第36話 狐のお宿

 バル様の背におぶさって流れていく景色の半分が、いつしか高い生垣の壁になった。


「……マコ、そろそろ着くぞ」

「あ、ありがとうございます」


 ボクはやっと身体を起こし、地面に降ろしてもらった。

 彼の背中で休んだおかげか、いくぶん身が軽くなったみたいだ。


「ここだな。旅館・”宵星よいぼし”……。ロゼッタは一度泊まったそうだが、俺が来るのは初めてだ」


 旅館の正門は風情ある木製で、客を待つように開かれている。

 意匠にはどことなく和風の趣きがあるようだ。

 ボクは日本の観光地を思い出して、初めて来る場所なのに懐かしい気分になった。

 

「──あらあ。陛下に、マコちゃん。お早いお着きですねぇ~」

「あっ! 二人とも、どこ行ってたのー」


 いざ旅館に入ろうかというところで、後ろからロゼッタさんとコニーの声がした。ミナミも一緒だ。


「……マコ! オジサンに変なことされなかった?」

 ミナミはボクと顔を合わせるなり、バル様にぴりっとした視線を送った。


「──あはは」

「なに、その乾いた笑いはっ! おい、オジサン!」


 どちらかというと、ボクが変なことをしてしまった側かもしれないけど……ミナミには黙っておこう。


「失礼なヤツだなァ。俺は何もして──何もしてないぞ」

「なんだよ、その含み顔はーっ! なにかあっただろーっ!」


 ボクはミナミに肩を揺さぶられ、なすがままに頭をふらふらと動かした。


「ふふふ。中に入りましょうか~。お部屋が空いてるといいのだけど~」

 ロゼッタさんはマイペースに笑って、すたすたと旅館の正門をくぐって行った。


 ボクとミナミとコニーはロゼッタさんに続いたが、バル様だけがはたと立ち止まった。


「あれ、どうかしました?」

「……あァ、先に行っててくれ。気がかりな事があってな……のに、少々集中するだけだ。すぐに追いつく」

 

 その言葉は何気ないものだったけど──彼の声色、纏う気配にはただならぬざわめきがあった。


 鳥たちが、何かを警戒するようにバサバサと飛び立つ羽音がした。



 * * * * * * *


 正門からは入り口の建物までは、地面に埋め込まれた飛び石の道が伸びていた。

 敷地内には緑が生い茂る庭園があり、木造の温かみのある建屋には洗練された格式の高さがある。

 ちょろちょろとせせらぎが流れる音も聞こえ、この空間だけは王国の喧騒から隔絶されているかのようだ。


 正面の建物に入ると、受付らしきカウンターが見えた。

 内装にもそこかしこに木材が使われているみたいだ。

 ほんのりと木の香りが鼻腔をくすぐり、これまでの旅の疲れが癒される気分になった。



「ごめんくださ~い?」


 ロゼッタさんが呼びかけると、細い声の返事と滑るような足音が聞こえた。


「──はい、只今参りますね」

 


 従業員用の扉の奥から、狐のような細長い獣の頭が長い髪を揺らしながら現れた。

 その姿はツノや動物の耳がついた人間というより、まさにそのまま”獣人”といった印象だ。


「お待たせ致しました。ようこそ、”宵星よいぼし”へ」

 ひと目見てすぐに性別がわからなかったが、声の高さと物腰から、どうやらこの狐の獣人は女性のようだ。


 風に揺れるやなぎのようにしなやかで、それでいて芯の強さと気品がある声。

 そして、研ぎ澄まされた魔素マナの波動を感じる──只者ではなさそうだ。

 

 彼女は身体に合わせた形の着物を帯で結んだ格好で、背中部分はこんもりとしている。

 きっと、内側にもふもふとしたしっぽが仕舞われているに違いない。


「おや、あなたは……ロゼッタさんではありませんか」

 狐の女性はわずかに眉を上げ、目を見開いた。


「あら、フウメイさん! お久しぶりです~。お変わりありませんか?」

 ロゼッタさんは親しみを込めて返事をした。彼女たちはお互いに面識があるようだ。


「上々です。魔王城の皆様はお元気でしょうか」

「はい、いまはすこし賑やかになりまして、陛下もご機嫌ですよ~。息子さんはどうなさったんです? この前伺った時は、元気に受付をしてくださいましたけど……」


「ええ、最近の息子には少々手を焼いておりまして……今頃どこぞを遊び回ってますやら。困ったものでございます」

 フウメイと呼ばれた獣人はそう言いながらも、落ち着き払っている。


「あらま、そういう時期もあるのですねぇ。それで、しばらく宿を取りたいのですけど……お部屋は空いていますか?」

「はい。空いておりますとも。四名様でよろしいでしょうか」


「いえ、もう一人いるので五人になります。一人部屋と四人部屋をお願いできますか」

 ロゼッタさんは、はきはきと答えた。


「承知いたしまし──まさか、そのもう一人とは……?」


 フウメイさんは急に動きを止めて緊張し、背中側の膨らみがばさりと音を立てて揺れた。

 穏やかにそよいでいた風が、ピタリと止んだかのように。


「ふふふ、今日は陛下もご一緒なんですよ~」


「──!! よ、よよよ……。嗚呼ああ──なんということでしょう」


 ロゼッタさんの返事に、フウメイさんは急に慌てだした。しおしおと壁にもたれかかり、わなわなと震えている。


「……あら、何かまずかったですか?」

「いいえ、いいえ。わたくしが悪いのでございます。バルフラム様にご挨拶しなければ、しなければと考えながら、長い月日を過ごしてしまい……」


「ご挨拶って……時々魔王城まおうじょうに顔を出して下さっていたじゃないですか」

「そういうことでは、ないのです。息子にこの事を知られては──」



「──そこにいるのは、フウメイか? 久しぶりだなァ」

 後ろから、よく通る声がした。入り口にバル様が立っている。


「ヒッ……!」

 フウメイさんは彼の顔を見るなり後ろ向きに歩き、背中を壁にぶつけた。


「なんだなんだァ? でっかい虫でもいたか?」

 バル様が、身に覚えがないという様子でフウメイさんに歩み寄る。


「そ──そうでございます。でっかい虫がいたのでございます。……嗚呼ああ、いえ……違います。はぁ、はぁ──」

「おおい、落ちつけよ……。どうしたっていうんだ」


「だいじょうぶ? バルさまのお知り合いなの~?」

 コニーが、興味深そうに二人の顔を見比べた。


「あァ、そうだ。こうして会うのは何年ぶりか……。珍しいな、フウメイ。オマエがそんなに取り乱すなんて……”山崩やまくずし”ともあろう者が、どうした」

「やまくずし……って、なにー?」


 コニーの声に反応して、フウメイさんは狐耳をピンと立てて一呼吸置き、立ち上がった。


「……ええ、わたくしめが──不肖ながら魔王直属四天王が一人、”山崩やまくずしのフウメイ”と称されておりました。今はお暇を頂きましたが……」


 四天王──! 以前、その存在を聞いたことがある。

 たしかダイダロスさん以外は二人が放浪中で、一人が引退したという話だった。


「俺はてっきり、オマエは奥に引っ込んで居るのかと思ってたが……まさか直接会えるとはなァ」


「失礼致しました。バルフラム様、お久しゅうございます……」

 フウメイさんは、元の気品ある佇まいへと戻ってお辞儀した。


「ともかく、だ。俺たちはこれから少々、王国に滞在するんだ。部屋の手配を頼みたくてな」

「はい。只今、ロゼッタさんよりお伺いしておりまして。一人部屋と四人部屋をご用意させて頂きます」

「ああ、よろしく頼む。せっかく会えたんだ。後で晩酌でもしようじゃないか」

「え──!? ええ……左様でございますね、はい。そう致しましょう」


 バル様はフウメイさんの狼狽ろうばいにもお構い無しだ……魔王と部下の上下関係が垣間見える。


「あらあ、いいですね~。わたしもご一緒していいかしら~。久々にみたいわぁ」

「──アッ」

 ロゼッタさんの声に、今度はバル様がしまったという顔でたじろいだ。


「……あら、どうかしました?」

「ロゼッタ……。いや、飲むなとは言わんが。──ほどほどにしておけよ?」


「ふふふ~。大丈夫ですよぉ。たしなむ程度、ですよね~」


 この二人に限っては、単なる上下関係だけではない力が働くのかもしれない……。

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