時計坂の家
児童文学にこんな大人っぽい文章で書き綴る大胆さに目が離せなくなった。
きらきらしい、賢しい、
でも、美しい。
いとこのマリカに誘われて、夏休みを祖父の家で過ごすことにしたフー子。けれど気まぐれなマリカが祖父の家に顔を出したのは初日のみで、フー子は日常の大半を祖父たち大人たちに触れながら過ごすことになる。
若くして失踪した祖母の秘密を知ろうとしだした辺りから物語はファンタジーの方向へとどんどん進んでいって、どんなメカニズムでそんな不思議な世界が存在するのかはちっとも分からないのだけれど、交錯する現実世界でその動機だけはやけに地に足のついた感じでじわじわ解明されていく。それが痛快だった。
祖父の人物像がまたよかった。たとえ孫でも子どもに媚びたりしない人で、フー子が来たからといって自分の生活リズムを崩したりしない。けれど決してぶっきらぼうでも冷たいわけでもなく、ひとりの人間としてフー子に接する。
祖母はと言えば、彼女はとても探究心の強い人だった。結果としてその探究心ゆえにファンタジーの世界に入ったきり出られなくなってしまったのだけれど。同じく探究心の強いフー子もまた、その世界にじわじわ引き込まれてゆく。
“心が惹きつけられて仕方がないんだ”
そのセリフに共感を覚えながら、いつの間にか夢中になって読み進めていく。
そうしているうちに根拠のないファンタジーの世界にのめり込んでいく。
休むことも眠ることも惜しく、私はページをめくる手を止めることができなかった。
そのように夢中にさせておきながら、物語の終盤、全てが終わった後の祖父の台詞がこうなのだ。
「私はそういうものをよしとしない人間なんだ」
そういうもの、とは祖母の囚われたファンタジーの世界である。
読んでいるこちらは一気に現実に戻った。
これは衝撃だった。散々不思議な世界を展開させておきながら、祖父の一言で全否定してしまう。
もちろん基本は児童文学だから、子供らしい伸びやかな、可愛らしい描写もある。表紙の装丁もメルヘンで、内容の大半は子供の日常や気持ちに密着したものだ。けれど、まったくの子供向けかといえばそうではない、と私は思う。
地続き感のあるファンタジー作品と言うのだろうか。何が起こってもおかしくない、完全なる空想世界というのではなく、むしろ縛りのある本来何かが起こってはいけない世界──日常の世界──をうっかり踏みはずしてしまって、そこの隙間から怪しい歪みを垣間見るかのような、そんな印象の物語だった。
ちょっと大人っぽい児童文学。
この本を小学生の時に読めていたらどんな風に感じただろうか。読んでおきたかったなと思う。
そして秋の読書週間の紹介本に選びたかった。
子どもの私も間違いなく夢中で読んだだろうから。
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