第12話 急ぎ宴の準備を

 圭の携帯にチャットアプリからの通知が入ったのは、17時を過ぎた頃だった。


『こんにちは。久美野です。

 今沙雪ちゃんとりょうちゃんと3人で、おうちで料理してます。

 もし嫌じゃなかったらだけど、18時半頃、お裾分けを持って行ってもいいですか?

 ロールキャベツとか生姜焼きとか、お肉系のおかずが多くて、多分お姉さんの分もあるかなって思います』


 内容を読み終わって驚いた圭だったが、失敗だったのは、文机の上で携帯の隣に転がっていた『断崖』にもその内容を見られたこと。

 瞬く間にストラップが白い煙を立てて、狸化した『断崖』が携帯画面と圭のことを忙しく見比べる。上げた鼻っ面が圭の横顔をかすめるほどだった。


「おいお主、何じゃこれは? 何じゃロールキャベツとは。生姜焼きは? 肉、じゃと?兎に角、もうすぐ肉がこの家にやって来るということなんじゃな?」

「いや違うぞ、ちょっと待て『断崖』」

「書いてあるではないか。おい、来るぞ肉が、どうする。おお、こうしてはおれんな。おーい美織ー! 美織! 起きろ!」


 狸の後ろ姿がびゅうと部屋から走り出して、圭が止めようとしたときには既に『断崖』の姿は廊下へと消えていた。気が急いた声がドア越しに聞こえてくる。


「おい美織! ここに来るぞ飯炊き女が! もうすぐじゃ! ほれ、この結界、何ぞ開錠の手順が必要なんじゃろ。それをすぐ圭に教えよ」


 まずい、『断崖』のほうはもう選択肢も何もなく莉緒を家に招き入れる気だ、と圭は焦る。

 その時、携帯にもう一度通知が届いた。


『あの、沙雪ちゃんが一緒に夕飯を取りたいから、私たちの分も持って行っていいかって。それはさすがに迷惑だよね?』


 三人で来る気か。推定魔女の方は上がり込んでくる気が満々なようだ。

 圭は学校生活でだけ気を付けていればいいと悠長に構えていた自分のことを悔いた。


 美織が部屋のドアを開ける気配。


「なーんすかー、『断崖』殿。飯炊き女?」

「圭の学友じゃ! 入れてやれ! ロール何とかとな、生姜焼きというのを持ってくるという。それはどんな、どんなものなんじゃろうなあ?」

「ロール何とか。ロールキャベツっすか? を、今からうちに持ってくる?」

「そう、そうよ、ロールキャベツじゃ。兎も角お主と圭とで歓待せよ。急ぎ、宴の準備を」


『断崖』は既に、劣勢の国主が中立国の使節を迎え入れるようなテンションで勝手に話を進め出している。

 圭はまずい、と思って腰を上げた。


「え、あららー。ジョシがメシを? 持ってくる? 圭君ったら、え、もしかして早くも隅に置けない?」

「それは分からんが、向こうが来ると言っとるのだから賓客として迎えよう。これは…これはひょっとすると……。美織、お主分かるか」

「そりゃあー、青春の扉がまさに開きかけてるってことっすよね」

「阿呆、人のサカりなんぞが食えるか。儂が言っとるのはこちら方の出方次第によってはな? 今後も飯炊きが続くやも知れん、ということじゃ」燭台の参謀のように低目の抑揚を付けた声で断崖が語る。


「あー、そういうことかあ。ヌフ、それもいっすねー。あ、ちなみにおうちって『只人』なら普通に入れるんすけど。え、来るのって『只人』ではない?」

「持ってくるのは『只人』じゃろうな。しかし後二人、”そうでないの”も連れてくるやもしれん」


「おい『断崖』、勝手に話を進めるな」


 圭は廊下に出る。

 美織の部屋の前では、尻尾を大旗のように振り回している『断崖』の後ろ姿が見えた。


「うへえ、三人? ひと股のふた股の、さらにドン? すげえー圭君、隅に置けないどころか、そこはもうセントラルって感じじゃないっすか。たった数日で三人分の手籠めシナリオINって」


 圭の語彙に引っかからない言葉を美織は使っていたが、どうせろくでもない意味だろう、と聞かないことにする。


「いや、つい今朝、な。うちは二人とも料理ができないっていう食生活の問題の話になったんだ。多分それで」

「多分それで、さらにドン、ねえー。『紅仙』の未来は明るいわあー」

「うむ。なかなか鮮やかな手練であった。ここまで見越していたとはな、圭! でかした、早速向こうは掛かりよったぞ」

「ちょっと待て、『断崖』。誰も彼女らを家に上げるなんて言ってないからな」

「ん、何ィ? お主…たわけ! このたわけが!」


『断崖』はなかなかの興奮状態にあるらしい。一度目の『たわけ』とともに白い煙がまた立ち上がり、一糸まとわぬ人型が現れた。

 前かがみで腰に手を当て肩を怒らせている『断崖』に、圭は咄嗟に目を逸らす。


「飯を持ってくるという女を、お主、飯ごと突っ返す気か! それとも飯だけ攫って追い払おうというのか! それが男のすることか!」

「確かにー。圭君いっけずぅーー」


 それを言われると、魔女云々を置いておいても圭に反論は難しい。圭の脳裏に俯いた莉緒の寂し気なつむじが浮かんだ。


 それでも何とか反論しようとして向き直りかけ、すぐに赤い下着の美織と丸裸の『断崖』が並んでるのが目に入り込んで、圭はなぜか自分の家なのに白い壁紙を見るしかなく、反論さえ引っ込んでしまう。


「ほれ、ほれ、早く支度を始めんか」

「待て……ところで、『断崖』。さっき言っていたが、莉緒はやはり『只人』ってことでいいんだよな?」

「んん? ふん…、それはお主が判断せよ。兎に角今日のところは家に入れてやればよいのだから、隣の娘も含め三人を開錠の対象にしとけばよかろう」

「え、隣の、娘? ってことは、えー『断崖』殿、”隣”の、”具”ってこと? あーれれー? 圭君のご学友なんすか?」


 美織が『断崖』を向いて疑問を投げかける。


「具、か。ふむ、あれはそうでもないような……。微かに匂いは付いとるがな」

「何のことだお前ら。莉緒の、話か? …具? 匂い? ってのは、何なんだ」

「お主には分からんか。分からんだろうよ。おっと」


 『断崖』は何をしたいのか分からないが、自分の身体を見て狸型に戻った。

 そして斜めに圭を見上げる。


「ならば、自身の為にも関わりの機は捉えておくべきと儂は思うよ。何せああいうのを、”お隣さん”と言うんじゃろ?」


 圭は眉を寄せて首を捻る。

 美織が、『断崖』が、仄めかしているものが捉えられない。莉緒は『只人』ではあるが、それだけというわけでもない、そういうことなのだろうか。


「ま、そんなこんなで歓待はしときますかね。んーじゃー、圭君。ドアの覗き窓の金具にね、豆みたいな小っこい石が引っ付いてるんで、それ触って三人の顔と名前を念じといてちょうだいなー」

「念じるって。呪は何も要らないのか」

「要らにゃい。そいつはドア側で勝手にー、えっと、ID登録みたいな。PCぽいしょ? あ、偽名の子とかはいないよねー」

「そんなわけ…、いや、魔女の方は知らない。分かるわけがないしな」

「ま、そしたら偽名使ってるから入れないって【通話コール】ででも警告してやりましょ」


 圭は頷きかけたところで、いつの間にか三人の来訪を受け入れる前提になっていることに気付いた。

 待て、と改めて口を開こうとして、一瞬それを躊躇う。


 確かにわざわざ料理を持って来てくれるのに家に上げないというのは『断崖』に言われるまでもなく、莉緒への申し訳なさや気まずさを感じる。それに、そういう方向で今更この家こっち側の意見をまとめるのも、相当にしんどそうな雰囲気だった。


 そもそもまだ、沙雪やりょうとは同じ魔術師同士として対峙すると決まったわけではないのだ。共に夕食を取るのと、自分を魔士とカミングアウトすることは別物に考えておけばいい。

 向こうも莉緒がいるならよっぽどなことは言わないはずだ。


 圭はふーっと長く息を吐いてから、心を決めて、携帯を取り出す。


「……分かったよ。俺は莉緒に返事と、あとはドアの登録をしてくるから、お前らは下を片付けとけ。あと、『断崖』。おかずは残しといてやるから向こうが帰るまでストラップでいるんだぞ? 美織、は、服を着ろ」


 あの着ぐるみは今家のどこに脱ぎ捨てられてるのか、と考え、そこで圭はあることに気が付いて愕然とする。


 (……そうか。狸マニアの家庭って、絶対思われる……)




 リンゴンという前時代的なチャイムの音が鳴り渡る。

 挙動不審な『断崖の主』は、その音を聞いて一度ストラップから狸型になって、またストラップに戻った。

 圭はその携帯を持って腰を上げる。


「美織、来たぞ」と声を掛けてから階段を下りる。

 玄関のドアを開けると、パーゴラの陰の向こうに学校制服の三人が見えた。

 圭はアプローチを進んで門扉を開ける。


「こんにちは」

「あ、圭君。その、こんにちは」

「こんにちはー」


 しどろもどろ一歩手前の莉緒と、爽やかな余裕感が出ている沙雪。無言でねめつけてくるりょう。

 圭がキャラクターを掴んできたそのままの様子で三人は門扉の前に並んでいた。

 圭は魔女の二人を下手に意識しないようにして、莉緒の方を向いた。


「何か気を使わせたみたいで、すまない。今朝は、余計なことを言ったかもな」

「いや、そ、ううん」

「ね、あたし達もりっちん家で作ってる時、丁度その話を聞いたものだからね。だったらこれ持っていったら喜んでくれるかもなーってなって。迷惑だったかしら?」と、沙雪がにこりと笑う。


 圭もそれに笑顔を返した。


「そんなわけがない。嬉しいよ。同居人も、喜ぶと思う」


 圭は門扉を抑えたまま肩口を引いて三人を招き入れる。


「すごいねこれ。門もだけど、これはインターホンって言うよりか、チャイム?」

「うん。雰囲気ある音、外にも聞こえたよね。私もお隣に住んでて初めて聞いた」

「まあ、何もかもが古いんだ。最初の関門がこれだし」


 そう言って圭は軽い早足で三人を追い越してから手を伸べて、アーチの手前側の蔦を横に押し広げる。

 最初に莉緒と沙雪が小さく楽しげな声を上げながらそれをくぐっていき、最後にりょうが圭の前を通った。蔦で首を傾げたときに、二センチくらいの半月状のイヤリングをしているのが圭の目に映る。

 身長は150と、少しくらいだろうか。胸の下までしかないりょうを見ながら、圭は試しに「こんにちは?」と笑顔で言ってみる。

 りょうは目線だけを上げてやはり睨んできたが、蔦をくぐる時に小声で「…ちす」と言ったのが圭の耳に届く。

 睨まれはしたが、挨拶は出来る。隠れたお洒落も意外だった。

 誠司が言うように思ったより普通の、いい子なのかも知れない。


 圭はポーチに上がって三人の横を通り、ドアを開けた。

 内心で緊張しながらもドアを押さえて、三人を通す。特に何も起きずに全員が玄関の中に入っていった。


「なんか、紳士? ね」

「あ、え」


 沙雪が圭のことを悪戯っぽい笑顔で見上げた後、莉緒に同意を求める。

 圭は初め何の話か分からなかったが、今の蔦やドアのことかと分かって「普通だろう」と返す。

 靴を脱ごうとする沙雪と莉緒の手元に自分の手を伸ばして、紙袋を受け取った。


「あはっ! ほら紳士じゃない」

「…邪魔そうだからな」


 やはり普通だろうとしか思えない圭には首を捻ることしかできない。そして紙袋の中にタッパーが入ってるのを見て、「これ、みんなおかずか?」と話題を逸らした。


「うん。結構持ってきたから、余ったら冷蔵庫に入れてね?」

「ありがとう」


 その時階段の音がして、藁苞わらづとした納豆みたいな状態の美織が下りて来た。


「どもどもー! 美織ちゃんでーす。皆さんいらっしゃーい」

「……あ」

「美織、前を閉めろ」

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