風薫る秋(とき)  “あぶさんと呼ばれた男”の裏側

t@ke

 プロローグ

 部屋に帰るとコーヒーばかり飲んでいる。

 

 そのくせ、その都度一杯ずつ、ペーパードリップする。

 何杯分もまとめて淹れることはしない。


 とはいっても、かなり大きめのセラミックマグカップを使っているので、一杯分はスタバなんかで見かけるデミカップの倍ほどの量になるだろうか。


 ペーパーフィルターに通常の二杯分ほどの豆を入れ、ゆっくりとお湯を垂らしていく。

 それこそ浸透させるような感じで、4、5回にわけて入れる。


 豆はマンデリンかグアテマラベースで、お店の深煎りブレンドを選ぶ。

 甘味や酸味より苦味重視。それは昔から変わらない。

 

 週末に近所のショップで500gづつ買ってくる。それがちょうど一週間分。

 それ以上の量を買うと、飲むまでに日が経ち過ぎてコクが薄くなる・・・気がする。


 コーヒーを入れたら、1分待ってから3分で飲み干す。

 これが一番美味く飲める温度。

 これも昔から変わらない。


 それほど、こだわりのある性格ではないつもりだが、コーヒーの飲み方はずっとこうだった。

 結局、豆の量も水の量も適当なのだから、いい加減なものだ。

 だいたいコーヒーの味なんて、その日の気分や体調でうまいと思える濃さや温度は変わる。

 だから自分なりの、うまいと思えるルールがあればいい。

 できるだけ、同じように淹れれば自分の体調や気分と向き合う事もできる。

 

 ソファに座り、ゆっくりと黒い液体をすすった。


 ・・・どうにか間に合った


 明日、ひと月ぶりに休める。

 もし休めなければ、月に一度しかない娘とのデートが飛ぶところだった。




 ゴミ収集場連続放火事件。

 

 三ヶ月間で同じ収集場から4度火災が発生した。

 特に怪我人もなく、公園の木を焦がし収集場の防護ネットを燃やした程度の小さな事件。

 

 手口は灯油を染みこませた新聞紙を、丸めてゴミ袋に入れ収集場で火をつけた単純なものだった。

 小学生でも思いつきそうな犯行だ。

 しかし、単純だからこそか捜査は予想以上に難航した。

 

 このチンケな事案の解決にひと月も掛かった。

 更に報告書の作成にも半月を要した。

 

 とにかく書類が膨大な量になった。

 4度に渡る火災に加え、被疑者の精神鑑定が行われた。

 それだけで自ずと紙の枚数は随分と増える。

 

 診断結果は重度のうつ病。

 結局、不起訴。

 何一つ報われる事のない仕事だった。

 

 

 犯人はその街の町内会長だった。

 十年前からずっと会長を続けている、一人暮らしの76歳の男性。

 いわゆる人に頼まれたら断れない性格で、大人しいお人好しタイプ。

 地元の信用金庫を定年まで勤め上げた、実直な男だった。

 


 ここ数年、カラスの住処となった緑地公園脇のゴミ収集場は、いつも荒れ放題だったという。

 毎回、散乱したゴミを収集する作業員から、苦情の報告を受けた市役所の清掃事業課は、町内会長にゴミ収集場の管理指導を行った。

 

 同時期に公園の近隣住民からも、会長のところにクレームが相次いだ。


「会長さん、あれじゃあ不衛生で困りますよ。なんとかなりませんかねえ」 


 76歳の町内会長は、単身カラス退治に乗り出した。

 

 生ゴミや燃やすゴミを出す日は、早朝4時から収集場を見張り、近づくカラスを竹箒で追い払った。

 カラスとの戦いはひと月以上続いた。


 カラスは会長が姿があらわすと、公園から出てこなくなった。

 ゴミ収集場は徐々に治安を取り戻していった。


 会長はすっかりゴミ収集場の管理人となってしまった。

 ある朝、ゴミの分別ルールを守らない主婦と言い争いになった。

 会長はその主婦に向かって竹箒を振りかざしたと言う。

 

 この頃はすでに心を病んでいたのかも知れない。


 そんなトラブルを聞きつけた捜査員が、参考人として本人に聴取を行った。

 しかし会長は放火の件は、知らぬ存ぜぬを決め込んだ。

 

 近隣の防犯カメラの記録を見ても、会長の足取りは犯人である事を示していたが、頑なに否認を通した。

 実際、ゴミの分別違反の取り締まりや、カラス退治の為に、会長が夜中に公園近辺を巡回する姿は近隣住民にも、何度も目撃されていた。

 だからカメラに映っていても、決して不自然な行動とも言えなかった。

 会長を犯人とする証拠も目撃者もなく、捜査は暗礁に乗り上げた。


 そんな矢先に会長があっさりと自首して来た。


「やっぱり犯人の方がマシです。犯罪者が町内会長を続けるわけにはいかないでしょうからな」 

 

 会長は爽やかに笑って、捜査員に頭を下げた。 


 


 2杯目のコーヒーを片手にテラスに出た。


 そこに一脚だけ、木製のロッキングチェアが置いてある。


 それに身体を埋めて、飲むコーヒーが特に美味い・・・ような気がする。


 本当はテラスなんてたいそうな代物ではないが、祥華はそう呼んでいたので俺も真似てそう呼ぶことにしていた。


 3LDKマンションの6階。

 そこから眺める景色は、何ら特徴もない南洋の街並みだが、何となく好きな光景だった。


 週末の夕暮れ時、どこかから少年たちの歓声らしき嬌声が聴こえる。


 2キロほど先に、くだんの緑地公園が見渡せる。

 上から眺めるとまるで森のように、樹木が鬱蒼と茂って見える。


 この漠然と好きだった長閑な風景も、その片隅で心が折れるまでひとり悶々とゴミの管理に明け暮れた男の悲哀が蹲っていたのだと思うと、これまでとは違う色合いが帯びてくる。


 だが、まだ彼には確実にツキがあった。

 もし、ゴミ袋の炎が住宅に燃え移り、子供の犠牲者が出ようものなら世間もマスコミも大騒ぎとなり、放火犯は極悪人扱いされる。

 これまでの誠実、親切、勤勉の人生なんかが全て否定されたはずだ。

 精神鑑定の結果にも納得してくれない。

 不起訴なんてもっての外だろう。


 まあ、なんともやり切れない結末だったが、この街で起きる事件なんて、所詮この程度。


 健全な街、清潔な街、平和な街。


 そして市民が、愛してやまない〝しろくま〟の街。


 それがここ南洋市だ。

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