ここにいる、と叫ぶ為に

 2月の時点で公立の小学校に通う事を決め、健常な子ども逹と同じ様な入学準備を進めて来ていた訳ですが、3月に退院した時点でひとつ、問題がありました。それは、4月上旬から3か月掛けて、リハビリテーション入院をするという事、つまり、公立小学校とリハビリテーション病院内にある支援学校、どちらで入学式をするのか、という問題でした。


 これ、正直なところ、わたしはかなり安易に考えていました。入学式が挙行される時に入院していれば、病院の方でいいんじゃないか。その程度にしか考えていませんでした。しかし、がん治療を行った病院に併設された支援学校の先生によると、途中から仲間に加わる事は、非常に困難な状況を生むかも知れない、と諭されました。息子の場合、他の子ども逹に比べ、下肢の麻痺という圧倒的な違いがあり、ただ途中から転校してきた子、と言う訳にはいかないだろう、と言うのです。子どもは優しく、残酷でもあるゆえに、自分逹の仲間では無いものを排斥に掛かる事も考えられる。まして、歩けない子どもはひとりしかいない環境であれば、尚更配慮して置かなければならないでしょう、というのが、支援学校の先生方の助言でした。では、どの様に配慮しておくのか。先生方からは、今後通う事になる公立小学校に入学手続きをし、入学式に参加。その後転校手続きをして、3か月の入院期間を支援学校で過ごすべきでは、という提案を頂きました。子ども逹の心理状態を考えるに、最初に『自分の仲間には、車椅子で生活している子がいる』と認識付ける事が大事で、これから共に生活する同級生の側に、心の準備をさせてあげる事にもなる。その方が、リハビリ入院を終え、戻って来た時に、スムーズに復学出来るのではないか、との事でした。


 改めて、自分の認識の浅さを思い知らされました。マジョリティの中へマイノリティが溶け込んで行く事の難しさ、その準備の為に、様々な人が考え、行動している事実。息子にとっても、わたしにとっても、今後何度でも訪れるであろう『大多数と言う名の未必の故意』の中へ、恐れることなく、しかし備えを怠らず、飛び込んで行かなければならない状況の、その初めの一歩なのだと理解しました。理解し、改めて熟考し、行動するようにしました。


 実際の時系列で言えば、3月の末に息子はリハビリテーションの病院へ入院しました。その為、前日から一時帰宅し、入学式当日を迎えました。行政の教育委員会や学校側とは、何度となく連絡を取り合い、そうした方々の配慮のおかげで、息子は無事、公立小学校の入学式に出席する事が出来ました。


 体育館で行われた入学式は、保護者席から見守りました。教育委員会からひとり、息子の付き添いとして派遣された方に車椅子を押してもらい、入場してきた息子は、満面の笑みでした。整列し、名前を呼ばれ、大きな声で返事をしていました。


 ああ、なるほど。ここにいる、と叫ぶ為に、いまの時間はあるのか。ふとそんなことを思った記憶があります。


 後日、息子に入学式について聞くと、出席しておいて良かったと言っていました。リハビリテーション入院を終え、復学した時、よう久しぶり、と言った感じで戻ることが出来た、と。


 本当に、ちょっとした手間と、ちょっとした配慮だけだとは思うのですが、入学式をどうすべきなのか、それだけで、こんなにも心理状態は変わるし、その事を見越して動いている方々が沢山いる事を、息子にも話しました。


「おれは運がいいな、そんな人が沢山いて」


 息子はそう話していました。


 

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