第4話 人はセックスのみに生きるにあらず

「……いろいろすごかった」

 八日後、沢渡はキリクと陽谷市の軽食堂にいた。コーヒーとサンドイッチが二人の前に並んでいる。

「堪能できたようでなにより」

「その……キリクが騒いだわけも今ならわかる。フルマックスとかトゥルーダイブってマジでやばい!」

 沢渡の感想に、キリクがにやりと笑った。

「だろ? そこいらのフェイクVRなんか、これを味わうとウンコさ、ウンコ!」 

「でもさ、……散々VRセックスしていうのもなんだけどさ、セックスはセックスでしかないって思った。しかもVRで現実じゃない」

 沢渡は、コーヒーを一口飲むと、そうつぶやいた。

「女の人の体をいじくって気持ちよくして入れて出して。僕、リアルではまだ童貞なのにさ、セックスってこんなものかって思ってしまってさ。そのフランソワさんも他の人も優しくて美人でいい人なんだけどさ、欲望をただ満たすだけってなんか馬鹿みたいだなって思ってしまってさ」

 沢渡の言葉を聞いて、キリクは怒りも笑いもしなかった。ただ沢渡が語るのを目に柔らかい光を浮かべて見ていた。

「VRだからとか、愛がないからといえばそうかもしれないんだけど、でもセックスってただの交尾でしかないんじゃないかっていう感じが途中からずっとあって、なぜ僕はこんなことを必死にやってるんだろう? どうしてこんなにがんばって腰をふってるんだろうって思ったんだ。……ごめん、つまらない話だった」

 沢渡は頭を下げた。だが、答えるキリクの声には非難の色は1滴も混じっていなかった。

「謝らなくていい。俺もそう思ったからな」

 驚いて顔を上げた沢渡に、キリクがにやりと笑みを漏らす

「なんでもありのフルマックスVRでのVRセックスは最高さ。現実以上の快楽に女達の優しさも現実ではありえないレベルだ。だけどVRセックスをある程度やりこむと、ほとんどの奴が飽きて、他のことを始める。性癖がかなりねじ曲がった奴でもそうだし、かくいう俺もそうだ」

 キリクはコーヒーカップを持ち上げ、口に運んだ。

「セックスは基本退屈なんだよ。男がセックスで得る快楽はただ射精と征服の原始的な快楽だけ。充分に射精して女の体を抱き寄せたとき、俺は疑問を感じたんだ。俺がやりたかったことはこれか? ってね。そして女の体をいじくりまわすことに新味を感じなくなった。たぶんこれがセックスレスなんだと思う」

「セックスレス?」

「そう。おっぱいに埋まりたいって、実際胸に顔を埋めて女に抱きついて過ごしても、三日もすれば飽きる。おっぱいは疲れややるせなさや悲しみは癒やしてくれはするけどな。シュンも癒やされただろ?」

 キリクの言葉に沢渡はうなずいた。実際、ここにダイブするまでに感じていたものは吹き飛んでいたからだ。死への思いも疲れも癒やされたのは間違いない。

「でも癒やされただけで、退屈なのは変わらない。結婚したらこんなことを一生続けるのかと思ったら、急に冷めた」

 キリクは小さく息を吐いた。

「この現実と変わらない広大で鮮やかなVR世界が待ってるのに、やってることは女の肉に埋まって腰ふってるだけ。セックスは二度とできないわけでもない。ここに来ればまたできる。費用だって格段に安い。性病も妊娠も心配しなくていい。誰かにとられることもないのだからがっつく意味もない。あのヴァーチャル娼婦が誰かのものになることはないからな。なのに俺はいったいなにをやってるんだろ?って」

「とられることはないって?」

「気づかなかったか? あのヴァーチャル娼婦、二人以上から同時に指名されても、コピーを起動して同時にお相手するんだぜ。現実的には娼館の部屋を独立インスタンスにして、そこに排他処理をせずに娼婦を置くんだろうけどな。身請けシステムもあるが、身請けしても自分が娼館で指名できなくなるだけで、他人からは指名できる」

「ほへぇ。そんなのよく調べたなぁ」

 沢渡はあきれて口を開けた。キリクは肉のついた肩をすくめた。

「風俗好きの連中が情報交換してたときにわかったんだとさ」

「じゃあ、いついっても指名できるわけか」

「そういうこと。独占できていないが独占と同じに見せかけられる。だから娼館を家代わりにして、特定の娼婦と暮らしてるのもいる。金銭的にも負担は小さいからできる」

「……それもすごいね」

「ま、ともかく、俺にもセックスレスの賢者タイムが来たのさ。シュンの感じたことは俺も感じたし、現実でも夫婦にセックスレスがあるんだから、きっとこれはVRのせいじゃないし、愛がないせいでもないと思う」

 キリクが椅子の背にもたれ、背伸びをする。

「たぶんセックス自体がこのエンタメ過多の時代には、単調で飽きられやすいものなんだよ。それをもてない男とのセックスの拒否、売春の禁止による希少感でセックスに対する幻想を作り、延命させていただけだったのさ」

 キリクが腕を組み直して大きく息を吐いた。

「それでもシュン、おまえは前のゲームのときにかなりテンパってたし、ここにきたら最初はVRセックスに溺れるのがいいと俺は思ったんだ」

「え? 僕テンパってた?」

「ああ。おまえ、俺がフルマックスVRがウンコだったら死ぬって話題に妙に喜んでからんできただろ。どうやって死ぬの?とかさ。なんか、おまえが自殺しそうな感じがあってやばいなって」

 沢渡は赤面した。自殺衝動を隠していたつもりだったのだ。

「……ひょっとして隠していたつもりだったのか?」

 こっくりうなずく沢渡に、キリクがあきれたように苦笑する。

「それじゃ、俺のもくろみもうまくいったってことだな。よし、そろそろメインディッシュといこうか?」

 そういうとキリクは器用に片目を閉じた。男のウィンクは沢渡にとってあまりうれしいものではなかった。


「でもVRセックスがオードブルなんて、このゲーム、ぶっ飛んでるよね?」

 軽食堂を出て、二人は商店街に向かっていた。建物の高さは高くても4階ほどなので、頭上には青い空が遮られることなく広がっている。

「そうでもない。VRセックスでは、自分のアバターの性を変えない限り、やることはリアルとそう変わらないんだぜ。よほどの変態プレイ以外はな。だからVRの世界でやるVRセックスはある意味一番ありきたりだ。だれでも考えることだしな」

「じゃあアバターで女の子になれば違う?」

 低い西洋風の建物が続く、石畳の通りを足音を響かせて二人は歩いた。

「女になっても録画でもしなきゃ自分の体を第三者視点で見られるわけじゃないから、レズごっこならやることは男と同じで射精がないだけ。男とやるなら、男への嫌悪を消す必要があるのだけど、それを消したら、相手の男に与えられる快感にはまってリアルでホモになりかねない危険性がある。女の体になって深くイったら、世界が変わるらしいぜ、ホモの方向に」

「……うわぁ」

「そもそもアバターを女にしてレズごっこするとき、相手も同じことをやってて、複合現実(MR)ゲイプレイだったら、シュンはどうする?」

「……うわわわわぁ」

 想像が頭をよぎり、沢渡は額に手を当てた。

「フルマックスVRでは、おおよそなんでもできる。だからリアルでもできるセックスなんて雑魚さ、雑魚。けれど本当の超現実は」

 そういうと体育館のような大きな建物の扉をキリクは押し開いた。


 そこは例えるなら、銃器のスーパーマーケットだった。地上3階地下1階でアメリカンサイズの広大なフロア面積をもつスーパーマーケット。しかも並べてるあるものはすべて銃器と付属品、銃の用具類である。

 店そのものはひどく質素で壁も黄ばんでいるが、ピカピカに磨かれた銃が棚にびっしり陳列されていて、その棚自体も、人が二人やっと通り抜けられそうな間隔で広大な空間を埋めている。

「本当の超現実は、フルマックスVRは、これだ」

 キリクは手近な棚にあったアサルトライフルを持ち上げて、にやりと笑った。

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