第67話 近代兵器

 興奮して寝つかないゴブリン達を寝かせる為に俺がアリヤとベルを抱きしめ、シーはスライム君に包まれるように寝ている。

 見た目がそのまま捕食シーンにしか見えないのだが……。


 そのままゴブリン達と明日はあれしよう、これがしたいという話を聞いていく内に話疲れて眠りについてくれたので助かった。


 朝を迎えるとリザードマンの一人が拠点へとやってきた。罠を幾つか仕掛けておく為にこれから自分を含めた数名が出発するとの事。

「気を付けてね。何かがあったらまず逃げるんだよ」

「わかっています、それではまた後程」


 彼らを見送り、拠点の中を覗くとまだゴブリン達は寝ているようだ。

 俺も寝直そうかと思ったのだが、水路と水門、水の排出量を見ておこうと思いついたので、気のまま散歩に出る事にした。


 朝の空気が冷たく心地よい。更には普段忙しそうにしている人達も今日は見えない為、周りは一層静かに感じる。その中で澄んだ空気を胸一杯に吸い込み、大きく吐き出すと少し贅沢な気持ちに浸れる。

 早朝という時間を満喫しながらくだんの場所へと向かっている最中に声をかけられた。


「ホリィ? 今日は早いわねェ。どうしたの?」

「おはようラヴィーニア、うんちょっと目が冴えちゃってね、水の様子を見に行こうと思って」


 彼女達三姉妹は、昨日の酒宴の際に休んでいて参加は出来なかった。

 どうやら今日の朝から漁を行うという事で、参加する為にと時間を合わせて休んでいたようだ。なので彼女達は唯一この拠点で天ぷらを食べられていない。


 流石にそれは申し訳が無いので今日の漁の結果で再度振舞おうとは思っている。


「ならァ、一緒に行ってあげるゥ。フフフ、二人っきりなのも珍しいわねェ」

「それもそうだね、まぁ行く先が余り色気のない場所だから残念ではあるけども」


 二人並び昨日の酒宴の事や、その後の風呂の事を話すと彼女は面白がっていたが、熱いのが苦手なアラクネ達は基本サウナを使わない。

 お湯に浸かる事すら未だに抵抗を見せるようなので、体の構造的な何か理由があるのかもしれないな。いつも無理はしないようには伝えている。


「それにしても、結構人が増えてきたね。ラヴィーニア達が来た時はゴブリン君達やペイトン達にポッド、あとゼルシュ達しかいなかったし。まだまだ増えるだろうなぁ」

「フフフ、皆毎日楽しそうよねェ。次はどんな種族が住み着くのかしらァ」

 オーガ達とはああなってしまったけど、それでも全部が全部戦い合う訳でもないだろう。亜人達もどうなるかはわからないけど、猫人族ともうまくやれてると思うし。


 そうして話をしている内に噴水の近くまでやってきた。

 水量も昨日と然程さほど変わらず、首飾りも澄んだ水を滾々こんこんと生み出して噴水の頂上から流し続けている。この辺りにやってくると、ただでさえ涼しい朝に更に気温が低いと感じるほど冷たい空気が吹き抜ける。


 魔石の方も問題はないみたいだ。

 後は止まるまでにどれだけの時間が経っているかが問題かな? 止まるような気配があまりしないけど……。

 魔石の方をじっと見つめていたら、後ろから覆いかぶさるようにして抱き着かれた。

 パーカーの感触が懐かしい。あれ? そういえばいつの間にかコレを返してもらう事を忘れていたが……、まぁいいか。

「ここ寒いわァ」

「そうだねぇ、この辺は特に冷える気がするよ」


 前に回された腕のパーカーの袖口から出ている外骨格の鋭い手を触ってみると冷たく、まるで刃物のようにも感じる程に冷えている。

「あらら、冷たいね。うーん」


 俺はそれ程寒い訳ではないが彼女にはどうやら厳しい物があるようだ。

 自分が寒い時にするように、目の前にある少し鋭さのある手の片方を両手で包み込み息をかけたりして暖をとってみる。

「フフフ、あったかいわァ。じゃあこっちはァ……、エイッ」

「ヒッ」

 掛け声と共に、着用している服の裾から中へともう片方の手を入れられた。

 その冷たさに変な声を出してしまったのが多少恥ずかしい。

「急にはやめてよ、心臓に悪いなぁ」

「プフフ、『ヒッ』だってェ……。でもォ、あったかァい」


 さわさわといった様子で撫でられるが、こちらとしては冷たい刃物が服の中であちこちピタピタしているような物なので、冷たさが一層感じられる。


「まぁ、暖かいならそれでいいか……」

「フフフ、ホリィ? 新しい種族が来てもさァ……」


 彼女が俺の肩に顎を乗せるようにして耳に語り掛けてくる。

「ホリをこんな風に玩具にしていいのは私だけよねェ」

「フフ、そうかもね。……あ、でも新しい種族だけじゃなくて、ここに住んでいる子も酒で酔うと人が変わる子多いから解らないなぁ。よく遊ばれてるしね」


「それもそうねェ」

 クスリと笑いを零して、彼女はそう呟いた。


 そして俺達がそんな談笑をしている時に、後ろからこの空間をぶち壊す声がする。

「おい、ホリ。貴様、姉様に何をしている……!」

「おい、ラヴィーニア。どうやら決着をつけないといけない時が来たようだな」


 シスコンと白銀のケンタウロスが現れた! 

 俺達は逃げ出した! しかしまわりこまれてしまった!!

 俺がシスコン警察に御用となり、ラヴィーニアはアナスタシアとわいのわいのと声を掛け合っている。


 その騒ぎのまま拠点に戻り、アナスタシアも加えてスライム君の朝御飯を頂いた。

 まだだいぶ早い時間だが、そろそろ出発に向けての準備も進めておこう。

 朝の剣の稽古は今日は無しという事になった、時間の余裕もないから。


「今日も天気が良さそうだ。暑くなるかもしれないから、水分を忘れないようにしておかないとね。川の水は飲むとお腹壊すかもしれないし」

「ハイッ!」

「ああ、そうだ。スライム君、ちょっと用意しておいてほしい物が……」

 彼にいくつか頼み事をして、荷物を纏めているといきなり拠点の近くに二人の人影が現れた。

 片方はよく見知った顔である魔王のムスメ。そしてその隣にいる途轍もない美人が独特の空気を纏って微笑んでいる。アナスタシアやラヴィーニア、他の子達も美人が多い魔族の中でも、何かちょっと違う気配のような物がする。


 髪は群青に近い青の、腰まであるロングヘアー。目は結膜が黒いが瞳が赤い宝石のようで、肌は白い……。顔立ちはムスメによく似た美しい人だ。彼女達はお揃いのワンピースを着ているのだが、そのワンピースも見覚えがある。正確にはそのワンピースの素材に使われている布地。


 昨日魔王に渡したアレか……? それにしても一晩で作り上げられる物なのだろうか。彼女達は俺に気付くと、片方は深く頭を下げて挨拶をしてきて、もう一方は軽く手を上げてきた。


 そして俺がそれに倣い頭を下げると、彼女達のすぐ近くに今度は魔王が現れた。


「む? 少し遅れてしまいましたかな? おお、ホリ殿! 今日はお世話になりますぞ!」

 魔王が手を振りながらこちらに歩んでくる。


 そして彼の後ろについて、ムスメとその女性が近くまで来るのだが……デカい! 色々がデカいよ!!

 俺より背が高く、更に何とは言えないけど、ワンピースの中から主張している物がデカい! こいつぁ大物ですぜぇ!!

「おはようございます魔王様。丁度こちらも準備を終わらせた所です。それでそちらの方はもしや……?」

 ちらりと拠点の方を見ると、俺以外の全員が跪いて頭を下げている。

 トレニィアはまだわかるけどあのアラクネの姉二人が跪いているだと!? トンでもないレベルの大物か……!! 


「ええ、紹介しましょう。私のツマです! 昨日頂いた生地を見せたら是非お礼がしたいと言ったので、連れて参りましたよ!」

「初めまして堀井様。いつも夫がお世話になっております、魔王のツマです。兼ねてより挨拶を、と思ってはいましたが今日まで遅れてしまった事を始めにお詫び申し上げます。このような上質な布を頂戴でき、是非お礼を直接言わせて頂きたく参りました」


 彼女は深く頭を下げてそう挨拶をしてきた。

 こちらも魔王に普段からお世話になっているのだ、失礼があってはいけない。


「初めまして、今はホリと名乗らせて頂いてます。お気に召して下さったのなら幸いです。それと、そちらの布はあちらのアラクネ達や、ここに住むオークの努力の賜物ですので、彼らにもそのお言葉を賜れるのなら何よりの励みになるかと思います」


 彼女は俺の言葉を聞くと、微笑みながら頷いた。目を奪われるような感覚というのだろうか? 先程からは大分和らいだけど、それでも何かふと意識を囚われる感覚に襲われるのは何故だろう?


「ええ、私の言葉で宜しいのでしたら幾らでも労おうかと思います。荒んだ心を優しく包み込んでくれるような優しい肌触りと美しさ、ムスメも気に入っておりますわ」

「ママが職人にソッコーで作らせたんだ! 凄かったんだぞ!」


 手を握りブンブンと振りながら話すムスメを窘めるツマ。優し気な笑みを見せているが、魔王をボコボコにした人なんだよなぁ……。


「ホリ殿、ホリ殿……」

 魔王がヒソヒソと耳打ちをしてくる。


「どうされました?」

「気を付けてくだされ。ツマは夢魔と言われる魔の血が流れております。人間の貴方では抗うことは難しいですぞ」

 彼は先程から俺が感じていた感覚についての解答を出してくれた。

「ええ、実は何やら意識を持っていかれるような……。大丈夫なんでしょうか?」

「? おかしいですね……。ツマの魅了の威力はそんな軽度で済むような物でもないのですが……」

 俺と魔王がヒソヒソと会話をしていると、後ろからツマが口を開いた。


「それについては、多分ホリ様の腕輪が関係しておりますわ」

 ニコニコと美しい笑顔で俺の手首を軽く揃えた指先で示している。

「コレ……ですか?」

 俺が指で右の手首にある腕輪を指差すと、彼女は軽く頷いた。

「ええ、その腕輪が精神支配などの外的要因を弾いているように感じます。破邪の力がある、と言った方が分かりやすいですかね」

 それを聞いた魔王が合点がいったようで、大きく頷いた。

「成程! しかしツマよ、ホリ殿相手にそれは些か失礼に当たる。引っ込めないようなら流石の私も怒りますよ?」


 その言葉を聞いたツマが焦りの色を見せるように表情を変えて、魔王の腕をガッと勢いよく掴んだ。そして、掴まれた腕からあまり出してはいけない音がする。


「違うの! 最初にホリ様の顔を見るまで人間だという事を失念していて、無意識に出ていただけなの! 催淫しようなんてしてないわ! 信じてアナタ!」


 ギリギリギリと、万力が何かを潰すような音がする。そういえば確かに先程までの変な感覚は無くなっている。最初に感じた違和感も消し飛び、彼女を見ていても何かに囚われる感覚もない。


 意外と役立つ時も来るかもしれないな、腕輪。


 魔王の表情を見ると、歯を食い縛りながら笑顔を浮かべ、多少汗が噴き出ているように見える。


 頑張れ、旦那ガンバレ。

 決してリア充爆発しろの精神から来るものではない、決して。


「お、おぉう……! ツマよ、信じているから手を……!」

「ホントッ!? 本当に信じてくれるわね!?」

 ギリギリと続く魔王の体からの警告音と噴き出る汗。

 彼のここまで苦しんでいる姿を見るのは、何時ぞやの宴の席で酒豪パメラに挑んで敗れる直前の時だけだ。ツマすげえ。

「ママの愛、すげー!」

 ムスメは彼らのやりとりを見て、キラキラと目を輝かせ弾むような声色でそう言った。ああ、悲しき誤解がこうしてまた生まれていく。


 彼らを止めるのは他者を魅了する魅惑のボディ。

 言葉を話す事なく、ツマの腕をポンポンと叩いて窘めるスライム君だ。


 彼が自分に視線が向くと、伸びた触手で俺を指し示すとツマも我に返り、慌てて頭を下げる。

「す、すみませんホリ様の前だというのに……」

「いえいえ、魔王様と仲がよろしいんですね。良い事だと思いますよ」


 強大な力から解放された腕を擦りながら魔王が笑顔を取り戻し、準備が出来ているのでそのまま出発という事になるのだが。

 まさか俺達の拠点に魔王一家大集合していると露とも思っていなかった他種族の人達はそれを見るなり跪いていく。やり取りが長いので、魔王一家には先に目的地へと向かってもらった。

 道案内としてペイトン一家、ボディーガードとしてアラクネ三姉妹を同行させておく。何せ珍しくガチガチに緊張しているアラクネ三姉妹を見るのが面白かったからだ。三人からはかなり睨まれたが……。


「何で魔王様の奥さんにあんなに緊張してたの? 魔王様の時より緊張しているように見えたんだけど?」

 隣を一緒に歩くアナスタシアへと話を聞く。彼女も緊張していた内の一人だ。

「魔王様は比較的お目にかかれる事も多い、戦争時などもそうだったからな。だが彼女は違う。滅多に人前に出てくる事など無い、あの美しさも相まって魔族の神秘のような御方だからな」

「そうです!!」

「うわっ」


 俺とアナスタシアの後ろから、幾人かの男性達が後ろから大きな声をかけてきた。

「魔族の男で、あの御方に心ときめかなかった者はいません! 全ての魔族の男の初恋はあの方と言われる程ですからな!」


 彼らは鬼気迫るように叫んで自分達の経験談を語る。

 幼少の頃に見て恋い焦がれた、魔王軍に入った際に激励され恋い焦がれた等。

 腑に落ちない点があるので、それを聞いてみる。

「うーんと、美人だったのは確かにそうだし、雰囲気とかで圧倒はされたけど……。綺麗とか可愛いとかで言うなら、アナスタシアやラヴィーニアとか、うちの拠点にはそういった美人が多いじゃない? 何か違うの?」

「むっ……!?」

 俺の発言を聞いてこちらを注視してくるアナスタシアは置いておいて、彼らは声高に笑う。

「フハハハハ! 解っていませんなホリ様! ウォックやアラクネ達と比べるのも烏滸がましい! 金や銀や銅、鉄を比べている時に宝石を並べないでオゴッ!!」

 力強く説明するように顔を近づけてきたケンタウロスの男性が言葉の最中に、顔面が歪みながら目の前から消え、肩を強く掴まれ振り向かされた。


「ほ、ホリッ! 今の言葉は本心か!?」

「え、あ、うん。本心だけど」

「そうか……! うんうん、そうかそうか……!」


 よくはわからないが、うんうんと何度も頷きながらぶつぶつとやっている彼女の手から解放されると、またがしりと今度は腕を掴まれた。

「ホリ様、私、私は王妃様と比べてどうでしょうか?!」

「ウタノハ? えっと……、負けない位可愛いと思いますけど……。」

 記憶の中にある顔は美人というか可愛い感じだったな。といってもそれほど見た覚えもないからうろ覚えなのだが。

「そうですか……、フフフ、そうですか……!」

 頬を両手で押さえるようにしながら身を捩っている彼女、一体何だというのか。


「ホリ様、ホリ様……」

 一人のケンタウロスが小声で話しかけてくる。彼は殴られたような痕と、鼻と口から多少血が飛び出しているのだが、大丈夫だろうか?

「どうしたの?」

「まずいですよ、王妃様は我ら魔族全体の憧れなのです。男にとっても、女にとっても憧れの。そんな事を貴方が言っていると知られたら、拠点の女全員に今のように自分はどうなのか? と質問され、面倒な事になる上に王妃様を敬愛する連中からしたら敵対発言のような物です。それに魔王様も自分の妻が相対的に大したことはないと言われている気にならないとも限りません」


 ああ、そうか。それは確かにその通りだ。

「うぐっ、確かに浅慮な発言だったよ。教えてくれてありがとう……。薬草汁つけとこうか? 痛そうだし」

 忠告をしてくれた彼に薬草汁を塗りながら周囲を確認すると、確かに俺の発言で色めき立つ者と、そうではない多少むっとした表情を浮かべている者。


 これは確かにあまり良くないな、考え無しの行動だった。反省せねば。

「どうしようかなぁ、これで険悪になられても困っちゃうな。言ってしまった手前あれだけど、何とかする手立てはない物かな……」


「ホリ様、こう叫ぶのです。『ムスメがナンバーワンだけどね』と。事なきを得ます。大事な別の何かが無くなる可能性が大きいですが……!」


 つまり、『小さい子が好き』という道を取れと。

 それは厳しい、僅かばかりしかない信用が跡形もなく吹き飛ぶ危険性すらあるぞ。

 余りの選択肢の狭さに冷や汗が背中を伝う。


 魔王との関係もある、敵対するような発言は避けるべきだ。だが流石に公然と『その道好き』を公言するのは厳しい、厳しすぎて眩暈がする。

 そんな時、俺の足元へと神が救済の天使を与えてくれた。


 そして俺は声を張り上げて主張した。

「よしわかった、俺が思う最高に綺麗で可愛いナンバーワンを今発表しよう!」


 ざわり、空気が変わる音がする。


「俺が思う最高に綺麗で可愛いナンバーワンは……この子です!」

 俺が頭上に掲げた者、それは見惚れる程の魅力を溢れ出させるボディ、穢れのない透き通った肌、完璧なフォルム。


「それは……スライムですね……」

「スライム君です。彼がナンバーワンだ!」


 白けるように一気にトーンダウンする一同、そんな中ある方向から大きな笑い声が聞こえてきた。

「ハッハッハ! ホリ殿、流石に彼らはそれでは納得しないようですぞ! さぁ、恥ずかしい性癖と共に誰が一番可愛いかを告白するのです!!」

「アナタ、余り困らせてはいけませんよ。ホリ様、私の心象など気にせずどうぞ。誰が一番可愛いか彼らに教えてあげて下さい?」

「スライムが可愛いのはわかるなー。ハマると抜け出せないミリョクが……」

 笑顔で俺達を迎えるようにして魔王一家が勢揃いしている。そしてその近くでは気疲れから解放されたからか、多少俺達が来た事にほっと息を吐くペイトン達とアラクネ姉妹が。


「あれ? 目的地はもう少し先では?」

「ああ、ツマはあまり体力が無くてですな。少々歩かせてしまったので、ここで休憩をしていたのです。馬車などもありませんからね」


 ああ、気が利かなかった。

 やんごとなき方にこの距離は確かに辛いだろう。

「すみません、気が利きませんで。何か御用意しておくべきでしたね」

 木陰に座り込んでいるツマは口角を上げて首を横に振り、手に持っていたカップの中身を飲み込むと勢いよく立ち上がった。

「いえ、少々寝不足だったものですから。体力的にはまだまだ余裕ですわ。この人も少し過保護なところがあって困ってしまいます」


 そう言いながら魔王の横に寄り添うようにしている。寝不足ってアレか、鉱石粉の布地がそれほど気になったのだろうか? 気に入ってくれているようならいいのだが。


「魔王様も奥様への愛をよく語っていましたから。過保護なところは愛情から来るものでしょう? 羨ましい関係性ですね」

「まぁ、ありがとうございます。そう言って頂けると嬉しいですわ」

 俺とツマの会話の中心で、多少照れの色を見せている怖い顔は仕切り直すように柏手を一つ打つ。

「さ、さぁ行きましょう! まだ朝は早い、今日は心ゆくまでツリとやらを楽しんでみせますよ!」


 そう言いながら歩き始める彼に多少声の音量を落として密かに声をかける。

「まずかったですか? すいません変な事を言ってしまいましたね」


 魔族の王は前を見据えて堂々と肩で風を切っているのに、小さく口を開き、その口の大きさに見合うだけのか細い声で俺の言葉に返してきた。


「いいえ、むしろナイスです。ツマは自分の知らないところで私が愛のアピールをしている話を聞くとテンションが上がります。恐らくこれで機嫌は完全に回復したでしょう。ホリ殿、あとで酒を追加で送らせて貰いますぞ……!」


 大の男が二人、前を向きながらヒソヒソと話をしている。傍から見るとこれはどうなのだろう……。


 そうこうすると川のせせらぎの音がする。今日は少し日の光りも強く感じられ、それなりの距離を歩いた事により汗も掻いている。

 涼やかな音が聞こえてくるだけでも気分は変わる物だな。


 目的地付近には既にやる気という物が満ち満ちている朝の早い種族、リザードマン達が一堂に会していた。

 彼らは魔王一家を視界に入れると凄まじい速度で頭を下げて代表としてト・ルースが頭を上げた。

「両陛下、そして王女様。本日はようこそ御出でくださいました」

「うむ、リザードマン君。今日はお世話になる、よろしく頼みますよ」

「貴方は以前にも話をさせて頂いたわよね、アレはどれほど前だったかしら……」


 魔王とツマ、そしてト・ルースが何やら話を始めてしまったが……。

 今のうちにこちらは準備をしておいた方がいいな、鞄から釣り竿出しておくとしよう。後は捕まえた魚を入れておく為の水槽を乗せた荷車。

 そういえば釣りで捕まえた魚だと弱ってしまうかな? 後でリザードマン達に聞いてみよう。


 ハーピーの羽根を使って作った毛鉤を、アラクネ達協力の元出来た釣り糸につなぎ、釣り竿に結び付ける。

 割と良く出来ているな。これはイェルムの羽根か? ここまで鮮やかな黒の色を出せるのは彼女くらいの物だし。


 よく考えたらズルい組み合わせだ、糸は切れない、針は折れない、釣り竿も勿論折れる訳がない。魚が食いついたらほぼ勝ちみたいな条件だ。根掛かりしたらどうなるんだろうか、あまり考えたくないな。


 魔王達はまだ話をしているし、使い勝手だけ試してみるか。

 改めて川の全体を眺めると素晴らしい景色だな。

 川の流れは割と早いが、川幅が広くて水が透明という訳ではないがむしろ空の青さを映し出すように輝いていて、触ると冷たい。

 それに植物全てがここの周辺は特に瑞々しい。そして木々の間から見える白銀の山。

 良い場所だ。


 釣り竿を振うと、川の中頃まで針が飛んでいく。

 毛鉤に重りを付けておいて正解だったな、作り始めの時はかなり苦戦したけど。


「ホリ、何してんの?」

 大人達の会話に飽きてしまったのか、ムスメがやってきて俺の行動に疑問を浮かべている。

「これは釣りと言われる物です、魚を獲るのに川へ入ってもリザードマン達のように獲れないでしょうからね。針に餌を仕掛けたりして魚が食べたのを釣り上げるんです。はい、どうぞ」

「エッ、なになに」

 俺は持っていた釣り竿をムスメへと渡すと、彼女は釣り竿を両手で握り締めて困惑している。ムスメもこれでやんごとなき身分だからなぁ、釣りなんてしないだろう。

 焦っている彼女もレアだな、余り話す機会もなかったけど。


 彼女の目線の前へ、ハーピーの毛鉤を置く。

「これが今ムスメさんの持っている釣り竿の先についていて、釣り竿を使ってうまく虫のように見せるっていう仕掛けですね。普通の餌の方が成果は出るかもしれませんが……」

「ツリザオを使って? どうやるの?」


 俺も素人だから解らないけど、以前に友人がやっていた映像を想い浮かべつつ、竿を上下させたり等々説明をしていく。

「フーン、地味だね」

「まぁ、地味なんですけどね……」


 彼女は釣り竿を上下させていたりしているのだが、再度困惑するように首を傾げた。

「ホリ、何かさっきと違ってツリザオがビクともしなくなったんだけど」

「あら、もう根がかりしちゃったか。ちょっと待っててくださいね、糸辿って針を外してもらいましょう」


 作った針に返しはない、バーブレスと呼ばれる奴だ。外しやすいと思うしリザードマン達に協力してもらった方がいいだろう。力づくで外すと危ないし。


「ホリ、これさぁ」

「うーん、リザードマン達は動けそうにないか……、ちょっと待った方がいいかな」


 彼らはまだ魔王とツマとの談笑中のようだ。邪魔をするのは控えた方が良いだろう。

「ホリ、ホリ。何かツリザオがおかしいんだけど」

「ええ、それは根がかりといって針が何かに……なんじゃそりゃっ!!」


 彼女が懸命に両手で支えている釣り竿の、その先から見える糸、それが縦横無尽に走り回っている。

 その糸の先が続いている水面を見ると大きな水飛沫をあげてちらちらと光る姿を見せていた。

「ムスメさん! 魚、魚来てますよ!!」

「えっ、えっ、どうするのコレ?」


 糸の続く限界の範囲であちらこちらと泳ぎ回る魚、糸が切れたりはしないだろうけど、それでも見ていて不安になるほどの大きさと力強さを感じさせる。

「オモッ! 何コイツナマイキなんだけど!! 川ごと吹き飛ばしてやる!」

「それはやめて」


 唸るようにしながら竿を引っ張り、体を捻るようにして負けじと力勝負をしている彼女。ゴブリン達もいつの間にか来ていて、横で応援をしている。

「王女様、ガンバッテ!!」

「気合ッ! 気合デスヨ!!」

 ベルやアリヤがそう声をあげていると、ムスメの異変に気づいた魔王達もこちらへと急いでやってきた。

「ムスメよ! 魔族の王の一族として負ける事は許されませんよ!」

「ムスメちゃん、ファイトよ」

 という両親からの応援に応えるように小さな体を精一杯使うようにして竿を立てて頑張っている彼女。


 しまったなぁ、そういえばリールのような物がないから手元に引き寄せる事が出来ない。どうした物か……。


 そうだ、無ければ作ってしまおう。

「ラヴィーニア、網ってすぐに作れる? 糸はここにいっぱいあるけど!」

「? え、ええェ。すぐ出来るわよォ?」


 すぐに作るように頼み、こちらは鞄から以前にアナスタシアと作った笹歩槍を取り出して、まずは穂先をハンマーでぺちゃんこにしてしまう。

 そして平たくなった穂先にツルハシで穴を開けて完成。手抜きだが、とりあえずこれで何とかなるだろう。後は……。


「おし、ラヴィーニア。大急ぎでその網でこの穴を塞いでくれる?」

「よくわからないけどォ、わかったわァ」


 シュルシュルと音を立てるように網が巻き付くと玉網、タモの完成!

 丁度いい具合に網にもゆとりのある感じだし、一時的な物としては充分だろう。


「ムスメさん、これで魚を掬うので手前側まで引き寄せられますか?」

「ええっ!? ウン、わかった。ヤってみる!」

「ホリ、それなら俺がそれを使おう。水場なら俺の方が力が出せるし、濡れようが問題もない。任せて欲しい!」

 ゼルシュが気合の入った目を向けてこちらに手を差し出している。

 心強いな。こういった事に関してはリザードマン達に任せよう、間違いなくそちらの方がいい結果になるだろう。

「頼んだよ」

「ああ、任せろ」

 彼にタモを渡すと水の中に膝まで浸かり、そしてまるで武器を構えるようにして網のついた棒を構えている。いや、元は槍だったんだけどさ……。


「ムスメさん、気合を入れてこちらまで魚を引っ張り込んで下さい。準備は出来ましたよ」

「おおっ? ヨーシ、見てろよぉ!」

 俺の声を聞いた彼女は持っていた竿を、そのまま後方へと体を逸らすようにしながら振り抜く。一気に爆発させた彼女の力に負けて、魚が水面から勢いよく空へと放り出された。


 空へと飛びあがり、日の光りを浴びて輝く巨大な魚がこちらへと向かって来ている。

「ゼルシュ! たまには良い所見せろよ!」

「たまにとはなんだたまにとは! 任せろ!」


 その勢いのまま魚がこちらまで飛んできてくれるような事はなく、途中で失速するように落ちてきた先はゼルシュの目と鼻の先。

 彼は魚が着水すると同時に手に持っていたタモを振り抜き、掬い上げられたその網の中には見事なサイズの魚が捕えられていた。


 その見事な捌きっぷりに、一同から拍手が起きる程である。

 だが当のゼルシュはそれどころではないようだ、理由は捕えた魚。

 活きがいいと言えばいいのか、とにかく網の中から再度逃げ出してやろうという程の暴れっぷり。ゼルシュに任せて正解だった。


 その魚の体は美しく、背びれの方が金色に輝いていて、腹びれの方に特徴的な黒い模様が入っている。その魚を大急ぎで水槽に水を溜めてその中に釣った魚を入れておく。

 水槽に入れると暫くは落ち着かないように忙しなく泳ぎ回り、やがて漂うようにして落ち着きを見せていった。


「綺麗……」

「これは見事ですね」

 水槽の中を覗きこんで、オーガ達やケンタウロス達が感想を述べている。


「釣れた人第一号はムスメさんでしたね。一発目で釣り上げるとは、素晴らしいです。やりましたね」

「コレくらいはな! 次期魔王としてはトーゼンなのだ!」


 胸を張って鼻高々といった感じだが、その後ゴブリン達やスライム君と魚を眺めながら興奮そのままに体験した衝撃を語っていた。


「フフフ、ムスメも楽しめそうですな」

「ええ、最近勉強ばかりでつまらなそうでしたから」


 ムスメ達を微笑ましく眺めている魔王夫妻。そしてそんな彼らにムスメが大きな声で叫んだ。

「パパ、ママ、コイツ飼っていいかな!?」

「ふむ、ツマよ。どうする?」

「いいんじゃないかしら? 城の池も魚が溢れるほどいる訳でもありませんもの」

「ヤッター!」

 という一連のアットホームな家族の会話を聞いていたのだが、城とか池とか、規模は大きい。

「それなら次は名前をつけてあげないといけませんね」

「名前! 名前か!? ウーン、どうしようかな……」

 俺の出した言葉に、腕を組んで頭を捻っている彼女は小さく呟いている。

「金色……、輝いている……、魚……、釣り……、パワー……」


 名前を捻り出すように、この魚の印象や特徴を小さく呟いて頭を抱えている彼女が、小さく息を漏らすとピタリと呟きが止み、真剣な表情を浮かべて俺達に向かって顔を上げた。何か思いついたようだ。


「『魚雷』」

「え?」

「コイツの名前、『魚雷』」


 魔王城に魚雷が搭載された瞬間である。

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