第29話「急進と土木工事」

 魔王クロトを討ち果たす。

 その檄はレモンテス全土を駆け巡り、すぐにタートベッシュ王国の知るところともなった。

 レモンテスによると、討伐されるべき存在の中心は、白雲伯マリウスではなく、まだ尻の青い嫡子。人の皮を被った、邪悪なる魔王である。

 その宣言により、魔王クロトの事績と活躍ぶりは、一挙に万民が口にすることとなった。……良い意味でも悪い意味でも。

 ある者いわく。クロトは、まさに破壊と陰謀の化身。自国にも敵国にも災厄をもたらし、万物の静止、つまり天下の滅亡を望む。その邪悪さは量りがたく、おぞましき狂気は凡夫の思い及ぶところではない。

 別の者いわく。魔王という異名は、彼を恐れる悪人こそが付けたもの。クロト自身は平和を望み、そのためだけに策略を用いる聖賢である。その存在を煙たく感じた悪党どもが、彼を貶め、もって正義を阻むために、魔王などという馬鹿げた二つ名を張り付けたのだ。

 世論はかくも割れたが、しかし、タートベッシュの国王府は意外にも静観を決め込んだ。

 確かに国王府は、救援停止処分を白雲邦に下した。しかし、それはあくまで援軍の途絶でしかない。おまけにここでいう「援軍」は中央軍の増援であって、領邦同士の義による援護は全く封じるところではない。

 また、国王府も愚物ではない。中央も、レモンテス大公国が本気でタートベッシュの滅亡を企図してはいないことを読んでいた。あまり放置すれば王都を狙いに来るだろうが、中央軍が他の領邦軍と合流して迎撃に回れば、両国の存亡をかけた決戦が開かれるおそれは少ない……と計算していた。

 さらには、国王府はクロトについても、本気で亡国の魔物だとは思っていなかった。民衆はたやすく扇動されうるが、国王府の官吏は民衆と同レベルではない。むやみに官吏を信頼するのも問題だが、かといって安っぽいレッテル貼りを信じ込むほどの愚か者は、国王府のどこにもいない。

 奇しくも、国王府がクロト魔王説を無視したがために、白雲邦とその周辺の存亡は、一挙に魔王クロトの才智いかんにかかることとなった。


 レモンテス軍が進軍……する前から、すでに作戦は始まっていた。

 ベスロジアが先手を打って何かしたのではない。魔王クロトだ。

「……なんだと?」

「はっ、領邦同盟軍が機先を制して、我らの領内に進攻してきました」

 伝令は冷静に告げる。

「どういうことだ、敵の構成は、そうだ、八角の関は」

 八角の関とは、敵が通ったであろう関所だ。簡単な防御設備を備えている。

「落ち着いてくだされ。敵は大河軍チャールズ、平原軍ドロシー、そして白雲からは、デミアンと黒鳥衆ルーネスでございます。黒鳥衆は歩兵も混じっておりますが、ほかは騎兵がほとんどです」

「関はどうした……いや、いい、察しがついた」

 まさか敵軍から攻撃してくるとは思っていなかったので、見張り程度の兵しか配置していなかった。そのことを宰相ベスロジアは思い出したのだ。

「敵軍は関を突破し、将校、下士官、兵卒の別なく、防御設備を普請しております」

「むむ」

 レモンテスは大所帯である。組織的に足並みをそろえて大軍を動かすには、時間がかかる。騎兵などの機動的行軍でその出鼻をくじき、攻勢をもって主導権を握るという考えだろう。

「とりあえず我らの領土に侵襲してきたからには、すぐに除去しなければなるまい。やむをえん、軍を三つに分ける」

 すぐにでも組織できる戦力、その次の戦力、そして最後に近衛戦団を含む本軍ということだ。

「どうせあの付近はそう広くもない。全軍が一度に展開など到底できぬ。それに軍を分けても、数的にはそれぞれだけでも有利だからな」

「まったくもってその通りでございます」

「第一軍が着陣するころには、敵の本隊も到着しているだろう。しかしそれでも勝てる。これは勝てる戦なのだ」

 ベスロジアは落ち着いて説明する。

「慌てることはない。軍政長を呼べ」

 魔王の策略は、もはや動き出している。


 そのころ、チャールズは馬を降りて、同盟軍の防御陣を普請していた。

 柵、土塁、空堀、馬止め、塀等々。クロトが得意とする、いつもの下ごしらえである。

 先行部隊は数が少ないため、チャールズのような上級将校も作業に参加せざるをえない。

 ……というより、万一同盟軍の本隊が遅れた場合、先行部隊だけで敵軍を足止めしなくてはならないため、普請が遅れれば、自分が死に近づくことにもなりかねない。

 今のところ本隊の到着が遅れる要因はない。しかし、かといって手を抜くわけにもいかない。なにせ万一の時には自分にもかかわるのだ。チャールズは、そもそも戦で怠けるような不心得者ではないが、そうでなくともわがままを言える状況ではないのだ。

 彼が木材を担いでいると、近くにデミアンの姿が見えた。

「デミアン殿」

 彼も荷車で土を運んでいた。

「おお、貴殿は」

「大河邦のチャールズと申す。クロト殿の要請に応じて参上いたした」

「ああ……」

 デミアンは名前を聞いて、得心したようだ。

「アイリーン嬢の父君ですな」

「左様。不肖の娘が迷惑をかけております」

「私は、そしてクロトも、そうは思っていないようですな」

 魔王の親友は、声を掛けた目的をも察したらしい。

「あの馬鹿クロトは、男女の情にはとことん疎いようですが、そのうち娘さんの熱意にも、チャールズ殿のお心にも気づきましょう。万事心配は要りますまい」

「ほう」

 チャールズはただうなずいた。

「かようなことだけでなくとも、アイリーン嬢はもはや立派な主力です。チャールズ殿と互角かそれ以上の名将となりましょう。私などせいぜい、ご令嬢の露払いが関の山」

「ご謙遜を」

 チャールズは微笑した。

「クロト殿は元気……でしょうな。そうでなければこの戦で軍師を務めてはおられぬはず」

「ああ、やつは一応元気ですよ。ただ、私としては、最近は苦労ばかりだったようなので、この戦に勝った後は少し休ませたいですな。全く、故人となった師の苦労が分かるというものです」

「ゲーエン殿か。噂には聞いておりますぞ。大変な智者だったとか」

「他界したのがつくづく悔やまれます」

 デミアンは頭をかいた。

「ともかく、鈍感クロトは鈍感なりに、今のところ平常ですし、ご令嬢は立派な武将です。何も心配は要りませぬ」

「万事承知いたした。将来の娘婿・クロト殿によろしくお伝えくだされ」

「承知いたしました。まずは勝利を目指しましょうぞ」

 言うと、デミアンはまた荷車を押して、「おーい、土はここにあるぞぉ!」などと持ち場へ向かっていった。

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