第31話「名家と愚者」
第二軍は、第一軍の壊滅からほどなくして戦場に到着した。
その直後、ある噂が流れた。
「トール将軍が造反の意図を抱いているらしい」
赤ら顔の将校が話した。
「トール将軍……確か、先の戦で」
「そう、弟君ヘルメス殿を失われた」
「ああ、なんでも凄絶な最期だったという……女傑メルディナ殿とともに、魔王に一撃で……」
浅黒い肌の将校が言うと、赤ら顔の将校が制した。
「まあ、あまりそのことは口に出すな。魔王をむやみに畏怖すると、あちら側だと思われる」
「しかしな……相手はあのメルディナ殿さえ一瞬で倒したんだぞ。驚かない方がおかしい」
「まあ、軍師が猛将を一騎打ちで圧倒したというのは椿事だが……」
「ともかく」
浅黒い肌の将校は、話をまとめる。
「そんなことがあったから、不満を抱いてもおかしくないだろうな」
「とはいっても、戦場で敵味方が争うのは当然だけどな……勝敗は兵家の常と、よく言うではないか」
「割り切れないものもあるだろう。さあ仕事仕事、お前もやることがたまっているだろう」
「ああ、そうだな。行くか」
将校たちは足早に立ち去った。
これを聞いたのは元帥ゼノス。第二軍の総大将である。
彼は軍議でトール将軍を指名した。
「貴殿は造反を企んでいるらしいな」
「えっ!」
言われたトールは、ただ目を丸くした。
「なぜです」
「貴殿の弟君ヘルメス殿を、第一軍に配置したことに、たいそう不満だとか」
軍の編成は、主に元帥級以上の人間の話し合いで決まった。なにぶん時間がなかったため、じっくり精査したわけではなかったが、しかしその意思決定にゼノス元帥がかかわっているのは確かだ。程度の大小はともかくとして。
そして、ヘルメスとメルディナが死んだのは、理由をたどれば、第一軍に配置されたからという一点にたどり着く。第二軍なら死ななかったかもしれない。
……という理由で、トールがゼノスを恨んでいてもおかしくはない。
しかし、トールは否定する。
「おそれながら。弟が討死したことは確かに悲しく思います。しかし戦場とは、もとより命の奪い合いをするもの。その結果について、味方を恨むことなど、少なくとも私にはありませぬ」
「人はそこまで割り切れぬ。古代メルトヴェン王国は謀殺の敵討ちから始まったし、アーガス説話の主軸は『報復』だ」
歴史や文学を紐解くゼノス。しかしトールはなおも否定する。
「それらはいずれも直接の仇と戦っております。私も、直接の仇である魔王クロトに対しては、大いに憎んでおります。だからこそ、私は造反などせず、真っ当に魔王の首級を挙げたい所存です」
だが、ゼノスはそれでも追及の手を緩めない。
「いずれも理屈っぽくていかんな。人が理屈をこねまわすときは、いつも何かをごまかすときだ」
「そんな……!」
「貴殿を直ちに本国に送致して、中枢法院の判断を仰ぐ。嫌とは言わせぬぞ」
「そんな、あんまりです、無実の罪でなど!」
「連れていけ!」
ゼノスが言うと、屈強な兵士が多少困惑しながら、トールを連行していった。
ゼノスの無理やりな処置。これにはゼノスとトール、両者の家の事情もかかわっていた。
ゼノスとトールは、両者ともに名家の出身。大公国の首都では、伝統の継承者として知られていた。実権は宰相ベスロジアに及ばないものの、家柄としては廷内有数であり、多くの貴族たちに影響力を及ぼす、歴史ある系譜であった。
権力はベスロジアや国王ハディヤートが握っているが、下級貴族から実力を見込まれて起用された宰相とは、そもそも存在の根拠が全く異なる。単純に比較はできない。
話を戻そう。二者とも有数の名家とあっては、対立は避けられない。実際、両家の溝も、過去から受け継がれた「伝統」であった。
そこで今回、第二軍の軍権を幸運にも預託されたゼノスは、その立場を利用して、強引にトールを法院送りにしたというわけだ。
従軍者たちは、その処置に疑問を抱かないわけがない。
「この度の沙汰は、ちょっと乱暴すぎるとは思わんか」
部将の一人が、ぽつりと。
「むう。まあ、率直に言えば権限の濫用だな」
「少しばかり、はばかりが無さすぎる」
「こんなときにまで家の争いをするとは」
口々に諸将が同意する。
「しかし……我らの家格では、ゼノス閣下に意見できぬ……」
「わしらまで法院に送致されかねんな」
「宰相様に注進……も良いとは思えぬ」
「困ったな……」
「なにか良い方法はないものか」
一同は頭を抱えた。
ゼノスはまた噂を耳にした。
参陣している武将の多くが、結託して反乱を起こそうとしている、と。
決起の日は――今晩。
何も策を講じなければ、いやしい家の者どもが、各々の手勢を率いて、彼の首をはねようと襲来する。
もちろん迎え撃つ。いや、先手を打って、やつらを急襲する!
家格を弁えない、野蛮な合戦屋どもは、まとめて地獄送りにする!
「伝令よ」
「ここに」
「今宵は戦闘の気配がある。我が本隊のすみずみまで、戦いに備えさせろ」
「御意」
名家の維持を見せてやる。
彼の目に、向こうで防御陣を構えている真の敵――真の黒幕は見えていなかった。
その日の晩、第二軍は突如として謎の戦闘を感知した。
「て、敵襲!」
「敵襲? しかし相手の方角は白雲とは……」
「本陣から敵襲? どういうことだ!」
「とりあえず応戦しろ! 黙って斬られる我らではない!」
夜の闇も手伝って、騒乱の正体を誰もが計りかねていた。
「くそっ、やつらはなんだ!」
「報告いたします! 攻撃は間違いなく本陣、ゼノス閣下から行われています!」
「なぜ!」
言っている間にも、謎の敵は踏み込んでくる。
「反逆者クローゼンめ、討って手柄にしてくれる!」
「反逆者? わしがいつ反逆など!」
「今ここでだ!」
部将と襲撃者は剣を打ち合った。
結局、戦闘が収まったころには、もはや敵の同盟軍と戦うどころではなくなっていた。
陣は大荒れ、物資には火を放たれ、兵も将も多くが戦死。疑念は未だ晴れず。
幸運にも――そう、「幸運にも」同盟軍が攻撃をかけてくる様子はない。
「撤退か」
「やむをえんだろうな」
生き残った将兵が無事帰投し、真実を知るのは、このしばらく後だったという。
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