に天気に恵まれたことは、天もこの日を祝福してくれているのであろうな。アイルメリアが我が国の領土であるウォルフロム領を占領するという卑劣な手段を用い、領主であったウォルフロム辺境伯は亡くなった。長年、我が国の発展と防衛に努め、民からも慕われたよき指導者であった。ウォルフロム辺境伯に哀悼の意を捧げる」
皇帝は一度ここで言葉を切ると、胸のあたりで十字を切る仕草をしたあとに目を閉じた。
死者を悼む動作。皇子と皇女もそれに続くように同じ仕草をすると、目を閉じる。
モースも十字を切ると、瞼を伏せる。
ウォルフロム領は幼い頃に父親に連れられて何度か訪れたことがある。
父親と辺境伯はいとこ同士だったのだ。
ウォルフロム辺境伯はまだ幼かったモースに、普段皇都の屋敷にいては見ることのできない数々の異国の珍しい品や、鉱山で取れた希少な宝石などを見せてくれた。時にはお土産だといってそれらをくれたりもしたものだ。
今でも思い出せる辺境伯のあの少ししわくちゃな愛嬌のある顔立ちは、なかなか忘れられるものでは無い。
皇帝が述べたとおりに領民のことを大事に想い、国を守る役目の一端を担っていることを誇りにしている人だった。
そんな人だったから、きっと最期の時まで領民のために戦ったのだろう。せめて、来世では報われて欲しい。
少ししんみりとしたモースの気分を晴らすように、今度は皇帝の声の調子が弾む。
「さて、何も悪い報せばかりではない。その領地は我が国の優秀な若き将軍が見事な手腕で取り返してくれた。今回の一番の功労者だ!褒美を与えねばならんな。ーーイーゼルベルト将軍、前へ!!」
「はっ」
低い声が皇帝の声に応え、大広間の真ん中へと進み出る。
黒い軍服を隙なく着こなした人物は軍帽を取り、最上位の敬礼をとった。
軍帽の下から露になったのは、漆黒の髪。
漆黒の髪が現れた途端に大広間のあちこちから貴族達の声が上がる。
皇帝の御前であるためにあまり大きな声ではないが、明らかに困惑しているのがわかる。
モースもその禍々しい色合いに眉をひそめた。
ヘルゼンブール帝国では、色素の薄い髪ーーつまり白に近い髪色ほど強い魔力を持つとされている。
真っ白な髪を持つ第七皇女が最たる例だが、一方で黒い髪を持つものは忌み嫌われていた。
それは「魔」の色を連想させるものだからだ。魔は精霊と似て非なるもの。
精霊は人間に恵みをもたらしてくれるが、魔はその逆。災厄を運ぶものといわれている。
『精霊のなりそこない』
精霊に生まれることが出来ず、世に不安定な形で生まれいでたモノ。
異形の存在。中途半端ゆえに、力が安定せず人間に害をもたらすもの。
それらは総じて、黒い色をしていた。
それゆえに黒髪をもつものは「魔に近いもの」とされ、敬遠されやすいのだ。
そしてイーゼルベルトという家柄。あの将軍はイーゼルベルト公爵家の者。
最近家督を嫡子に譲ったと聞いたが、あの「呪い子」が受け継いだのか。前公爵は何を考えているのか。
モースは混乱するばかりだった。
思わず前に立った軍服の青年を見つめるが、周囲のざわめきをものともせず、イーゼルベルト将軍はただその黄金の双眸を皇帝へ向けるのみ。
皇帝はその視線に応えるように頷くと、次の言葉を紡ごうとした。
その時。
「では……」
「ーーヘルゼンブール皇帝陛下。いえ、お父様。少し、よろしいですか?」
そう大きくもないのに、不思議とその声は大広間中に響いた。
鈴を転がしたような美しい声音で告げたのは、モースの隣にいる第七皇女レスティーゼ。
たとえ皇女といえども、皇帝の言葉を途中で遮ることはあってはならないことだ。
周囲が唖然とする中、しかし皇帝は面白そうに自らの末の姫を見つめる。
「レスティーゼか。なにか用事があるのか?」
「はい。重要な祭典の最中とは十分存じておりますが、その前にどうしてもお父様のお耳に入れたいことがございますの」
「ふむ、許そう。なんなりと話すが良い」
「ありがとうございます、皇帝陛下」
レスティーゼはニコリと微笑むと、「ではお父様に、皆様方もこちらをご覧下さい」と大広間の後ろにある巨大なスクリーンを指さした。
「ほらほら、モース様もご覧になってくださいな!」
「……?」
戸惑いながらもモースは笑顔のレスティーゼに促されるままに巨大なスクリーンに目を向ける。
スクリーンは発明家の第二皇女メルランシアが今日のために新調したという特注のものだった。
確か今日の祭典の様子を写すために用意されたものだと聞いたが、なんだと言うのか。
「なんです、レスティーゼ殿下これは……?」
『いけません、こんなこと……皇女様に怒られますわ……』
『はっ。何……皇女はまだ15歳のお子様だ。気づきもしないよ』
『やだ公爵様ったら、いけない人……』
レスティーゼに向けて問おうとしたセリフが、そこで止まった。
(なっ……!?)
巨大なスクリーンに映し出されていたのは、一組の男女が睦み合うシーン。
女性の顔はよく見えないが、茶色の髪がベッドにたゆたい、嬌声に喘いでいる。
男の方は、月明かりに映えるアッシュブラウンの髪色をしていた。
身に覚えがありすぎる、この光景。
モースは頭が真っ白になり、呆然としたままスクリーンを見つめた。
目の前で何が起こっているのか全く理解できない。思考が追いつかない。
目を見開いたままスクリーンに釘付けになるその隣でレスティーゼが極上の笑みをうかべ、メルランシアが吹き出すのを耐えるように身を折って悶えていたことにも、モースは気づく余裕がなかった。
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