CVカテーテルと抗がん剤治療

 生検手術時、その後の化学療法用に中心静脈カテーテル、と言うものを息子は体内に留置しました。右胸の鎖骨の少し下辺りに、白いチューブ状の物がぶら下がっている状態です。


 殆どの抗がん剤は、このカテーテルを使って、体内に送られました。カテーテルの先端は、静脈内の心臓近くまで伸びているそうで、その為、心臓に負荷が掛かりすぎないよう、使用する薬を選定していましたが、それ以外の物は、基本的にこちらを経由しました。


 抗がん剤治療が長期に及ぶのは、必要とされる薬を、必要な量、ずっと体内に送り続けている訳には行かないからです。現在ある抗がん剤は、がんの特定の細胞を攻撃するだけではなく、正常な状態の細胞も、同じく攻撃してしまう物、なのだそうです。とりわけ問題視されるのが、免疫力の低下でした。免疫力が低下すると、通常、絶対に掛からない様な病気にすら、感染してしまう訳ですから、当然、免疫の数値が下がり過ぎない様に、しかし、治療の効果は出るように投薬を行い、数十日休んで、また投薬を行う、という繰り返しでしか、命を守りながら、命を救う事は出来ない為、長期間の治療を余儀なくされるのです。


 免疫力が低下する事自体は、避けられない物で、一番心配されたのは、ある種類の肺炎でした。通常、この肺炎は、一定の免疫力さえあれば、ほぼ100%、罹患する事はない物との事でしたが、治療中にはそんな肺炎菌にすら感染する恐れのある状態まで免疫力が低下するのです。この為、予防の薬も処方され、こちらは飲む事で対応しました。抗がん剤に加え、その周辺影響に対する為の薬、と、正直「こんなに薬を飲んで(身体に取り入れて)大丈夫な物なのか?」と思うほどの量を取り入れていました。当然、そうしなければならない訳があるから、投薬しているのですが、知識のないわたしには、ただただ、息子は大丈夫なのか?という想いだけしかありませんでした。


 さて、実際投薬に使った薬剤等の話は後述するとして、まず先に、息子の身体に留置されたCVカテーテルの話を書いておこうと思います。このCVカテーテル、治療には非常に便利で、有効なものだな、と思いました。何せ、注射をする必要が無くなるのです。幾ら抗がん剤を体内に入れる為とはいえ、その都度注射をするのでは、子どもでなくても嫌になるでしょうし、子どもなら尚更嫌がる物でしょう。そうした心的ストレスを考慮して、小児の治療にはCVカテーテルを採用する事が多いようです。カテーテルを通して、点滴で入れる、注射で入れる、という方法が取れ、さらに血液検査用の採血もカテーテルで行うことが出来るので、あるとないとでは大きな違いだっただろう、と思います。それでも、息子は、治療前は何でもなかった注射が、治療後、大嫌いになったので、やはり子どもに注射をし続ける事は、相当の負荷になっているのだと思います。


 治療だけでみれば、いい事が多いですが、当然、不便な面もありました。ちょっとした力の加減で、簡単に抜けてしまう事がある事。息子は大丈夫でしたが、病棟の看護師さんの話によると、息子より幼い子は、それがそもそも何なのかが分からず、自分で引っこ抜いて、振り回して遊んでいた事例があったとか。抜けたからと言って、大量出血等しない様に出来ているそうですが、再度留置しなければならなくなるので、その為の手術を何度も受けている子もいる、という様な話を聞かせてもらいました。息子の場合も、一週間に一度は胸から出ているカテーテルの長さを計って、抜けてきてしまっていないかをしっかり管理していました。


 後は、当然ながら水に濡らす訳にはいかない事。治療開始直後は、それ程困る事もありませんでしたが、段々に回復して来て、お風呂に入ろうとした時が大変でした。ラップの様な物で覆い、四隅をテープ張りするのですが、人間の肌なので、ちょっとすると皺が寄る。水はこのちょっとした皺を、ストローの要領で侵襲するので、皺が無いように張らなければなりません。しかし、胸の曲線がある部分ですから、言う程簡単に出来る物ではありませんでした。カテーテルが出ている部分に水が掛かれば、感染症の恐れがありますし、衛生的に保たなければならない。その管理が兎に角大変な代物でした。


 そして、何より、これは大変だ、と思ったのは『ヘパロック』と呼ばれる作業でした。


 カテーテルの先端は静脈内の心臓近くまで伸びている、つまり、血管の中にある訳で、薬剤の投与や、反対に採血により、内側から血液がカテーテル内に入り込む事は当然あります。これをそのままにしておくと、カテーテル内で血液が固まり、詰まってしまうそうなのです。そこで行うのが、抗凝固薬である『ヘパリン』を、定期的にカテーテル内に流す作業で、これをする事で、内側を綺麗に保つ事が出来るそうなのです。


 これの何が大変だったかといえば、このカテーテル内にヘパリンを流し込む作業を、我々親も出来るようにしなければならなかった事です。


 仮に投薬や採血を全くしなかったとしても、やはり定期的にヘパリンを流す必要はある、との事で、回復が順調に行って、一時的に退院して家に帰ったりする場合、わたし達が出来るようになっていなければ、帰る事が出来ない、と言う訳です。


 冗談の様ですが、まずはキューピー人形で手順を練習しました。先程からわたしは『カテーテルに薬剤を流し込む』と書いていますが、より具体的に言えば、カテーテルの先端に付いたコネクタに、薬剤の入った注射器を刺し、体内に送り込む、という行為を行う事になります。消毒や接続時の角度等の、細かな手順がありましたが、中でも一番緊張したのは『しっかりと接続されている事を確認する為、一度注射器を引く』という行為でした。こうして書いてみると何ら大した事ではないのですが、実際に息子の胸から伸びたカテーテルに、接続した注射器を引けば、心臓近くの血が、カテーテル内を登ってくる訳です。妻も、もちろんわたしも、医師や看護師を目指した事もなく、注射器等、手にした事もありません。血を見慣れている訳でもありませんでしたから、正直、ゾッとするものを感じました。このカテーテルの先が、血管の中と繋がっていて、そこに薬を流し込もうとしている、という、これまで想像もした事のない感覚に怯えながら、看護師さんから指導を受けました。


 兎に角、家が好きな息子なので、入院してからというもの、毎日のように、早く帰りたい、と話していました。一時退院出来るのなら、少しでも早くさせてやりたい、と思い、妻と御互いを励まし合い、看護師さん達に励まされながら、どうにかヘパリン注射の手技を取得する事が出来ました。


 CVカテーテルには治療中、本当にお世話になりましたが、あの手技だけは、もうしばらくやりたいとは思いません。医師や看護師さんは、毎日のようにあの、命の感触のような物を感じ、背負って働いているのだな、と思うと、頭が下がる想いです。

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