テッシー
びっくりする位、どーんとでかくて、
色白で
目も口も小さくてちょっと寄ってて、
カレーライスが好きだった。
結婚もしていないくせに、娘が生まれたら美夢と命名することに決めていて、なぜか学級通信のタイトルにしていた。
エネルギーの使いどころをしょっちゅう誤ったし、リトマス紙の赤青をあべこべに教えたりした。
小学校六年生の時の担任の先生。
今思えばまだ二十三歳と言いたいところだけれど、私たちから見れば正真正銘の大人に見えたし、だから遠慮も容赦も全然しなかった。苦労しただろうな、と思う。
手島先生、でも 秋一先生、でもなく
彼はみんなにとって“テッシー”という存在だった、ずっと。
子どもをまとめるのも、授業も上手じゃなかったし、変にロマンチストだったけれど、彼は他の先生よりずっと私たちと近かった。心のやわらかい部分をたくさん持っていた。
小学校から徒歩五分の、お風呂が外にあるぼろぼろの長屋に住んでいて、部屋がぐちゃぐちゃでも食器が流しに積まれたままでも平気で中に入れてくれた。小さな庭には私たちのためにさつまいもを植えてくれた。
学校のうさぎ小屋にねずみが出没したとき、みんなが「可愛いから飼いたい」と言ったのを無碍にせずにクラス会議を開いてくれた。
朝の会では大学を二浪したことや、「ハゲる髪質だ」と言われてショックでシャンプーの度に抜けた毛の本数を数えていたことを話してくれた。
学校に泊まる『X計画』を企画してくれた。
「優勝したらチャーシュー麺を奢る! 」と豪語した合唱コンクールで私たちのクラスが優勝してしまい、お金がなくてみんなで調理室でチャルメラにハムを乗せたやつを作って食べた。
泣いてくれたし怒ってくれた。私たちを間違いなく全力で愛したし、間違いなく一生懸命だった。
それは伝わる。不思議と伝わる。空気をとおして、何かに染み込んで、そういうのって分かるんだ。
懇談会のとき、彼は母に「娘さんは将来小説家になったらどうでしょう」と大真面目に言ったそうだ。
母はそれを馬鹿にして笑いながら話したけれど、私も合わせて笑ってみせたけれど、本当はずいぶん嬉しかった。あの年頃の子どもにとって、夢みたいなことを真剣に言ってくれる存在はとても貴重なのだ。
一回も口に出さなかったけれど。
口に出しても満足に伝達できなかっただろうけれど。
本当の心の中ではありがとうと思っていた。
周りの先生や保護者が彼を軽く見ても、若造だと笑ったとしても。
私たちには彼みたいな“大人”が必要だった。
すごかったなテッシーは、と今になってそう思う。
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