第5話 服を着ろ
商店街にあるいくつかの店を覗き、日用品のほかに『断崖』と約束した揚げ物も購入した後、圭は自宅の門扉の前まで帰ってきた。
鞄のストラップからは「何じゃろうのう? かにくりいむとは一体どんなものじゃろうのう」と機嫌良さげな声が聞こえてきている。
自分の背丈を越える重たい鉄製の門扉を開けて中に入り、玄関までのアプローチに配置された錆び付いたアーチのことを見上げる。パーゴラと思える蔦植物が伸び放題になっていて、枯れかけた枝が何本もその内側にぶら下がっていた。
「”お化け屋敷”、か」
沙雪との会話を思い出し、圭は呟いた。
目の前のアーチの蔓は首や体を何度か傾けて通らないと向こう側にたどり着けないぐらい伸びきっている。その向こうに建っているのは一見ハイカラにも見える大きな洋館だったが、その壁は苔むした上に蔦が蔓延っていて、庭の草木も伸び放題。屋根や壁のタイルも何か所か剥げ落ちているのが見受けられた。
圭は昨日この家に越してきてからもうこれで三度目となる懸案について、再び思い悩む。家を整えるのを自分の居所だけに留めるか、はたまた外観を含めた家全体にまで拡大するのかについてだ。
本来綺麗好きな性格なので、正直なところ圭としては目につく全ての範囲を整えていきたい。
しかし問題は同居人の方なのだ、と圭はこれも三度目となる渋面を作る。
魔法の探究者は秩序を好む者とその真逆の人間とに大きく分かれがちなものではある。
が、その正反対の者同士を、秩序と混沌とをペアにして同居なんかさせてしまうから問題が起きるんだ、と、圭は零す。
『紅仙山』でもそこだけ異空間のようだった今の同居人の居住域が思い起こされた。自分が片付けた端からあの悪夢が再び蝕んでいく様子が圭には容易に想像できる。
結局また方針を定めることができないまま、圭はアーチを抜けて玄関のドアを開けた。
圭が玄関に入ってドアの鍵を掛けると、ブゥン、とドア全体から音がした。
今朝、家を出る時点では無かった仕掛けに、たった今閉めたドアのことを思わず見つめる。
「クク、これが罠なら、もうやられておるのー?」
からかうような『断崖』の言葉に、圭は舌打ちしつつ「美織の仕掛け、だよな? 実際罠もそのうちにありそうで怖いよ」とぼやいた。
扉を見上げて軽くスキャンを試みる。
ざっくりとした方向性までは理解できるが、色々な機能が混ざり合い、いかにも同居人の作品らしいややこしい作りになっていた。
「これは、『護法』の類か」
「んむ。家を守るためか、家から外を守るためか。まあ、お主がここで”りらっくす”を出来るようにとやったんじゃろう」
「へえ。この散らかしようで、”りらっくす”、ねえ」
廊下のほうへ振り向いた圭がぼやく。
なぜか半分ずつ入った二本のペットボトルの横で、上がり框には布製の何かの残骸が横たわっていた。
「何じゃ、それは」
圭は持ち上げてみる。
「狸、の、着ぐるみみたいだな」
「ほう、これで狸か。美織も洒落の利く女よのう。で? それはお主用か?」
「っ! 着てたまるか」
圭は吐き捨てながら、持ち上げた着ぐるみを丸めていく。ペラペラの素材なのに大きな尻尾だけは無駄にボリュームとコストが掛かっているようで、丸めた本体より大きいぐらいだった。
その時、二階から階段を下りてくる足音とともに、「圭くーん? おっかえりー」と、欠伸混じりの間延びした声が聞こえてきた。
階段から現れた同居人、美織の姿を確認すると同時に、圭は手に持っていた着ぐるみの固まりを投げつけていた。
「服を着ろ、と言ってるだろう」
美織は飛んでくる布の固まりを避けもしない。
それは美織の肩口に当たってそのまま彼女の肩に掛かりかけた後で、結局床へとずり落ちていった。
その後ろから現れたのは白い裸身に申し訳程度の小さな黒い下着を付けた妙齢の女性だった。
圭の冷たい怒気を孕んだ声など何処吹く風で、ウェーブのかかった長い黒髪の中へと片手を突っ込み、無造作に掻いている。
「ねーえ、圭くーん、ご飯ー」
「聞いてるのか? 昨日、『次に服を着てなかったら飯抜き』と言ったはずだよな」
「んー、だからさー、このタヌちゃんを買ってみたんだけどね? 着たらやっぱ暑くってさあ。膝まで履いて、『イラネ』ってなっちゃった」
美織は足元に落ちた狸の尻尾を蹴って遊んでいる。
「何なら着るんだよ」
「だからね、代わりにほら。着てるじゃーん」
美織はそう言って親指と人差し指を丸めて腰とタイツとを繋いでいる紐を引っ張り、指を放す。
ペシンと音がして太ももが微かに揺れた。
「これはねえ、ガーターベルトって言うんだお? もしかして知らなかったかなぁ? 圭君にはちょっぴり早いかなーぁ?」
しなを作るように美織が首を傾げた。
圭は携帯を取り出して、強く握り込みながら彼女のことを睨みつける。
「お、圭、美織とまたやるのか? 早速この『護法』が如何ほどのものかを試すのか?」
「やーん駄目ですよー、『断崖』殿。この結界は普通に暮らしてるときに色々漏れ出さないようにしてるだけなんだから。うちらが暴れたりしたら耐えられませんってー」
「いやいや美織よ。なかなかの強固さなのはひしひしと伝わってくるぞ」
「あら、わーい光栄ですー。あ、でね、圭くん、話戻るけど、早くご飯ねー。美織ちゃん腹減ったー」
完全にからかわれていることは分かるのだが、圭はくっ、と顔を下げて堪えて、美織の前を足早に通り過ぎて部屋へと入る。
「兎に角、それでもいいから着てろよ。じゃないと飯は出さないからな」
「えー。暑いのになあ」
「そもそも服を一着も持って来てないってのはどういうことなんだよ。向こうじゃちゃんと着てただろう」
「着てたよー。木和ちゃんがうるさいからねー」
「だから俺もうるさく言ってるんだ」
んふふー、と笑いながら、赤茶の布地にごそごそと足を突っ込んだ美織が、着ぐるみを引きずりながら圭の後ろを付いていく。
「圭くんのはまだまだ、五月バエがブンブンって感じだもん。木和ちゃんの、氷河期の一月の猛吹雪の北極点でメンソレータム全裸ー、みたいな怖さには及ばないっす」
「何でもいいからそれを引きずるんじゃなく、ちゃんと着ろ」
「へーい」
美織が狸耳の付いたフードをすっぽりと被った。
手足に着ぐるみを纏って、顔も大き過ぎるフードにほとんどが隠れたが、前のチャックを閉めないままなので胸部から股下までの肝心なところだけが隠れていない。隠そうともしていない。
圭は忌々しそうに舌打ちをする。
今圭が入って来たのは20畳ほどの和室のリビングだ。
この家は前の家主の趣向なのか、一階には畳敷きの居間と台所、そして洋風のリビングダイニングとキッチンという二組の居間があった。
圭は育ちがずっと和風家屋だったので和室の方が落ち着くのだが、美織まで当たり前のようにこちらに付いてきているのは頭が痛かった。
既に今朝まで片づいていたはずの大きな座卓の一角には、紙切れや丸めたティッシュ、カップ麺の空き容器などが散乱し始めている。そしてここにも半分ずつ入ったペットボトルが二本、RPGの仕掛けのサインみたいに意味ありげに立っていた。
「美織、こういうのもだ。お前の部屋を『お山』みたいな樹海にするのはもうご自由にってことでいいんだが、二人が生活する場所は汚さないようにしろ。俺もいるんだからな」
そう言いながらも、圭は自分で手を動かして片付けていってしまう。
言葉を駆使して美織を何とか動かすよりは、自らやってしまった方が十倍も百倍も早いというのが身に染みて分かってしまっているのだ。
そうしてカップ麺の容器を持ち上げた圭の手が、その下に敷かれていた紙束を見て止まった。
「……! 何を、敷物に、してる」
その声を聞きつけて、「お、ほーう? 久方振りに見たぞ」と、いつの間に手足を出したのか手の平サイズの『断崖の主』がひょこひょこと座卓を移動して来て、圭の手元の『陣』のことを見下ろした。
「んー? ああそれー? 色々と検討中でね。あ、ちなみに圭くんそれ持ってあの言葉とか言っちゃだめだよ?」
「触るかこんなもん! 転居翌日に近所ごと蒸発させる気か?」
「だいじょーぶだいじょーぶ。幾つかほら、中身抜いてあるっしょ?」
「威力! 威力を抜いてない」
圭の記憶が正しければそれは【
美織の言う通りいくつかの図形や文字が省かれたり変えられてるのは分かるのだが、肝心の起動と威力に関する部分にはしっかりと導路が構築されていた。むしろ制御や指向性がどのようになってるのか一見では理解不能なため、正しい陣より余計に危ない代物と言える。
かなり高位な『陣』の書付が鍋敷きとして無造作に置いてあり、その『陣』の下の2枚目以降がどうなってるかを見るのも圭には怖い。
片しておけよ、あと狸を上まで着ろ、と美織に言い残して、圭はため息をついてから台所へと入っていった。
そして、
「勘弁してくれ…」
と台所の電気を付けてから呟く。
カップ麺を作るためだけになぜこうなってしまうのかの道理が一切分からなかったが、そこでは居間以上の崩壊が始まりかけているのだった。
りょうや『断崖』、そして美織とのやり取りで今日は何度となくゲンナリとしている圭だったが、本来『紅仙山』に住んでいた間は、圭を知るほとんどの人にとっては彼は「いつも無表情で、鍛錬に熱心な、寡黙な少年」という印象だったはずだ。
人と交流するよりは自分の問題の方に対処する方が大事だったしそれで手一杯だったため、圭自身もその評価のままで良いと思っていた。そして実際そうやって暮らしていくうちに額面通りの性格に近づいていってもいたのだ。
しかし唯一そのペースを崩してくるのが、女怪ともいうべき美織、そして祖母の木和の二人だった。
やっとこの二人と離れて暮らせるか、と思ったら、片方が離れずにあっさりと付いて来てしまい、この時の圭の気落ちはなかなかのものだったのだ。
学校にはやはりというべきか、面倒そうな推定魔女が既に二人、見え隠れし始めている。さらに蟲や妖魔までがそれなりに元気な町だとも、『断崖』が言っていた。
圭は鬱々とこの先の生活のことを考えながら、台所の片付けへと手を付けるのだった。
その頃、和室に残されていた『断崖の主』と美織だが、『断崖』の方が窓際で楽し気に柱や窓などを見回して、もう片割れの、座卓に後ろ手をついて座っている大狸の方に言った。
「しかし見るほどに、面白い護りじゃな。ややこしいが、理に適ってる」
「え、そっすかー? んんー、まだまだ」
「美織や木和のは、やりようが面白い。人の魔法でもここまで来ればいっそ清々しいのう」
「ああ、そういや人の扱う魔法はお嫌いで。理由って聞いたことなかったっすけど、『お山』に住んでるってのに何でまた?」
「ふん。……念話なんぞはな、齢を経て、力の大きいものはいつのまにか身に付くもんじゃ」
「はい?」
「もし人がそれでは身に付かんというのなら、もう人とはそういうもんなんじゃろ。か弱く短命の生き物が、せせこましく苦労してやり様を見つけ出し、伝承して競い合い……、そういうのが見ていて居た堪れん。それだけじゃ。笑うほど短命な者が、いじましく、生きてる間そんなに死から遠ざかりたいのか?」
「はあ、なるほどねー。うちら弱いし、すぐ死んじゃいますもんねえ」
「クッ。まあそうじゃがの。木和はまだ良いとして、お主は言うでない」
美織はそれには答えず、脱力気味の上体をゆらゆらと揺らす。
「んーでー、えっと『断崖』殿、ところでー。『断崖』殿は、どう思います? もう気付いてるんっすよね」
そう言って、フードに隠れた顔を『断崖』へと向けて首を傾げた。
「んん? 気付く? 隣のことか?」
「うっす。そうっす」
「フフ。まああれも、この家と一緒じゃろうに。よくよくうまく隠しておるの。いつの世でもそうじゃが、魔女とは隠し事が好きなものよ」
「ぬっふふ。ですねえ。わくわくしちゃいますよねー。で? 中はどんなだったかって、見ました?」
「ん? それは見とらんよ。作動しておる結界なんじゃから、もちろん中は見えはせん」
「あらら。断崖殿ほどの結界の使い手でも?」
「作る、壊すの話であればまあどうとでもなるがの。もし少しも壊さずに見通せるようなら、それはもう結界とは言わぬ」
「ああやっぱり、そかぁ」
「少し壊して覗き見るならお主にも晩飯前にひょいと仕舞える話じゃろうが。しかしまあ、そうすれば向こうさんにも、勘付かれる。お主は興味ある様子じゃが、それは儂らの仕事ではないんじゃろう? 肝心の小僧なんぞは気付いてさえおらん」
「っすねー。すぐそばに誰かが何かを隠してるんだろうけど、その意図どころか隠されてる事実にも気付かない……。ぬっふふー。これはこれで、んふ、淫靡っすねえ。ほいじゃあすんませんが、うちらは放置って方向でいきますか」
「うむ。ああ、美織。ただの……」
「ただ?」
「これは余計なことかもしれんが、聞くか」
「どーぞどーぞ」
「儂にも中は見えん。が、これは儂の獣としての感想じゃがな。儂ゃあ、すごく、”嫌い”じゃな」
「”嫌い”」
「うむ。”嫌い”」
「……へえーえ。なるほど『断崖』殿ともあろう方が……、そっすかー。んーそりゃまた、やっすねー」
マスコットのように二本足で立った『断崖の主』が、反りかえって美織を見上げた。
「嫌、とな? クッ。クッハハハハ!」
「えー、何笑ってるんすか。自分で言っといて。嫌っすよそりゃ。ねえ?」
空々しく「アハハハー、アハー」と笑ってから、美織は持っていた書付の束を丸めて自分の肩を叩き、窓の向こうの暗闇を見やる。
そして笑みを含めながら、短く「ねえ?」と呟いたのだった。
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