第86話 知る人ぞ知ること

「いや、参ったな…」


それから数日後、幹太は離れのキッチンで頭を抱えていた。


「やっぱり難しいですか?幹太さん」


そんな幹太の顔を、隣に立つアンナが心配そうに覗き込んでいる。


「思いつく工夫は全部してみたんだけど…」


そう苦笑しつつ、幹太はバツ印の並ぶレシピ帳をアンナに見せる。


「わっ!すごい…本当に色々試してみたんですね」


アンナは差し出されたレシピを見てフムフムと頷いた。


「そうなんだよ…一応ひと通りはやってみたんだけどなぁ〜」


「手強いんですね、海鮮スープ」


「うん。確かにここまで海鮮に偏ったスープは初めてなんだけどさ…」


この環境ならば、日本のラーメンでよくあるような鰹や煮干しを使ったスープなら簡単に作れる。

しかし、いま幹太が改良しているスープは、もっと色々な種類の魚介類を使ったブイヤベースのようなスープなのだ。


「アンナはなんかやってみたいことはある?」


「そうですね…海鮮スープで味噌ラーメンというのはどうですか?」


アンナは日本の寿司屋で食べたあら汁を思い出していた。


「確か…お味噌はお魚と合うんですよね?」


「うん。そうだな、漁師が船の上で食べる海鮮鍋の味付けなんかは、適当に味噌入れるだけだったりするし」


幹太の母方の祖父は、和歌山の串本という港町に住む漁師である。

幼い頃、幹太が母の帰省について行くと、祖父はよく船に乗せてくれていた。


「お味噌だけで美味しくなるんですか?」


「うん。他に余計なものを入れなくても味噌と魚や貝のダシだけで充分だったな…」


「だったら、それをそのままラーメンのスープにするのはダメなんですか?」


「う〜ん、実はもう味噌スープはやってみたんだけど、ラーメンにするとなんかイマイチだったんだよなぁ〜」


そうなのだ。

幹太はアンナに言われる前に、海鮮味噌ラーメンを試していたのだ。


「なんて言うのかな…日本人的に言うと、なんだかすっごい味噌汁感だったんだよ。

残ったのがあるから、アンナもちょっと食べてみる?」


「はい♪ぜひお願いします♪」


幹太は残った海鮮スープと試作の味噌ダレで、手早く一杯の味噌ラーメンを作った。

肉好きなアンナのために、厚切りチャーシューのトッピング付きだ。


「でもこのラーメン、香りはすっごく美味しそうですよ♪」


アンナはどんぶりの上に顔を寄せて、立ち昇る湯気を吸い込んだ。

魚介類の味噌スープ独特の美味しそうな香りが、彼女の食欲をくすぐる。


「それではさっそくいただきますっ!」


そして当たり前のように、アンナは初手からチャーシューにカブりつく。


「はぁ〜美味しいですっ♪

これってもしかして、街道ラーメンの焼きチャーシューですか?」


「はは♪やっぱりアンナは一発でわかるんだな」


街道ラーメンとは、幹太が以前の旅の途中で作った濃いめの醤油ラーメンに焼き目を付けたチャーシューを乗せたものだ。


「では次は麺を…」


アンナはそう言って、ズルズルと麺を啜る。


「あぁ…なるほど、幹太さんの言っていた意味がわかる気がします」


「なっ、そうだろ」


「味に厚みがないというのでしょうか…?

ラーメンにすると、なんだかちょっと物足りなくなっちゃうんですね」


幹太の言った味噌汁感というのはそういうものだった。

味噌と海鮮の風味が強すぎるため、そこにある麺の存在が希薄になってしまうのだ。

中に入っているであろう海鮮を味わう味噌汁や鍋料理ならまだしも、ラーメンにするならばもう少し麺との協調性が欲しい。


「でも、具はチャーシューでもいい気がします♪」


「そうだな。それはおれもそう思う」


「もういっそのこと、クレアの言う通りに以前のラーメンをそのまま出してみるというのは…」


バタンッ!


と、アンナが言いかけたところで、離れの扉が荒々しく開かれた。


「幹太ー!調子はどうー?」


「ク、クレア様、ちょっと待って下さい」


玄関から騒がしく厨房に入ってきたのはクレアとゾーイだ。


「いや、それがちょっと行き詰まってて…」


幹太は頭を掻き、本当に困った様子でクレアに告げた。


「そっか…交流会議に間に合うかしらね…」


クレアは壁に掛かるカレンダーを見た。


「クレア、幹太さんは一生懸命やっていますよ。

これ以上急がせるのは…」


「大丈夫よ、アンナ。

私だって幹太が一生懸命やってくれているのは分かってる。

それに焦って中途半端なものを出されても困るしね」


クレアは毎晩遅くまで、離れの明かりが点いているのを見ている。

またガラス職人達との付き合いから、良いものを作るにはそれなりに時間がかかることも彼女は知っていた。


「芹沢様、私にも何か出来ることはありませんか?

お買い物でもなんでも、できることがあったら遠慮なくおっしゃって下さい」


「ありがとう、ゾーイさん。

まぁ、今のところは…」


幹太は腕を組んで考える。


「あっ、そうだ!海以外でこの町の特徴ってないかな?」


「えっと…海以外となると難しいですね。

何かありますか、クレア様?」


「ん〜どうかしら?

正直言って、海以外ってなると街並みが綺麗ってことぐらいなのよね。

周りの山も岩むき出しの火山が多いから殺風景だし…」


「んっ?クレア様、今なんて?」


「だから街並みが綺麗って…」


「いや、その後」


「そうそう、火山ね。

最近は噴火はないんだけど、まだガスが噴出したりするから観光用には使えないのよ。

麓に大きな大きな湖があるけど、水がぜんぶ温泉だからいっつも湯気で見えないし。

もっと綺麗な森や湖があれば観光用に開発できるのに…」


クレアはそう言って、ヤレヤレとため息を吐く。


「クレア様…ここって温泉があるのか?」


「だからあるわよっ!

町の東側に日に日におっきくなって収拾のつかない温泉がっ!」


「マ、マジでかっ!?」


「え、えぇ、マジだけど…それがどうかしたの、幹太?」


「いや…温泉があるならそれで観光客を呼べるだろ」


「あらそうなの?」


「そうなのって…」


ソフィアの村のジャクソンケイブでもそうであったが、この世界の人々はまだまだ温泉の価値に気がついていないようだ。


「だって、お湯のお風呂なら家で充分じゃない♪

それに家にお風呂がなくても、この街には公衆浴場があるしね」


ここレイブルストークの水道普及率は非常に高く、一般的な家庭のほぼ全てに水道が引かれている。


「あのクレア様…お湯と温泉とじゃ全然違うぞ」


「えぇっ!なにが違うの!?」


「俺の世界だと、温泉の方が格段に体にいいんだけど…」


「ほ、本当に…?

こっちだと出てきた温泉が有害か無害かは調べるけど、健康にいいかどうかまでは調べないわ」


こちらの温泉の効能というのは化学的に証明されてたものではなく、昔の日本のように、入ったらなんとなく調子が良くなったという噂程度の物でしかないのだ。


「クレア様、クレア様」


とそこで、今まで黙って話を聞いていたゾーイがクレアの袖をクイクイと引っ張った。


「どうしたのゾーイ?」


「ひとまず芹沢様を温泉にお連れするというのはいかがでしょうか?」


「そうね、そうしましょう♪

幹太、明日はどうするつもり?」


「さすがに煮詰まってきたから、店を休んで市場の散策でもしょうと思ってたんだけど…」


サースフェー島でアンナに怒鳴ってしまって以来、幹太は適度に気を抜くことにしていた。

周りからすれば、それでも彼は根を詰めすぎであるが、以前よりかなりマシになっているのだ。


「それじゃ明日は温泉に行ってみましょう♪

ひょっとしたら、それでいい案が浮かぶかもしれないわ♪」


あっさりとそう決定したクレアの隣では、アンナが青ざめた表情でゾーイとヒソヒソ話を始めていた。


「ゾ、ゾーイさん、温泉ということは…?」


「…えぇ、そうですアンナ様、水着が必要になります」


「こ、これは早く由紀さん達にも伝えないと…」


「はい。なる早でお買い物に行きましょう」


「ではそのように…。

すいません幹太さん、ちょっと用事ができました。

私、いまからマッハで宮殿に戻ります!」


アンナはそう言って立ち上がり、幹太の返事を待たずに宮殿へと戻っていく。


「あ、あぁ、それじゃまた夜に…って行っちまった。

あのお姫様、何をそんなに焦ってるんだろ?」


「ふふっ♪女の子には色々あるのよ、幹太♪

それじゃあ私達も戻りましょ、ゾーイ」


「はい。クレア様」


「じゃあ幹太、明日はお昼にこの離れ集合ってことでよろしくね♪

あ、あと無理だとは思うけど、今日ぐらいは早く休みなさい」


「あぁ、分かった。ありがとうクレア様」


そうしてクレアとゾーイも宮殿へと帰っていく。

幹太はそれを見届けて、再び厨房に向かった。


「ほんじゃもう少しやってみますかね…。

ええっと…あと何をやってなかったっけ?」


そう言って、彼は前掛けを締め直す。

結局、その日も夜遅くまで離れの明かりは点いたままだった。

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