色の逡巡

第8話

　家に帰り、ただ無為に時を過ごし、僕はベッドで考え続けた。

　......たった一日で、僕は、旧友の信用を失い、そして、大切な彼女を失った。

　──私があなたを殺します。

　　　　　総理大臣の声。

　──君とはもう会えない。

　　　　　智子ちゃんの声。　

　──私のために死んで。

　　　　　沙希の声。

　それらを思い出すだけで、頭痛と吐き気が

僕を襲い、そして、どこにもぶつけられない怒りが水でお湯を沸かすみたいに、ゆっくりと湧き上がってきた。

　なんで僕ばかり.........

　僕が何をしたんだよ。

　......お前らは何を考えてんだよ。

　──ドンッ......。

　僕は、自室の壁を思い切り殴り、そして手から血がたらりと出た。

　僕は、少し安心する。

　僕は、まだ、生きてる。生ぬるい血を流すことが、まだ僕にはできる──

　　　　　　　　*　*　*

　そこから何時間経っただろうか。

　考えることに疲れて寝てしまった僕を、母の声が起こした。

　「雅人、ごはんだよ」

　自室のドアが開けられ、母の優しい声が入ってくる。

　「おーい雅人！　おきなさい！」

　それでも僕は身体を起こさなかった。

　駄々をこねる子供みたいだ、と僕は自嘲（じちょう）気味に思う。でも僕は、顔をあげなかった。

　母は諦めたのか、部屋から静かに出ていった。申し訳ない気持ちと、一人にしてほしいという気持ちが、丁度半々ぐらい、僕はもう一度瞳を閉じる。

　もう一度、眠ろう。

　僕がそう思った瞬間、再び自室のドアが開けられた。

　「雅人、何があったか知らんが、とにかく起きて飯を食え。この家のルールだ」

　父の声だった。

　いつもの声より幾分、穏やかでそして力がこもっているように僕は思えた。

　──雅人、お前は誰の子だ？

　十年くらい前に父に怒られたことを、なぜか、不意に、僕は思い出していた。

　その時、まだ十歳くらいの僕が、友達の家でおやつを食べて帰ってきて「ごはんいらない」と言った刹那（せつな）、父から平手打ちが飛んだ。

　今、思えばなんともないけど、本当に怖かったし、痛かった。

　「お前には、母さんが必死に作ったご飯を食べれないのか。雅人、お前は誰の子だ?」

　その時の父の声と、今の声がどことなく似ていることに、僕は気づいた。

　「雅人、早く起きなさい」

　仕方なく僕が顔をあげると父、そして母が僕のベッドの前にいた。

　僕は身体を起こし、謝る。

　「ごめん......父さん、母さん」

　ベッドから起きあがると少し頭が冷えた。

　今、あんなことで悩んでいる場合ではないと冷静な僕は判断する。

　すると、母がゆっくりと声をあげた。

　「.........雅人、あんた、手が──」

　赤くなっていた。

　血をふかずに寝たせいで、僕の肘の方まで血の道ができていた。

　「ごめん。なんでもないから、大丈夫」

　もう痛みは消え、ただ赤くなった手を僕は見る。赤と青が混ざっても、血の量が少なく、手の甲は紫色にはならなかった。

　「大丈夫、じゃないわよ！　早く！　腕見せなさい！」

　この感じもなぜか、懐かしい。

　ケガした時もこんなんだったけ。

　「ごめん、母さん迷惑かけて......」

　正直、僕は嬉しかった。

　両親の無償で不変な愛情を受けることができて、例え彼女や友人に裏切られても、帰るべき場所があって。本当に良かった。　

　「ははっ、なに言ってんの、雅人。

　　家族って迷惑かけてなんぼだよ」

　そう言って笑いながら僕の手当てをする母さんも、僕に喝をくれた父さんも、きっとこの世界で一番の僕の味方だ。

　　　例え、僕が狂ったとしても。

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説明書　No.8

緑に光った者は、十五歳以上の生活保護を受けている者である。