秋時の発想
いきなりノーアウト三塁。
スタンドからはため息のようなノイズが重く渦巻いていた。
ワンヒットワンエラー。
トシにエラーが記録された。
カメラがトシの表情を追っている。
・・・大丈夫か
淡々としているように見えるが ……
あれ ?
怒ってる ?
ボールを逸した自分に腹を立ててるのか ?
声を掛けに駆け寄ったコータに向かって頷くトシの目は力強いものだった。
コータが珍しく打球の目測を誤った。
たまにはそういう事だってあるだろう。
そこをカバーしてこそチームの士気が高まる。
トシはそう思ったはずだ。
だから全力疾走で前進して来た。
だが慌てて背走するコータが目に入り一度止まってしまった。
水野の声を聞いて咄嗟に飛び込んだが、間に合わなかった上にボールを逸した。
躊躇してしまった自分に腹を立てているのかも知れない。
初回、いきなりエラー。
重苦しい空気をさらに重くしてしまう幕開けになってしまった。
19歳のルーキーには酷な現実だ。
だが、萎縮しているようには見えなかった。
普通に悔しそうなだけだ。
そこには、大観衆の視線に臆する少年の姿はなかった。
あれは ……
プロの顔だ。
・・・いつの間にか大人の男になって
ん ?
ダグアウトから佐久間監督代行が出て来た。
主審に詰め寄って何か言っている。
怒っているように見えた。
何を抗議してんだ ?
「たぶん秋時だ」
深町さんが呟いた。
「大沢 ?」
「秋時の入れ知恵だ。エラー判定を抗議しとるんだろう。佐久間さんにそういう発想はない。これはたぶん秋時の発想だ」
「大沢がわざわざですか ?」
「さっきの打球はとんでもない跳ね方をした。あんなの捕れるのは西崎くらいだ。鴻野だって、マトリックスの蒼野だって無理だろう。あれはエラーじゃない。結果的には国分のスリーベースだ。プロとして捕れるイレギュラーバウンドを逸したのならエラー判定でいい。だがあんなの誰だって捕れん。エラーというのは、選手のミス。ミスをしていないのにエラー判定はおかしい ……という抗議をしとるはずだ」
「そんなの抗議しても無駄では ……そもそもノーアウト三塁に変わりはないですよね」
「結果なんてどうでもいいさ。“エラーじゃないと確信しているぞ ” っていう監督の思いがチームに伝わるだけでいい。“ 稔成はミスをしていない ”って事を、監督は体を張って主審に主張する ……これは監督として重要な仕事でな。こんな事でチームの絆は深くなったりするものなんだ。さらにいきなり招いたピンチにちょっとした間が作れるし、マトリックスの気勢を削ぐ事も出来る。もしかしたらしろくまのどんよりムードまで変えてしまうかも知れん。この抗議にはいろんな意義がある」
「それを大沢が ?」
「たぶんな。俺が監督の時も、似たようなことが何度もあった。突然やって来て “ 抗議しましょう ” ってな。あのバカは昔からそんな事ばかり考えとる」
・・・大沢らしい
試合が再開された。
2番、神田が3球目のツーシームを右方向におっつけた。
一二塁間のゴロ。
弱い打球。
国分がホームに突っ込む。
マトリックス先制か …
コータの動き出し …ダッシュ …
・・・はやっ
相変わらず打球のバウンド無視の動き。
見事な足捌き。
捕球と同時に右手首だけで、矢のようなバックホーム。
送球する体勢もめちゃくちゃ。
・・・セカンドの申し子健在だな
グランドを這う白球。
国分が頭からホームに飛び込んで来た。
サウスポーの京川は追いタッチになるが …
低い体勢から流れるような捕球 …無駄のない冷静なタッチ。
主審がガッツポーズのように右手を握り締めた。
「アウトッ !」
一瞬の静寂 …そしてスタンドが爆発した。
マウンドの草薙がコータを指差した。
エースに親指を立てて、振り返ったコータがトシに向かって拳を突き上げていた。
「ワンナウトー ! 」
京川が両手を上げて、体全体を伸び上がらせるようにして叫んだ。
「ワンナウトー !」
呼応するしろくまナイン。
・・・空気が変った
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます