病室のクリスマス、そして外泊へ

 小児病棟にも、いや、小児病棟だからこそ、クリスマスはちゃんと訪れます。病棟にはサンタクロースもプレゼントを持ってやって来ます。その日ばかりは、食事も豪華です。


 親であるわたし達も、様々なプレゼントを用意して、息子とこの年のクリスマスを楽しみました。息子が産まれてから毎年、それなりにクリスマスパーティーの様な事は、家族三人でしてきましたが、この年程楽しんだ事は、きっとなかったと思います。


 緩いながらも、食べられる物に制限がある中、その日だけは、夕食にケーキが出たことを覚えています。息子は美味しそうに食べましたが、結局、食べきる事が出来なかったと思います。


 これは同時期に主治医から説明された事ですが、抗がん剤の副作用の一つに、味覚の変化があるそうです。好きだった物を、全く食べなくなったとしても、食が細くなったとしても、怒らないで上げてください、との事でした。息子もこの頃の事を振り返ると、食欲が殆ど無く、病院食が食べられなくて悲しかった、と話します。経口内服の薬の苦さ、身体に入っている薬の影響、そのどちらもあるのでしょうが、兎に角、食べたい、とは思わなかったそうです。そのわりに、息子は1日3食の病院食を、かなり頑張って食べていました。これは、この記録の表題にも関わる所なので、また後述したいと思います。


 息子は1、2コースの治療中、何度となく主治医に、クリスマスには外泊が出来るか、と訊いていました。兎に角家が好きな息子は、早く家に帰りたい、と話し、特にクリスマスは家で楽しみたい想いがあったようです。治療の都合上、それが叶わない旨を主治医から本人自身で説明を受け、まあ、それであれば仕方ない、と不満顔ながら頷いた息子。いま思い出すと、この頃から息子は、医師からの説明の殆どを、自分で聞き、分からない事を確認していた様に思います。検査結果の数値データが印字された紙を、医師に見せて欲しい、と言い、アルファベット3文字で表記されたデータの一つ一つは、何を示しているのか、結果として表記された数字は、どの数字が大きくて、どの数字が少なければ健康な状態に近いのかを、熱心に訊いていました。主治医も嫌な顔一つせず、一生懸命説明してくれていました。こうして書き記しながら思い出しても、とても不思議な光景です。


 病棟で迎えたクリスマスと平行して、我々親は、正月に、息子を外泊で家へ一時帰宅させる準備を進めていました。予定は大晦日から二泊三日。主に問題になったのは二つ。ひとつは、お風呂に入れるのかどうか。2コース目終了時点から、入浴の許可は出ましたが、病院での入浴は、機械浴槽を使って、寝たままで身体を洗うところから、入浴まで、全てが出来る整った環境です。当然、自宅ではそうはいきません。また、もし入浴する場合、まだ胸にCVカテーテルがぶら下がったままなので、前述した通り、水に濡らさないような保護処置が必要になります。これは手慣れた看護師さんでさえ、難しいという程、完璧には出来ない物で、濡れてしまった場合、化膿や炎症の恐れが避けられませんでした。


 もうひとつは、排泄の問題でした。尿意、便意の分からない息子は治療中、膀胱内に留置するカテーテルを使って、膀胱に貯まった尿を外へ排出していました。便意に関しては、この時はまだ管理する方法がなく、せいぜい紙オムツを穿いている程度しか対応出来ませんでしたので、ここでは主に尿についての対策を考える必要がありました。留置型カテーテルを装着したまま移動する訳には行かず、また、将来的に見ても、それでは自分で管理が出来ない、息子の自由な生活を阻害してしまう、という主治医からの提言があり、『自己間欠導尿』を覚えていく必要があるのではないか、と勧められました。


『自己間欠導尿』は、それ専用の滅菌カテーテルを、自分で尿道に差し込み、膀胱まで届かせる事で、任意のタイミングで、その都度尿を外へ排出させる方法です。何故そこまでして尿を外へ排出させなければならないか、というと、まず、息子の場合は感覚がわからないので、失禁がある事。しかし、実はこれはまだいい方で、本当に心配されるのは、膀胱の収縮が起きた時の、尿の腎臓への逆流でした。老廃物、体内の毒素の塊である尿が腎臓へ逆流する事で、腎臓へ大きなダメージとなった場合、腎不全を引き起こす、というのです。そもそも、息子は治療の初期段階で、腎臓へのがんの一部転移が認められていました。また、強い副作用を伴う治療薬を受け、分解、不要な物の排出を行っているのも腎臓です。そう考えただけでも、既に腎臓には相当の負担が掛かっているはずでした。腎不全は、それ自体で死に直結する病です。身体の健康を考えるならば、自己間欠導尿を習得する事は、必須と言えました。


 とはいえ、この時の息子にはまだ、自分で導尿の手技を習得するだけの体力はありませんでした。自己間欠導尿は、基本的には上半身を起こして行うのですが、上半身を起こして、支えていられるだけの腕力もありませんでした。その為、我々親が行う必要があり、外泊に備え、手技の習得を行いました。看護師さんから、兎に角衛生面に気を付ける様に指導を受けました。無菌の状態である尿道へカテーテルを挿入する事で一番心配されるのは、尿道炎でした。この状態になると、インフルエンザ並みの高熱を出す事もあり、体力の無いこの時の息子には、非常に重い症状となりうる恐れがありました。手、指先の衛生、無菌状態にあるカテーテルに、滅菌潤滑ゼリーを塗る手順、手技後の片付けに至るまで、細かい手順で、丁寧にご指導頂き、どうにか習得する事が出来ました。


 こうして、息子も、我々も、自宅に帰る準備を整え、この年の大晦日を迎えたのです。

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