沈静


 身体に起きた激痛と苦しさ。その後に気が付けば、オレの魂は奥へと引っ込んでいた。

 そしてオレの意思とは関係無く勝手に喋りだす言葉に、勝手に動き出す身体。


 奥に引っ込んだ──と言うよりは、無理やり引きづり込まれた。その表現が正しいだろうか、チェルソ・プロベンツァーノの魂と交代が始まったのだと感覚的にわかった。


 この身体の持ち主の魂は、死んではいなかったのだ。

 オレと合わせて、ひとつの身体には二つの魂が存在している。


 そして現在は岸まさしオレの魂が表に出ている状態。

 それはまぁ良い──なにより困った事は、チェルソがマフィアとして裏社会を歩いてきた記憶が、嫌と言うほど脳内に流れ込んだ事だ。


 数々の潜り抜けてきた戦場、血を浴びて快感に溢れる心、裏切りによる攻撃──それら全ての記憶が頭に残る。

 それなのに、オレの精神は落ち着いていた。

 この場の惨劇にも落ち着いて居られる。



「ドン?」



 不意に声が掛かる。この身体に起こる異変──雰囲気の変化に気が付いたのだろうか、部下のエルモが呼ぶ。

 静かに振り返ると視界の中に飛び込んで来るのは、二人の部下とその前に山積みにされているギャング達の死体。


 やはりその死体を見ても、心の同様は感じられない。

 それどころか、今後の事を考える余裕がある。



「なんだ?」


「……いえ、何でもありません」



 エルモに視線を合わせると、眉が寄り僅かに困惑する表情が窺えた。

 例え醸し出す雰囲気が違えど、まさか魂が本物から偽物に変わったとは思いもしないだろう。

 それでも感じる異変にどう思案するのが正しいのか、エルモなりに考えているのかもしれない。



 オレは足元に落ちる二丁の拳銃を拾う。

 一丁は懐にしまい、もう一丁はエルモの元へ向かい差し出す。



「返すよ。悪い、乱暴に扱ったから少し汚れた」


「へ? あっ、いえ。汚れは落とせば大丈夫です」



 エルモに借りていた拳銃を手渡す。その銃はセルジョを殴った際に飛び跳ねた血が、べっとり付着していた。

 まぁ汚れは懐にしまったチェルソ愛用の銃も同じ状態ではあったが。



 完全に気を失い、眠りに入ってしまったセルジョを見る。

 あれほどの攻撃を食らっても尚、今は頑丈にも気を失っているだけだ。しかしこのまま放っておけば、大量出欠でいずれ死ぬだろう。



「一先ずここを出るぞ。その後に救護と警察を呼ぶ」


「救護? まさかそいつ、生きて……るんで、すかい?」



 セルジョを殺していない事に驚いているのか、目を丸くするフェルモ。

 フェルモの慣れない敬語に思わず笑いそうになりつつも、出口に向かって歩き出す。



「敬語じゃなくて良いって言ったろう。それと、あいつは殺したら意味がないんだよ……そこの殺した分の奴らの罪も一緒に償わせる」



 その言葉にお互い顔を見合い驚愕する二人の部下を無視して、外に出ると空を見上げ大きく息を吸い込む。

 だが身体には飛び散って付着した血、工場内と出口の血溜まり──その臭いのせいで全く新鮮な空気が感じられない。


 ──早く帰ってシャワーでも浴びて、この臭いを落としたい。



 ドンであるチェルソ──マフィアの記憶が生まれてしまった以上オレには、やらねばならない事が出来てしまった。

 これでも元は警官。いくら心が冷酷なマフィアのものに侵食されようとも、僅かに警官魂だけは残ってくれたようだ。


 だからこそ、今後どうするかを決めた。

 不服ではあるが、マフィアの力とチェルソの記憶を借りて──今後もチェルソの魂が表に出る可能性もあるが──裏社会に潜む悪を破壊してやろうじゃないか。


 ただオレは、このままマフィアとして生きるつもりはない。いずれはプロベンツァーノファミリーも潰してやる。


 そう密かに誓う中、背後から聞こえる部下の小さな話し声。



「……フェルモさんは気付きましたか?」


「ドンの変化か? 当たり前だろう……纏う恐怖が消えた。だけどよ、戻った記憶がまた無くなるとは思えないぜ」


「そうですよね……。でもさっきのは確実にぼく達の知るドンでした。今は──」


「何やってるんだ、行くぞ」


「あっ、はい!」


「……」



 二人の会話を遮るように声を掛け、残してきたロジータの元へ行こうと歩みを進める。

 返事をして駆けてくるエルモに、無言のまま歩いてくるフェルモ。

 フェルモに至っては眉間に皺が寄っている──何かを怪しんでいるのは確かだろう。


 オレに起こる変化の事はカルロにも伝わるだろうし、その事について問われでもしたら、今の内にどう答えるか考えておかねばならない。


 特にチェルソの記憶によれば、カルロとは複雑な関係がありそうだ。厄介な事にならなければ良いが──



 と、そんな事を思っている時、前方から元気にはしゃぐロジータの姿が見えた。



「やっと来た、ドン待ってたのよ! 見てみてこの子達、あたし治してあげたの!」


「治した?」



 ロジータはオレの元まで走ってくる。傍まで来たことで先程までと違う姿に気付く。

 今のロジータは両手が真っ赤に染まり、顔や髪も赤くなっている──血だ。


 怪我でもしたのかと思ったが、見たところどうやらそれらしい怪我は見当たらない。本人もいたって元気。


 金の髪は外ハネする毛先が赤くなっている為に、金と赤のグラデーションのように綺麗だ。

 それが血によるグラデーションでなければ、良かったんだが。


 ロジータに腕を引かれ切断死体のあった段ボール箱置き場に向かう最中、生まれた記憶を探り、ロジータについてを思い出す。

 記憶にあるロジータの趣味が頭に浮かんだ。


 ──そうだ、この子の趣味は……


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