二人きりの朝
春。桜の舞う季節。出会いの季節。
辛い冬をじっと我慢し、耐えてきた虫や動物たちが一斉に外へ飛び出す。丸裸だった樹木には新緑の芽吹きが垣間見える生命の季節。
といった感じでこの春を以って俺、安川旭は高校二年生になる。特別、何かが変わるわけじゃない。けど、新しい学年ってだけで胸の奥がモゾモゾと蠢くのが分かる。春らしくない表現かもしれないが、本当にそうなのだから仕方がない。
これからの学園生活への期待と不安。
こうやって、心の中で
新クラスが書かれた紙は校門で先生から既に貰っていた。
「早いな。安川」
校門前でそう言われたときはなぜか嬉しかった。別に褒められたわけではないはずなのだが、これも春が産み出す心の隙間。なんて恥ずかしい言葉もいつもなら言わない。絶対に言わない。
「Cクラスか」
これから、自分たちが一年間をここで過ごすと思うと急に親しみが湧いてくる。
教室の引き戸をゆっくり開けると、そこには目新しい机と椅子が綺麗に並べられていた。窓から見える景色も微妙に変わっている。
自分の席を見つけて座る。一番窓側の後ろから二番目の席だ。うん。悪くない。
「ところで……」
おかしい。なんで誰もいないんだ。みんな、新学期だから緊張して腹でも壊したのか。
「ああ、なるほど」
手の平の上に握り拳を立てて、納得したポーズをとる。時計を見間違えたんだ。それで一時間も早く学校に到着してしまったのか。先生も驚くわけだ。
「そうなると暇だな……」
一冊くらい本を持ってきてもよかったな。袋とじが良かったんだよ、今月のは。
なんて、たわいもないことを考えながらグラウンドをぼんやり眺めていると、生徒が一人、登校してきた。
その生徒は、綺麗な黒髪に端整な顔立ち。凛としていて、でも気取った感じがしない、まさに美少女だった。
少女は校門の教師へ丁寧にお辞儀をした後、封筒を貰って、校舎へ向かい始める。
その姿を俺はどこか違う世界の光景を見るように、まるで夢のように見ていた。相変わらず美少女だ。
実を言うと、俺はあの生徒の名前を知っている。なんたって、この学校ではちょっとした有名人だから。それも学年一の美貌で。
美人で頭が良い、くらいしか俺は彼女のことを知らない。話したことは一度も無いし、たまに廊下ですれ違ったときに目が合うくらいだ。
と、そのとき、校舎へ向かってくる乙宮と目が合う。乙宮はすぐに目を逸らして、何事もなかったかのように再び歩き始めた。何事もなかったかのようにというか、まあ、何事もなかったんだろう。
そのまま乙宮の姿は見えなくなってしまう。少しだけ残念な気もするが仕方ない。
あ、でも、もし乙宮と同じクラスだったら教室で二人きりってことか…………。
俺は、おもむろに立ち上がると教室内を意味もなく歩き回る。いや、二人きりになるかもって考えた途端にドキドキして落ち着かずに歩き回っているわけではないし、同じクラスになることを期待しているわけでもないし、絶対にないし決してないし断じてない。
俺は、ドアに頰を擦り付けて廊下の音に耳を澄ます。足音が聞こえる。結構遠いな。階段を登っているのか。お、階段を登りきったぞ。よしっ! あ、そっちは逆方向……。
「…………んんー」
両腕を大きく広げて伸びをする。
まあ、期待してなかったって言えば嘘になるが、男ならそんな小さなことでウジウジ言っていられない。
いやー、それにしても良い朝だ。こんな朝は外で運動でもしたい気分だ。そうだ、まだみんなが来るまでには少し時間があるし、ちょっくら汗を流してこよう。
「きっと、今日は良い日になるぞー!」
そうさ、俺の学園生活は希望に満ち溢れている。俺たちの戦いはこれからだ!
「恋愛フラグたってたやァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァンッ!」
俺は悔しさで歯を食いしばり切った後、校門前にいた先生に叫びながら突進した。
先生まで残り三メートル。そこで俺は完全に意識を失った。
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