記憶
「いやー、プロベンツァーノさんがまさか、記憶喪失になっちゃうとはなぁ。驚きだなぁ」
この男はラバス医師。年齢は30代後半……て、とこだろうか。
ドンの専属医師を担当しているそうだ。
アロハシャツを着ていて、おまけに室内でもずっと麦わら帽子を被っている。
ドンに怯えていた医者と違って、このラバス医師からはオレに怖がる様子は感じられない。
もしかすると、この男も只者じゃないのかもしれないな。
それに、マフィアのトップが専属医師として任命するくらいだ、余程信頼されているのだろう。
自分が何者なのか知った後、再び窓の無い部屋に戻る事になった。腹部の傷具合と、空になった点滴のを外すためだ。
ベッドに座らされ、先ず点滴の針が外される。
これは嬉しい。 やはり身体に何かしら異物を刺したままってのは、どうも落ち着かない。
その次に、腹部に巻かれた包帯が外されていく。
そこで初めてオレは、この身体の傷を見て驚いた。
血で染まった包帯を外されていた時は、痛みでそれどころじゃなかったからな。
今回付けられたと思われる生々しい傷は二ヶ所。
この傷痕が何であるのか、オレは良く見知っている。
警察官時代にも、何度か見たことがあるからだ。
それは銃弾が撃ち込まれた痕。
そしていつ付けられた傷かわからないも、無数の切り傷も腹には存在している。
切り傷の幅、大きさは大小様々であり、痛々しくて思わず顔を歪めてしまった。
流石はマフィアの頂点に立つ男……と、言えば良いのか。よくこれだけの傷を付けておきながら、これまで生きていられたもんだ。
銃痕の箇所には分厚いガーゼを貼られ、新しい包帯が巻かれた。
カルロはその様子を腕組しながら眺めていたが、ふと不満を漏らす。
「あの臨時の医者……頭にダメージは受けていない筈だと言っていたのに……少しは使えるかと思いましたが、検討違いのクズですね」
「いやー、この診療記録を見る限りでは、彼の発言はそんな間違ってないと僕は思うなぁ」
ラバス医師は一通りの治療診察を終えると、診療記録が書かれた紙を手に取る。
その紙に書かれた文字に目を通しながら、更に言葉を放つ。
「脳への直接的外傷は無い。プロベンツァーノさんが記憶喪失になった原因を上げるとすれば、傷口からの出欠多量により脳にショックが掛かった……それで、もしかすると一時的な記憶障害が起きてるのかも知れないねぇ。これは彼が起きて会話しない限りわからない事だよ」
「一時的に……では、記憶が戻る可能性もあると?」
「多分、だけどね。あるんじゃないかなー」
ラバス医師は診療記録から顔を上げ、笑みを浮かべる。
一方カルロは記憶が戻る可能性があると聞き、安心したようで力の入っていた肩がゆっくりと下ろされた。
しかし、悪いが……オレがチェルソ・プロベンツァーノの記憶を取り戻すことは一生ないだろう。
そもそも取り戻すもなにも、初めから知らないのだから。
オレの魂はマフィアの世界を見て、聞いて、体験してもない。
それをどう思い出せと言うのだ。確実に無理な話である。
寧ろオレはマフィアの記憶など、知りたくはない。
そこへラバス医師の声が部屋に響く。
「それにしてもさー、プロベンツァーノさんがここまで変わるとはなぁ。記憶が無いとは言え、表情も口調も雰囲気もまるで違う。なにより人を殺しそうな目付きが無いってのは、僕はビクビク怯えなくて助かるなー」
「ラバス医師は黙っててください」
やはり相当オレと
一応は記憶喪失となってるんだから、笑ってるアンタは医師としてどうなんだろうか……
まぁ、オレには関係の無いことだが。
カルロに関しては、笑っているラバス医師をじっと睨み付けている。
上司を心配する部下。
それだけならば聞こえは良いが、なにせマフィアの上司と部下である。ただの上下関係ではなく、何かしらの恐怖や圧が間に挟まれている気がしてならない。
そんなオレの内心を読んだかのように、カルロは突然片膝を床に着きベッドに座るオレを見上げた。
「以前のあなたであれば不安……とは縁遠い存在でしたでしょうが、今は障害が壁を成しております。ドンを全力でサポートし、我々が敵襲からもお護り致しますのでご安心を」
「は、はあ……」
敵襲。この弾痕も敵襲によるものだろうか。
マフィアであれば危険な世界に住んでいるだろうから、きっとそうかもしれない。
不意に部屋の扉がノックされ、ダニロの声が届く。
「ダニロです。フェルモさんとエルモさんをお連れしました!」
「ドン、入室許可を。よろしいでしょうか」
カルロに入室許可を求められ、オレは頷く事で返事を返した。
「どうぞ、入ってください」
カルロの一声で扉が開き、ダニロと男二人が部屋に入って来る。
この男二人には見覚えがあった。
確かオレが傷に悶え苦しんでいた時に、怯える医者と共に部屋に来た奴だ。
「丁度良い。今後についてもお話しなければなりませんし……我々の事、そしてあなたがどんな人間か。知ってもらいましょう」
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